「被差別の食卓」がとてもいい

 上原善広「被差別の食卓」(新潮新書)がとても良かった。冒頭、幼い頃「あぶらかす」が好きだったと書き始めている。母の料理だった。そんなあぶらかすが一般的な食材でないと知ったのが中学生の頃だった。それは被差別部落の食材だった。著者は1973年、大阪市南部にある更池(さらいけ)という被差別部落に生まれたと書いている。そこでは現在でも自分たちの地区のことを「むら」と呼んでいる。中上健次の「路地」と同じだ。
 上原は「しかし」と書く、「成長するにしたがって、わたしはそのような環境に育ったことを、徐々に誇りに思うようになったのであった」。本書は全編がこの姿勢で書かれている。みごとなものだ。そして上原は、世界各地の被差別の地区を訪ね、その地区の料理を味わうという「取材」を開始する。
 本書に紹介されているのは、アメリカ南部の黒人ハーレム、ブラジルの黒人奴隷の末裔がひっそり住む地区、ブルガリアイラクのロマ(ジプシー)たち、ネパールの不可触民サルキ、そして日本の被差別部落
 ハーレムではチトリングス(豚のもつ煮)を注文して黒人の店員に「え、あんたがチトリングス食べるの?」と驚かれる。黒人独自の料理を「ソウルフード」と呼ぶ。ソウルフードには、フライドチキン、ポークチョップ、BBQポーク、キャットフィッシュ(なまず)、ハムホック(豚足)、チトリングス、クロウフィッシュ(ザリガニ)などがある。
 ことにフライドチキンは最も代表的なソウルフードだという。なぜかとの質問にアメリカ南部で知り合った黒人女性が教えてくれた。

 ほら、鶏の手羽先ってあるでしょ。フライドチキンが奴隷料理だったというのは、あの手羽先をディープ・フライしていたからなのよ。白人農場主の捨てた鶏の手羽先や足の先っぽ、首なんかを、黒人奴隷たちはディープ・フライにしたの。長い時間油で揚げると、骨まで柔らかくなって、そんな捨てるようなところでも、骨ごとおいしく食べられるようになる。焼くほど手間はかからないし、揚げた方が満腹感あるしね。

 本場でおいしいフライドチキンを食べ慣れて日本に帰ってきて食べたFF店のフライドチキンが、あまりにまずいので驚いたとある。
 ロマ固有の食べ物ではハリネズミがある。ブルガリアではハリネズミ料理をつくってもらった。その調理方法が具体的に書かれている。ハリネズミのさばき方が面白い。肉はスッポンのような味で、野生動物特有の臭みがあって、あまり食がすすまない。
 イラクのロマは悲惨な状態で仕事はない。サダム・フセインはロマなど少数民族を手厚く保護していて住宅も与えていたが、米英によってフセインが失脚した後追い出されてしまった。現在は乞食と売春をしている。
 ネパールにもインドと同じくカースト制度がある。その最下層の不可触民を訪ねる。そのサルキの部落へ行った。

 その不可触民は「サルキ」という。かつてのエタ・皮多(かわた)と同様、死牛馬の処理と皮革加工を生業としている不可触民だ。

 サルキは普通のインド人やネパール人などヒンドゥー教徒が食べない牛肉を食べる。そのことについて、

……牛を食べることをタブーとするため、不可触民がその役割を担わされることになった。牛をタブーとすることで、それに関わる人々を穢れていると"見せしめ"にすることで、一般民衆に牛肉食を忌避させる思想を広めさせる。(中略)
 特に牛の解体や皮革加工は、殺生を諫める教えを信じる庶民には、視覚的にも直接うったえる力をもっている。庶民に"浄・穢"の思想を身につけさせるには、かっこうの見世物になったと考えられている。だから牛の解体をするサルキは非常に穢れているとして、不可触民の間では最底辺におかれている。

 さて、最後に大阪の被差別部落の食べ物が紹介される。冒頭で紹介されたあぶらかすというのは、

 あぶらかすて何や言われたら、そうやな、牛の腸を炒り揚げたものということになるわな。屠場から持ってきた新鮮な腸を、牛脂で丁寧にカリカリになるまで揚げる。単純いうたら単純やね。

「あとがき」で上原はこう書く。

 被差別部落を書きたいと思ったもともとの動機は、それが独りでできる解放運動だと思ったからだった。現在はさらに広義なヒューマンインタレストから社会を見ているのだが、被差別部落を見るときや書くときは今でも、そんなことがなんとなく念頭にある。
 閉鎖的でネガティブなイメージをもたれることの多い被差別部落の問題を、自由で世界的な視点から描けば、広がりを得て面白い読み物となり、多くの人たちに知ってもらえるのではないか。本書にはそんな思いもあった。

 上原のこの意図は完全に成功している。むかし台湾の映画ホー・シャオシェン監督の「悲情城市」を見て、それまで全く興味のなかった台湾がいっぺんに好きになったことを思い出した。知ることが理解に繋がり理解が好感に変わっていくのではないか。上原の優れた仕事に敬意を表したい。

被差別の食卓 (新潮新書)

被差別の食卓 (新潮新書)