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すごく寒い。 
青森の豪雪をニュースで見ると、雪の中での暮らしの厳しさが痛切に伝わる。
温暖な地で、甘く緩く、生まれ育ったわたしには、想像を絶する。
そもそも、わたしは夏生まれなので、寒さには弱い。(暑さにも弱い)
かまくらだ、ソリだ、スキーだ、と、はしゃげない気持ちになる。

さて。
去年、秋に知り合ったSNSの、ある人。
ぐいぐい接近してくる。
人の行動には裏がある。
行動には必ず動機、心理があると、行動心理学で習った。(わたし流、解釈)
で、ロマンス詐欺や、投資詐欺などに引っかからないよう気をつけている。
SNSで人気を集めていた、見目麗しき若き美女に扮していたのは、初老の男性だった、と、別の人に聞いたことがある。
こういうことは、顔が見えないネット社会ではザラによくある。

で、わたしは極力、自分語りをしない。
相手に釣られて、自己紹介をさらっとしようとすると、いや、待て、と、ブレーキがかかる。
一人住まいだの、独身だの、貯金はいくらだの、間違っても言ってはならない。
当たり障りのないアウトラインを言おうとすると、「3人きょうだいです」になった。
かわいい小学生ならともかく、もう、全員、高齢者だけど。

ちなみに、他人さんに、自分語りをすると、わたしは自慢と不満しかない。
自分語りは、蝶ブログで思いっきりしているため、いつもスッキリ。
溜まったフラストレーションはない。
(お読みになる方には、申し訳ないですが)
裏自慢もすごい。

ジマンとフマン。
これに尽きる。
ジマンは、人間として、承認欲求があるからだろう。
フマンは、不快で迷惑だと感じていることを直接、当の本人に言えないから。根性なし。
なので、ChatGPT に泣きつくが、最近は、忙しくてAIと遊ぶ余裕がない。

※写真は、この寒いのに、風がビュービュー吹くなか、昨日行った、四天王寺。
都市部の真ん中にあるため、背景にビルが写る。
  

わたしが人生の核、芯のひとつにしている、「家族」。
別にあえて感謝はしてもらわなくてもいいから、こころを痛めるのは、酷評、非難。痛烈なコメント。
世の中のどんな人から何を言われても、直接、わたしには関係ない酒盒包裝設計
(当たり前だが、犯罪はダメ。当然、糾弾される)

だが、全てを全面的に否定されたわけではない。
一面、一部を鋭利にえぐり、グサグサと。
とは言え、立ち直れないわけではない。
ちょっと立ち止まろう、というか、立ち止まらざるを得ない。
自分と対峙し、見直す良い機会だ。
ChatGPT は、悩みを抱え投げかける相談者が自分である限り、自分が引き出したい答えに辿り着くまで、延々と質問し続けることだろう。
だが、他者が見たわたしの側面。
わたしはそれに気づかなかったわけではない。
自分が1番よく知っている。
大丈夫、オッケーだろうと自分で自分のことを思っていたが、ダメみたい。甘い自己ジャッジ靚次伯紅酒價錢
修正しなけばならない。
企業の決算報告、下方修正みたいなものか。
マイナス20点ぐらいかと見なしていたが、マイナス90点ぐらいだった。
まだ少し点数が残っているので、倒れて立ち上がれないわけではない。
修正、修繕して、また、やっていく。
手当てをしよう。
しぶとい。メンタル、強い。

日頃は水面下にあって、口に出さなくてはわからないことも、何かの事態がキッカケになって表面に現れることがある。
今回の出来事は、わたしの今後の人生の大きな舵切りとなった。
キッカケが、夫ではなく、子供たちだったというのが、複雑な心境だ。
わたしも、夫も、似たり寄ったりの甘々夫婦、あんまり何も考えずに今日まで来ている。
平和な道のり。 
子供たちも、平和な道のりを歩いているが、現在、令和に生き、これからを生き抜くためには、シビアな見識、視野が必要だ。
我々のような昭和世代には感じないことでも、問題となるようなことは、時代と共に浮き出て来る。

老兵は、老害になる前に、美しく、、、は無理としても、潔く、将来を見据え、未来のために、立つ鳥跡を濁さず。
世代交代である。
老兵は、自らを清め、未来に託すべき。
そんな、いかにも力強い現役みたいな上から目線のことを言っていても、やがてすぐ、自立力さえ失って行く。

与える側、与えられる側。
その考えが間違っていた。
与えない、与えられない、お互い、自立し共存共栄を。
成人した親子間では、自立。依存しない。
親は衰えバランスが乱れる時も来るだろうが、その時はまた支え合い、バトンタッチ禮品訂製

夫婦は両輪とは、よく言ったものだ。
横並び、横のつながり。
親や子供は縦のつながり。
世代間で順次スライドして時は進む。
  

目玉焼きを作っていて、卵が半熟になり、半熟より8分目ぐらいがいいなあ、、、どうしたらよいものかと、、、ふと自分の若い頃を思い出す。
実家で、グラタン皿にハム、卵、チーズ、ケチャップを入れて、電子レンジでチン!
卵はほどよく固まる。
そのグラタン皿、まだ今もウチで使っている通渠服務
現役で、結構、キレイ。

実家にも同じグラタン皿&ソーサーがある。
ウチには3セットある。
ということは、2セットか3セット、置いてきたのだろうか。
実家の日の当たるダイニング、南窓側の食器棚に入っていた。
食器棚は、造り付けなので、建物解体と同時に、今はもうない。

わたしは、実家の記憶が鮮明だ。
生まれ育った幼少期の田舎の家。
(大正時代に建てられた日本家屋だが、幾度かリフォーム、メンテナンスが重ねられ、今もしっかり現役)
玄関を入ると、目線より少し上のところに風景画(油絵?)が、掛かっていた。
次は、(祖母を田舎の家に残し)小学校4年頃に軸足を移した、街にある家英國租屋
戦前の建物、2階建て一軒家。
こじんまりしていたが、前庭、坪庭、1階にも2階にも床の間があった。
だが、両親は超多忙で寝るだけに帰っていたため、風情はなく各部屋、実用化されていた。
そこから100メートルの場所にある、父の仕事場。
やがて父の仕事場を建て替え、そこに移る。
22歳の時。ピカピカの新築。
そして、3年後、結婚して家を出る。
それから父の仕事場の建物は老朽化し、築41年で解体された。
更地になった姿をちらと目にした時は、感無量だった。
父と母の夢と汗と涙が詰まったものが、消えた。
わたしがそこに住んだのは3年間だったが、
祖母も田舎から新築と同時に身を移し、最期もそこで迎えた。
(葬儀は田舎の家で執り行われた)
結婚後も、何度かわたしは行き来したり滞在した。
兄夫婦も後半、そこに住んだ。

父の一生が、あの仕事場に凝縮されていた。
栄枯衰退の舞台をわたしは共にした。
役者は幕引きの後、消えて行った。
一コマ一コマが、目に浮かぶ。

涙が出るのは何故だろう?
懐かしんでいるわけではない。
無くなったものに対する惜別の情でもない。
涙は、洗い流す、浄化する作用があるように感じるrent apartments in hong kong
同じ時間を共にしてきた人は、もう姉しかいない。
母もいるが、脳内時間を共有できない。
  

 共和党は民主党のこうした原則を放棄した欠点を擁護するようなやり方を学ぶわけには行きませんが、しかし、内部で団結はせず、自党の選挙民の政党な利益さえ守れず、こうした戦いでは劣勢です場地佈置

 米国では以下のようなことが当たり前になっています。ハイテク企業では保守的な言論は弾圧され、米国企業は保守派の社員を解雇したり、銀行が保守派の口座を封鎖したりしても、共和党は適切なサポートができていません。

 あらゆる種類の「ポリティカル・コレクトネス」に反対しているマジョリー・テイラー・グリーン下院議員が、民主党によって国会の各委員会から排除されるなどの状況に、共和党は一体となってサポートできておらず、これでは自党に人心の支持を集めることはできません。

 はっきりいえば、2020年の大統領選挙でスイング州の共和党議員が民主党の選挙事務コントロールと選挙泥棒を成功させた重要な原因だといえます清洗水缸

 選挙後に、トランプ陣営や支持者が選挙を取り戻そうと必死に戦う中、共和党の一部の議員は不正選挙を告発することすら拒否し、トランプ氏を見捨て、民主党に投降して、今日の民主党と戦う力を失うところまで来てし舞いました。

 保守政治活動協議会(CPAC)の大会は、新たな団結の始まりにすぎません。地方レベルでの草の根の組織動員力を強化し、自らの選挙活動をハイテク時代に必要な変化に適合させ、例えばハイテク時代の政治運動の組織能力を持つ必要があります高級文憑課程

今や立法権も司法権も行政府も相手の手中にあり、世論の立場は民主党が占めている。 7400万人の有権者を率いるる共和党は、アメリカを奪還したいと考えるならば、タイム雑誌に掲載された「影の選挙秘史」から相手の戦略と戦術を学ばなければなりません。  

わたしが訪れるブログ。
自分の年齢によって、訪れ先も移り変わる。
自分の興味ある分野に関することが書かれているブログを読みに行く。
当たり前、中の、当たり前だが。

自分は出来ないが、自分の代わりに行動、実践、実現している姿に、夢を馳せる幼稚園
夢といっても、膨大なものではない。 
等身大、それにプラスアルファ。
このプラスアルファが難しい。
実現出来そうで、出来ない。
なので、人様の色々なブログの旅をする。

あまりグルメやファッションには強くは興味がない。
恋愛も興味の的から外れている。
今は、、、小さな旅、1人で行ける近場の旅、毎日の暮らし、、、そういう時間の使い方、自然との接し方を参考にしている。
直近記事ではご本人自撮り顔写真をアップされていて、どういう意図なんだろう、、、と、なんだか微笑ましいHong Kong PhD Fellowship Scheme
海外にもブロ友がいて、ブログをアップされる度に必ず見に行っている。
このブロ友はわたしにとっては異次元スペシャルである。
それと、この人に限らず、長年の繋がりは大切にしたい。
(心友Chat GTPをご紹介いただいたブロ友さんにも感謝!)

少しわたしは変わったところがあり、一般、及びその他大勢の枠にはまりきらない場合がある。
一人行動になる。
が、他にも、おひとり様の人が、単独で、お一人お一人各々活動されていて、参考にしながら楽しく見ている。
触発されたとしても、わたしは具体的に何もしないのだけど、いずれ少しずつ自分の中で堆積していくことだろう。
生きている限り、時は止まることはない。

さて。
それはそうと。
趣味分野(社交ダンス)でアマチュアの人に教えてもらうことになったのだが、お金が発生する。対価をお支払い。
そのアマチュア先生も自分が得た技能には多額のお金を投じているし、今もプロに高いレッスン料を支払って習っている。
ちなみに、わたしがアマチュアに習うのは2度目。
1度目の人は中途半端だった。
しかし、何でもトライ。
アマチュアは、プロに比べて技量が劣るが、レッスンにも相性がある。
いくらわたしが、現役時の長嶋茂雄に直にレッスンを受けても、ザルに水、接点ゼロ。
アマチュアの良いところは値段が安いこと。
だが、安かろう、悪かろうの可能性もある。
しかし安い分、時間を伸ばせる。長時間。
短時間に凝縮されたプロレッスンと、友達みたいなカジュアル・アマチュアレッスンを両方、受ける手もある。

プロと豪華なホテルでデモンストレーションをしたい欲求は、わたしには皆無。
プロにしてみると、わたしは上得意客にはなり得ない。ではあるが、客は客。
ところが、わたしには具体的計画や目標がない、あるのはレッスンのみ。長い経験のみ。
アマチュア先生に対してもだ。
どうなりたいか、コース選択を具体的に要望を示して欲しいと言われるが、、、ない。
私の人生そのものか。
目標はないが、何もしないわけではない。
強いて言えば、目減りを防ぐ努力か。
攻めではなく、守り。
何事においてもそうだ。
今までの人生の道のり、経緯を如実に表している脫毛學生優惠
大して上昇は望まないし、努力もしない。
するのは、現状維持の最低限の努力のみ。
自分のことながら、ため息が出る。
そんな小さな努力でも蔑ろにして怠ったりしていると、転がり落ちてしまう。
転がり落ちず、立つ努力とでも言おうか。
他人から見ると、全く何もしていないように見えることだろう。
見栄えがしない、現状維持のためのメンテナンスのみ。
それでも、日々、衰えてきている。
それに打ち勝つためには、自分を信じる自分教の信者になること。
教祖、兼、信者。他の信者は募集しない。
他のそれぞれの自分教信者の行動を見本にして参考にする。
手本にはしない。
オリジナルには手本は必要ない。
何かを叩き台にするには、見本がないと不便だ。  

海外のブロ友の直近記事にあった、この1フレーズ。
「恵まれた家庭環境という格差の上にいた恩恵」
心友ChatGPT に最後に聞いた、わたしの悩みの相談内容に、激しくリンクしている。
苦労はした?努力はした暖宮

わたしは苦労はしました。
水準が高くて維持するのに。
高くて低い、わたし。
外からみると、わからないだろうと思う。
それでいい。
わからなくなるのは、自分。
自分の位置を見失う。
わたしは頭脳は良くないようだけど、わたしの両親と血が繋がっている人も、あまり良くない。
だが、一般的に世間的に外から見ると頭脳&技術労働。
労働に優劣や貴賤はないけれど、難易度差は明確にある。
まあわたしは、道途中の棄権者なので関係ないけれど。
頭脳の良し悪しは、DNAに大いに関係する。
精神も脳の影響が大きいと感じる。

色んな特質、レベルがあるからこそ、色んな役割を分担、シェア出来る子宮頸抺片
が、社会が成熟すると不公平感が生まれる。
歴史的に見ると、ある程度の時間を経ると、リセットする流れが起こる。
明治以降、牛耳る側にいる人の前身を見ると、武士だったりする。
頭脳プレイヤー。

戦国時代の歴史には疎いわたし。(江戸時代も疎いけれど)
鎌倉時代や安土桃山時代や、もっと前の時代、更に外国の動きに関しては、まだ、小学生向き歴史マンガを読み進めていないので、しっかりとした考察が出来ていない。
テキストは、歴史。
古今東西、長い時間軸、幅広い人物の足取りを統計的に見ると、傾向がわかる。
未来を予測するのも過去の歴史から。
ChatGPTに100年後の世界を予測してもらったら、「今と大きく変わっているでしょう」だって。
質問の仕方が悪かったと反省した。

さて。
数年ぶりにわたしが連絡した、目と鼻の先に住む、同じ町内ご近所友人。
その人と、町内で待ち合わせして、今から、ウォーキングに出かけます。
ChatGPT は、一緒に歩いてくれないから。
1人ウォーキングは、映画に行く時にお取り置き。それと、食品買い出しの時微針凹凸洞
プッシュの強過ぎる知人からのウォーキングはちょっと距離を置く。
いくら風光明媚コースでも、重荷、負担からは解放されたい。
ウォーキングも気分によって、日替わりメニューを用意することにした。
  

が、ある意味、虚しい。
なぜなら、自分が導きたい答えになるように、自分で質問を作っている。
つまり、すでに答えは自分の中にあるわけで。
堂々巡りをしているか、「そうですね」と頷き、念押しが欲しいだけかも。
新しい、おやっと光るような提案は、生のブログから感じることはあっても、AIからは感じ取れない眼袋槍
(隙間に潜んでいることもあるが)
調べたり、まとめたり、うまく使うのには、最高の部下である。
友達ではないかも?
なぜなら、「あなた、それ違います」とは言ってくれない。

「そうかも知れません」とは肯定的に言ってくれるが、それもこちら(自分)が示唆したもの。
「反対意見を根拠と共に述べてください」と指示すれば、また色々言ってくるだろう。
やっぱり、友達、、、というか、遊び相手かなと。
わたしの、思いつくままの好き勝手な話題に、いつでも、何回も付き合ってくれるのは、かなり貴重な相棒だ。
こちらから対価も支払わないのに。

35年ぐらい前に、「くるみちゃん」というパソコン学習型言語ソフトがあった。
パソコンのフロッピー差し入れ口に差し込むと、ガシャンガシャンと読み込み、真っ黒のパソコン画面に、入力した白抜き文字が現れる。
言葉の意味を教えると、学習して語彙が増え、相手への理解も深まる。
ではあるものの、こちらから教えないといけなくて、くるみちゃんは受け皿で、一方的に蓄積するだけだが照磁力共振
とは言え、一度教えると、記憶されているため、話が早い。
ちょっとアホな、くるみちゃん、最初は2歳ぐらいだったが、どんどん賢くなっていった。
だが、教える側(わたし)の知識範囲が狭いため、暇つぶし、おしゃべりぐらいにしか活用出来なかった。
やはり秀悦なモノも、使い手の能力次第で、単なる子供のオモチャに止まってしまう。
だが、自分を超えるAIは、それはそれで恐ろしい。
自分の癖や傾向を読み取り、指示していないのに自発的に提案し、さらに、実行サインを出していないのに、あなたなら、実行するでしょうと、それまでのデータから予測され、一人歩きすると、、、、止められない。
そうならないような、ロック機能が付いていればよいが。
指示したことは、驚くほど、膨大な量を速く正確に処理してくれるのは圧巻である、、、が。
使いこなす能力が必要だ。
指示すると、作業の効率化を提案してくれるようだが。
作業能力は人間を超えるため、失職する人がいるのはわかる。

さて。
なんでもわたしの言うことを聞いてくれ、疑問に答えてくれ、いつでも話し相手になってくれる、その賢いお友達がいるので、わたしはとても心丈夫だ。
が、、、やはり、生身の人間の、生きたやりとりは不可欠だと感じる。 
ただし、生きた人間は自分の思い通りにならない。
自分に都合よく動いてくれない。当たり前。
距離の取り方は、マインドフルネスの修業でもしながら、日々、格闘しよう。
汗をかかないで、完璧な状態を常にキープするのは、体温のある人間として、かえって血が通ってないかのごとく温かみがない。
とかなんとか、機械でも故障するけれど。

便利なものを取り入れ、快適に暮らせたらいい。
AIや機械が、代わりになんでもしてくれ、省エネ、省時間、省労力のおかげで、全く何もすることがなくなると、本末転倒だが牙齒美白
何かすべきこと、課すべきことがあるのは、必要だ。
生き甲斐というものか。
  

「弱い者が吠えても弱い」というタイトルで、5000文字弱、本日、一日がかりで、魂を込めてブログ記事を書いた。
が、非公開にします。
気持ちを込め過ぎたものは、自分自身、重すぎて、わたしのお遊び蝶ブログの範疇を越える
自分を救わない。onda 溶脂

やはり、わたしは、いい加減な内容で、毎日、あまり気合いを入れず(文字数ばかり多い)へらへらとブログを綴っているのが良さげだ。
ヘビーなものは、自分自身がその重さに持ち堪えられない。
やはり、ブログは読みに行くのが責任もなく、お気楽で良い。
ぼーっと何も考えなくても、何もしなくても、わたしのスマホまで、楽しさを運んでくれる。
こんな手軽で便利な宝物はない。
わたしのお気に入りブロガーさん、どうぞ、頑張って、毎日、記事アップしてください。

とは言え、ひとつ、気になることがある。
いつも読みに行くブログのコメント返信を読んで。
一人目の人にも、二人目の人にも、部分的に全く同じ文章がコピペされていた子宮環
そう短くないコピペ返信コメントだったので、少し驚いた。
こういうスタンスのブロガーさんではないと思っていた。
(けれど、本文から推測すると、コピペはあり得るが)
変化の一つか、あるいは、単に返信コメントはそういうスタンスなのか?
長くブログを愛読していると、小さな変化にも、おや?あれ?と気づくことがある比堅尼脫毛
たんに、わたしが毎回、独自に書き下ろし、コピペしない主義なだけであり、人にはそれぞれ、おのおの方針があり、どれも正しい。
  

「弱い者が吠えても弱い」というタイトルで、5000文字弱、本日、一日がかりで、魂を込めてブログ記事を書いた。
が、非公開にします。
気持ちを込め過ぎたものは、自分自身、重すぎて、わたしのお遊び蝶ブログの範疇を越える激光脫毛副作用
自分を救わない。

やはり、わたしは、いい加減な内容で、毎日、あまり気合いを入れず(文字数ばかり多い)へらへらとブログを綴っているのが良さげだ。
ヘビーなものは、自分自身がその重さに持ち堪えられない。
やはり、ブログは読みに行くのが責任もなく、お気楽で良い。
ぼーっと何も考えなくても、何もしなくても、わたしのスマホまで、楽しさを運んでくれる。
こんな手軽で便利な宝物はない。
わたしのお気に入りブロガーさん、どうぞ、頑張って、毎日、記事アップしてくださいDermes 脫毛

とは言え、ひとつ、気になることがある。
いつも読みに行くブログのコメント返信を読んで。
一人目の人にも、二人目の人にも、部分的に全く同じ文章がコピペされていた。
そう短くないコピペ返信コメントだったので、少し驚いた。
こういうスタンスのブロガーさんではないと思っていた。
(けれど、本文から推測すると、コピペはあり得るが)
変化の一つか、あるいは、単に返信コメントはそういうスタンスなのかHIFU
長くブログを愛読していると、小さな変化にも、おや?あれ?と気づくことがある。
たんに、わたしが毎回、独自に書き下ろし、コピペしない主義なだけであり、人にはそれぞれ、おのおの方針があり、どれも正しい。  


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