100年前の「第九」 日本人初演の楽譜発見 “音楽の殿様”が支援

徳川頼貞=1947(昭和22)年11月撮影
徳川頼貞=1947(昭和22)年11月撮影

 紀州徳川家の第16代当主で、西洋音楽の普及に尽力したことから“音楽の殿様”と称される徳川頼貞(1892~1954年)が収集した音楽資料「南葵(なんき)音楽文庫」(約2万点)から、1924(大正13)年に日本人が初めてベートーベン「交響曲第9番」全4楽章を演奏した時の楽譜が発見された。

 初演から100年を機に、和歌山市の和歌山県立図書館で関係資料を特別公開することになり、県の調査で確認された。

 日本での「第九」全楽章の初演奏は、18(大正7)年6月に徳島県鳴門市の板東俘虜(ふりょ)収容所のドイツ人捕虜によるものとされる。頼貞は同年8月に収容所を訪ねて「第九」の第1楽章などを聴き、ほぼアマチュアでも演奏できるドイツ人の教養と文化を羨んだことを随筆に書いている。

 頼貞は第一次世界大戦の戦禍を避けて、独ブライトコップフ・ウント・ヘルテル社の米ニューヨーク支社に「第九」の楽譜を発注し、総譜やオーケストラのパート譜、合唱譜(各パート50セット)を取り寄せた…

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