
- 作者: 隆慶一郎
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隆慶一郎のパターンとして、史料を提示して史実を出した後で「これは〜のためである」「真相は〜だ」と通説と全く違う独自の妄想というか平行世界に飛躍してしまう。本作ではそれが顕著で、全ての史料は徳川家康となった影武者・二郎三郎の真意と裏の行動を探るものに転じている。ここまで史料と妄想力が直結した作者はそうそういるものではない(妄想あふれる作者でもここまで史料との関係を提示しない)。
例をあげよう。二郎三郎の下で重要な役割を果たす忍び・六郎が柳生と対峙するために風魔忍びとともに駿府の町に家々を構える話がある。ここで隆慶一郎は、六郎と風魔衆が住んだ町を史料から探しているのだ。史料から架空の人物の住居を推理する作業を本文に記す…そんな恐ろしい行為を自然とやっている。こうした史料と空想の交錯によって、否応なく隆慶一郎ワールドに引きずり込まれるのだ。これに加えて、大久保長安を巡るエピソードでは『捨て童子・松平忠輝』とのクロスオーバーまでやっている。放っておいたらこの人は自分の作品のほとんどをクロスオーバーさせてしまったのではないだろうか(その場合、最も苦労するのは柳生である。死者が多すぎる)。現に複数作品に同一人物(時には同一エピソード)が登場することが多い。
ところで中学生の頃からずっと気になっているのだが、市郎兵衛はどうしたのだろう。最後にも出てこないし。