みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

正月早々

昨日は横浜の動物園に。インドア派&混雑ぎらいの我が家では大変珍しいこと。

久々のお出かけということもあり、みんな機嫌良く晴れた寒空の下をぐんぐんと歩き回り、いろんな動物をしげしげと眺めつつ過ごした。

印象に残った動物。

ヤブイヌリカオンチンパンジー。キリン。チーター。

4歳半の末っ子にとって、生まれて初めての本格的な動物園になった。

娘氏は新しく手に入れた望遠レンズの撮影練習にはうってつけだと言ってひたすら写真を撮っていた。

なかなかにお正月休みらしい良き一日であった。

さ、今日を乗り切れば長い休みは無事おしまい。

明日は農園、がんばるぞ。

 

 

映画話。

今年の映画館での映画鑑賞1作目は「I Like Movies」の予定。

社交性に乏しい映画オタクの高校生の話。

監督の自伝的ストーリーらしく、自虐の匂いがぷんぷんだ。

アイタタタタ、となるであろうことは見る前から分かっているが、楽しみだな。

 

映画に関しては、昨年末わくわくするニュースがあった。

サム・メンデスビートルズの各メンバーの視点で4本の長編映画を撮るそう。

そのうえ、リンゴを演じるのはバリー・コーガンだなんて。くー!

ビートルズほど語られ尽くしてきた人たちはいない、さすがにもうお腹いっぱいって思っていたはずなのに。

2027年までを生きる希望になった、ありがたい。楽しみすぎる。

 

反面、新年早々、中島哲也の新作が6月に公開されると知った時はとても残念な気持ちになった。

年末の紅白での星野源がもらい事故した一件があった直後だけに心が削られた。

日本映画界における#Me Tooって何の意味もなかったのだろうか。無力感を感じる。

あんなにきつい思いをして訴え出た人を完全に黙殺して、ひとつも謝罪も経緯の説明さえしないまま、新しい映画を撮った。

家人が昔仕事で関わったこともあり、告発されるずっと以前に中島氏の現場がどういうものかを聞いていた。告発された時はそうだろうねと静かに思った。

だから、今回出演を決めた俳優たちに対しても、重度障害の子どもの親子の絆と愛の物語という内容も、私は違和感しかない。

 

以前どこかで書いたかもしれないが、とても好きで心に残っている言葉がある。

あなたにとって演劇とは、と問われたその人は、笑顔でこう言っていた。

最終的にできた作品の出来不出来やお客の入りや評価でさえ、副次的なもの。

この作品に集った一人ひとりが自分を存分に発揮し、この仕事を通じてみんながより良くなっていくこと。そのために作っているし、それが自分の望みだと。

 

私も、それが集団芸術の値打ちであると思うし、それは創作だけに限らない。

何かをつくる/やる価値とはプロセスの中にある。

だから、結果さえ出せばいい、結果のためには何をしても許されるという考え方が、私は本当にいや。

 

映画が心から好きだが、同時に映画なんて作り手の巨大なエゴの塊だ、とも思う。

「つくりごと」のために生身の人間の尊厳を踏みにじっていい資格は誰にもないはずだ。

この当たり前のことを、世界に小石を投げるような気持ちで言葉にしておく。

 

 

昨年は、性加害についてまとまった文章を書いたこともあり、できればもうあまり考えたくなかったが、昨年末から性加害に関連したニュースが続々続いていて、とてもつらい。

何より、直接の被害者でもない私は何にこんなにも苦痛を感じているのだろう。

そのことは改めて考えなくてはいけないことだと思っている。