三笠宮妃百合子さまが15日に101歳で亡くなられた。百合子さまは三笠宮家の当主で、皇室内での信頼も厚く、宮家の大黒柱だった。ただ、継ぐはずだった長男ら3人の息子は既に亡い。孫にも男性皇族はいない。当主を失った三笠宮家はどうなるのか。
昭和天皇の末弟崇仁さまが創設
三笠宮家は、昭和天皇の末弟の崇仁(たかひと)さま(2016年に死去)が創設した。戦前の1935(昭和10)年12月、成人を機に昭和天皇から「三笠宮」の宮号が授けられた。41年に百合子さまと結婚。3男2女に恵まれたが、長男寛仁(ともひと)さま、次男宜仁(よしひと)さま、三男憲仁(のりひと)さまに相次いで先立たれた。長女甯子(やすこ)さんと次女容子(まさこ)さんは結婚し、皇室典範の規定で皇族の立場を失った。
本来であれば、長男の寛仁さまが三笠宮家を継ぐはずだった。宜仁さまが桂宮家を、憲仁さまが高円宮家を創設した一方で、寛仁さまが新たに宮家を作らなかったのは、三笠宮家の継承が予定されていたからだ。
寛仁さま死去後、三笠宮家に合流
寛仁さまは宮家を作らなかったものの、結婚を機に「寛仁親王家」の当主として独立。宮号はなくても、他の宮家と同様に一つの「家」とみなされていた。「ヒゲの殿下」と国民に広く親しまれたが、2012年6月に亡くなり、寛仁親王妃信子さま(69)、長女彬子さま(42)、次女瑶子さま(41)が残された。
家の存続をどうするのか。寛仁さま死去から約1年、決まらないままだった。当時、宮内庁…
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