ヘイトスピーチ規制論と歴史修正主義の両立状況について
はじめに
8月5日、6日にかけて朝日新聞が「慰安婦報道特集」を掲載し、そこで故吉田清二氏の証言が虚偽であったとし、記事を取り消したことを受け、あたかも日本軍性奴隷制そのものがなかったかのような修正主義がこの間、特に猛威をふるっている。修正主義そのものは日本には従来より根強くあったものであるものの、その勢いの激しさには率直に危機感を強くせざるを得ない。そしてもう一つ気になることは、一方ではこの修正主義が吹き荒れるさなかにおいて、他方ではヘイトスピーチ規制論が盛んになっていることである。いや、修正主義者とヘイト規制推進派が激しく火花を散らしているというのなら納得もいくが、どうもそうでないから気になる。なぜ、自民党がヘイト対策PTなどおいているのか?なぜ橋下徹が桜井誠と面談したりしているのか?こういう状況は本来意味不明であるべきだ。「仲良くしようぜ」くらいに、自分をしばかない野間さんくらいに意味不明であるべきだ。「歴史修正主義だけどヘイトには反対」なんて頓珍漢な状況について考えたい。
そもそも朝日新聞はなぜこんな極右政権において検証記事なんか出したのか理解に苦しむが、8月5日<慰安婦問題の本質 直視を>において、
「慰安婦問題が政治問題化する中で、安倍政権は河野談話の作成過程を検証し、報告書を6月に発表しました。一部の論壇やネット上には、「慰安婦問題は朝日新聞の捏造だ」といういわれなき批判が起きています。しかも、元朝日新聞記者が名指しで中傷される事態になっています。読者の皆様からは「本当か」「なぜ反論しない」と問い合わせが寄せられるようになりました。私たちは慰安婦問題の報道を振り返り、今日と明日の紙面で特集します。読者への説明責任を果たすことが、未来に向けた新たな議論を始める一歩となると考えるからです。」
「戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません、慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです。」
と特集を組む意図をあらわした上で、8月5日の検証において、吉田証言(済州島での強制連行)については「裏づけ得られず虚偽と判断」し当時の記事を取り消した。これを契機に日本軍性奴隷制そのものを否定せんとする歴史修正主義の勢いがどれほど増しているかについて改めて記す必要もあまり感じないが、一応、8月5日から2ヶ月間分、渦中の朝日新聞を中心にざっくり眺めてみた。
1-2.特集に対する反応
政治家たちの反応は以下のよう。発言当時からこの間までに主な肩書きが変わっている者については(当時→現)としている。
“取り消すとなれば、今までの報道はいったい何であったのか。なぜ十分な裏付けが取れない記事を今日に至るまで正しいものとしてやってきたのか、そのことの検証は日本の国益のためにも、(韓国を含む)この地域を友好の地域として確立していくためにもきわめて重要なことだ”“この検証を議会の場で行うことも必要かもしれない。真実は何であったのか明らかにしなければ、これから先の平和も友好も築けない”(朝日 8月6日朝刊)
“間違いでしたで済ますのではなく、どうしてこういう記事になり、検証をどのようにしてきたか、この問題は何だったのかをきちんと国会で議論する”“日韓関係の改善のために議会の場で議論するのは当たり前で、(報道の)弾圧とかそういう話でとらえてはいけない”(朝日 8月7日朝刊)
“朝日新聞の検証報道はアメリカでほとんど、もしくは全く報道されていないと側聞している。政府は、政府が検証した結果については少なくとも多言語で発信して頂きたい”“慰安婦問題は、日本や国民の名誉を将来にわたって傷つける情報が海外に発信されているので、しっかりと打ち消していく。新しく調査によって判明した事実に基づいた談話を発出してほしい”(朝日 8月22日朝刊)
“その報告書(クマラスワミ報告)の一部が、先般、朝日新聞が取り消した記事の内容に影響を受けていることは間違いないと思う。我が国としては強制連行を証明する客観的資料は確認されていないと思う”“我が国のこの問題に対する基本的立場や取り組みを踏まえていないことについては遺憾に思っている。国連を含む国際社会に、我が国の立場をこれからもしっかり説明していきたい”(朝日 9月5日夕刊)
“報道の影響力の大きさを考えれば、誤報などないように細心の注意を払う必要がある。誤報があった場合は、個人や企業、国家の名誉や信頼に多大な影響を及ぼす重大性に鑑み、速やかにきちんと訂正し、責任をもって毀損された名誉の回復に最善を尽くすべきだ”(朝日 9月13日朝刊)
“誤解に基づく影響の解消に努力してほしい”(読売 9月18日朝刊)
“海外の誤解の原因になった”“20世紀前半に起こったことを21世紀の価値観で議論しないといけない非常に難しいテーマ”“日本は今、女性が活躍する社会になっていることを見せていくことが政府として一番にやるべきこと”(読売 10月3日朝刊)
“一部報道機関の報道がこれまで国の内外において大きな反響を呼んできたことは否定できない。報道機関として自覚と責任の下に常に検証を行うことは大切だ”(朝日 9月13日朝刊)
“32年間、誤報を放置してきたことは不作為による虚偽と言っても過言ではない。まずは自分(朝日新聞)自身で検証することが大事”(朝日 9月15日朝刊)
“国益に色々影響を与えた。誤った新聞報道などは真摯な反省をして頂く必要がある”“政府としては国内外に対し、しかるべき発信をこれからも強化していく”(朝日 9月16日夕刊)
安倍晋三(総理大臣)
“例えば慰安婦問題の誤報によって多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられたことは事実と言ってもいい”(朝日 9月12日)
“日本兵が、人さらいのように人の家に入っていって子どもをさらって慰安婦にしたという、そういう、記事だった。世界中でそれを事実だと思って、非難するいろんな碑が出来ているのも事実だ”“世界に向かってしっかりと取り消していくことが求められている”“一度できてしまった固定観念を変えていくのは、外交が絡む上では非常に難しい”(朝日 9月15日朝刊)
“多くの人々が傷つき悲しみ、苦しみ、怒りを覚え、日本のイメージは大きく傷ついた。『日本が国ぐるみで性奴隷にした』との、いわれなき中傷がいま世界で行われている。誤報によって作り出された”“(吉田証言について)デタラメということは、かなり早い段階から分かっていた”“教科書に事実であるかのごとく『強制連行』と書かれるのはおかしいという運動を展開してきた”(朝日 10月3日夕刊)
橋下徹(大阪市長 大阪維新の会代表、日本維新の会(→維新の党)共同代表)
“32年間過ちを認めてこなかった朝日新聞の姿勢によって、吉田清治氏の著書が国連規約人権委員会の報告書の資料になり、日本が性奴隷を使ったと世界から批判を受けた”“朝日新聞の罪は大きすぎる”(朝日 8月7日朝刊)
山田宏(次世代の党幹事長)
“朝日新聞の慰安婦報道によって被った我が国の大きな国益の損失を鑑みれば木村(伊量)社長の国会への参考人招致の必要性はさらに高まった”(朝日 9月13日朝刊)
平沼赳夫(次世代の党党首)
“相当、国益に大きな悪影響を与えた。従軍慰安婦とその他も、しっかりと(招致の)対象にしていくことが大切だ”(朝日 9月15日朝刊)
“歴史的な事実を客観的に認識することが重要だ。狭義の強制性があったかどうかだけで見るべきではない。幅の広い見方、国際社会の受け止めの状況などを見ていく必要がある”“国民や国際社会が、より妥当な理解をできるよう政治的なリードが重要で、冷静な対応が必要だ。国会でどうするか、いま判断すべきではない”(朝日 8月7日朝刊)
“朝日新聞が自らの報道を取り消し、訂正し、そして責任者がおわびをするのは極めてまれなことであり、その影響の大きさも十分に認識をしなければならない”(朝日 9月13日朝刊)
“過去を変えることはできない。未来に向かってアジアの国々とどういう関係を築いていくかに重点を置きたい”(朝日 8月7日朝刊)
“朝日新聞によって作られ、国内外に広まった誤った(慰安婦の)イメージを払拭することが朝日の責務だ。朝日は誤った報道と同じ分量だけ、修正報道をすべきだ”(読売 9月13日朝刊)
枡添要一(東京都知事)
“全くの虚偽報道であるということを反省したのは当然だ。日韓関係をここまでゆがめた一つの理由だ”(読売 8月8日朝刊)
“ある程度国益を害したことになる。元に戻るのは非常に大変。朝日さんには反省してもらいたい”(朝日 10月3日朝刊)
立場がはっきりしないものも僅かに混じっているものの、そのほとんどが国益を損ねただの、日本(人)の名誉を傷つけただの、ナショナリズムを煽るくだらないものであるばかりか、加害-被害の関係がまるで転倒している。 それこそ朝日新聞の言葉を借りるならば「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」であるときに、このように恥ずかしげもなく被害者面しているさまは「拉致問題」を契機とした猛烈な朝鮮バッシングを思い起こさせる。またこの状況は地方議会にも波及している。
・朝日慰安婦記事「意見書」を可決 大阪市議会(読売 9月10日朝刊)
・従軍慰安婦問題 検証求め意見書 北九州市議会(朝日 9月30日夕刊)
・慰安婦問題で啓発など要請 県議会が陳情採択 鹿児島(朝日 10月4日朝刊)
・河野談話見直し請願採択へ 県会自民 総務委員会で=山形(読売 10月4日朝刊)
・市議会、6年前の慰安婦意見書 「根拠失った」=宝塚市(読売オンライン 10月8日)
特に宝塚市のように全国でも先駆けて2008年に元「慰安婦」に「誠実な対応」をするよう政府に求める意見書を可決した自治体までもが今回を契機に調子付いた反動を抑えられなかったことは深刻に受け止めたい。
また今回の朝日バッシングに対して、反修正主義の立場からどれほど声明のようなものとして出ているかについては(おそらく全国メディアで取り上げられることも難しいだろうが)、WAM(女たちの戦争と平和資料館)からの声明(8月12日)、共産党が機関紙赤旗に載せた論文「歴史を偽造するのは誰か」(9月27日)、そして最近では緑の党(10月12日)と歴史学研究会からの声明(10月15日)などが一応確認できた程度である。
2.日本における歴史修正主義の台頭について
日本において今日に直接に連なるような歴史修正主義の台頭は自由主義史観研究会や「新しい歴史教科書をつくる会」が出てきた1990年代の特に半ばからであろうという前提でその概要を確認してみたい。
2-1.前史
VAWW-NET JAPANによると、日本の歴史教科書において「50年代半ばから80年代半ばまで、戦前の事実、特に日本の侵略戦争や加害の事実が正しく記述されてこなかった」という。政府、文部科学省(文部省)による教科書検定によって、これらの記述が削除や修正を強制されてきたためである。しかし、80年代半ばからは改善されるようになる。これは家永教科書裁判のたたかいと、80年代初頭からはじまった日本の歴史歪曲にたいする「国際批判」によってそのような教科書検定ができなくなったことがあげられる。国際批判について具体的にあげると、1982年に文部省が検定において3.1独立運動を「デモと暴動」、出兵を「派遣」、侵略を「進出」と書き直させたという報道があったことで中国・韓国からを中心に抗議がおき外交問題へと発展したことを受けて宮沢談話が出され教科書検定における「近隣諸国条項」が規定された。
また1986年には「日本を守る国民会議」(1978年7月結成、現日本会議)が作成した「新編日本史」についても文部省からの修正が指示された。
2-2.「証言の時代」と「否定の時代」
1991年に金学順さんが元「慰安婦」として名乗り出て日本軍性奴隷制が告発され、まさに「証言の時代」を迎えたとき、それに呼応するように訴えを否定・無効化する「否定の時代」も90年代半ばよりたちあがってきた。今日の歴史修正主義に直接に連なるものとして95年に自由主義史観研究会、96年に新しい歴史教科書をつくる会が結成され、さらに前述の「国民会議」が「日本を守る会」と統合して現閣僚の大半を占める日本会議を組織したのが97年、これらが日本軍「慰安婦」削除の運動を展開していったことはおさえておきたい。
95年.藤岡信勝らによって自由主義史観研究会の結成(「自虐史観」などはこの頃から)。
96年.中学校で扱う歴史教科書の7種のすべてに「従軍慰安婦」の記述がのるようになったことを受けて12月に西尾幹二らと「新しい歴史教科書をつくる会」を結成。
97年.日本を守る国民会議と日本を守る会が統合し日本会議が結成。
98年.「つくる会」に理事待遇で参加していた小林よしのり「戦争論」がベストセラーに。
99年.西尾幹二が「国民の歴史」を出版。
01年.「新しい歴史教科書」初版が出される。
このような歴史修正主義の運動が与えた影響を中学校の教科書を参考にみてみたい。
「つくる会」系の教科書の採択率は01年の採択率:0.039%→05年:0.38%→09年:1%を超える→11年:4%前後となっており、実数としては小さいとしても伸び率としてはこの10年間で100倍にのぼっており、実際の影響は実数よりも大きいと考えるべきであろう。それは批判を回避するために「つくる会」教科書を採用しない教育委員会であっても、同時に「自虐史観」として「つくる会」の攻撃対象となった教科書も採択しないという判断をとったことにもあらわれており、結果として中学校の教科書全体のレベルを確かに右側にシフトさせてきたといってよい。事実、日本書籍の歴史教科書は「つくる会」などから激しく攻撃され、01年の採択率はそれまでと比して半減、04年までに廃刊に追い込まれた。
これは当然、他の中学校教科書における記述にも影響を与え、97年に7種すべての教科書にのっていた「慰安婦」についての記述は、00年には検定申請本8種のち3種に減少、05年には申請段階で1社となり、12年にはすべての教科書から「慰安婦」という言葉が完全に消えた。
2-4.権力→権威→ポピュラリティ 在特会をうみだす土壌作り
「慰安婦」被害者たちの告発による日本軍性奴隷制が国際問題となるなかで、河野談話(93年)、村山談話(95年)という形で「お詫び」がなされたこととそれに反発する形で自由主義史観研究会、「つくる会」が登場し、さらに前述したとおり日本会議が加勢するかたちで運動を展開していったことは、宮沢談話以降に「国民会議」が反動的な教科書を仕掛けたのと同じ構図と重なるが、河野談話、村山談話が日本政府の法的責任を回避させ「国民基金」というかたちで決着を図ろうとしたことで温存してしまった、ある意味ではより確固たるものとして確認された、<戦前からの連続性>こそが絶えざる反動の巣窟空間を残し、修正主義をここまで肥大化させていった面があるのではないかと私は考えている。
それはまずは「国民会議」のような靖国史観の政治家たちの運動(権力)に始まって、マスメディアや自由主義史観研究会、「つくる会」という<アカデミアっぽい>勢力(権威)を経て、嫌韓・中・朝のマンガやインターネットといったポピュラリティへと、いわば言論の「上流」から「下流」へと垂れ流され(もちろんその内容においても下劣で直裁的な蔑視、憎悪を煽るものになって広がっていく)剥き出しの暴力を伴う排外デモの土壌が完成されたといえるだろう。山野車輪によるマンガ嫌韓流がベストセラーとなり「嫌韓ブーム」が起きたのは2005年だが、これを追うように翌年の2006年12月に在特会が結成された。
在特会的なものを断ち切ることは修正主義を断ち切ることと不可分のはずである。
3-1.欧州での反ヘイト法における歴史修正主義の位置づけ
前田朗氏によると欧州では歴史否定発言を処罰する法律を「アウシュビッツの嘘」処罰、あるいは「ホロコースト否定の罪と呼ぶとし、欧州における歴史否定犯罪に関する状況を整理している。それによると、
-ドイツにおいては、刑法第130条第3項で「公共の平穏を乱すのに適した態様で、公然と、又は集会で、第220条a第1項に掲げる態様でのナチスの支配下で行われた行為を是認し、その存在を否定し又は矮小化する者は、5年以下の自由刑(刑事施設収容)又は罰金刑に処される。」
*第220条a第1項とは「民族謀殺」を意味する
-フランスにおいては、2004年3月9日の法律によって、1881年7月29日の法律に第6513条が挿入。「人道に対する罪に疑いを挟む」というタイトルであり、差別、憎悪又は人種主義、又は宗教的暴力の教唆、人道に対する罪に疑いを挟むこと、人種主義的性質の中傷、及び人種主義的性質の侮辱は、他のプレス犯罪に設けられている時効三ヶ月に代えて、一年の時効とするというもの。
-スイスにおいては、連邦最高裁は、ナチス・ドイツが人間殲滅にガス室を使用したことに疑いを挟むことは、ホロコーストの重大な過小評価であると判断。歴史修正主義者に十五ヶ月の刑事施設収容と8000フランの罰金が確定。
また、アルメニア・ジェノサイドを否定した事案で、最高裁は当該犯罪は公共秩序犯罪であるとした。
他のヘイトスピーチ規定との関連は不明
-リヒテンシュタインにおいては、刑法第283条はヘイトスピーチを犯罪とし、二年以下の刑事施設収容としている。その中でジェノサイド又はその他の犯罪の否定、ひどい矮小化又は正当化、並びにその目的で象徴、仕草又暴力行為を電磁的手段で公然伝達を、犯罪としている。
-スペインにおいては、「アウシュビッツの嘘」規定が、ドイツやフランスと同様に刑法典に規定されており、合憲性についての判断として2007年11月7日、憲法裁判所は「否定」を犯罪として処罰することは違憲であるとし、「正当化」については犯罪実行を間接的に扇動し、皮膚の色、人種、国民的民族的出身によって定義される集団の憎悪を誘発する観念の公然たる流布であり、ジェノサイドの「正当化」はまさに犯罪であるとした。
-ポルトガルにおいては、刑法第240条が人種差別の禁止を定めており、第2項に「アウシュビッツの嘘」規定が含まれる。
刑法第240条「人種、宗教又は性的差別」第2項
公開集会、文書配布により、その他の形態のメディア・コミュニケーションにより、又は公開されるべく設定されたコンピュータ・システムによって、
a)人種、皮膚の色、民族的又は国民的出身、宗教、性別又は性的志向に基づいて、人又は集団に対して、暴力行為を促進した者、
b)人種、民族的又は国民的出身、宗教、性別又は性的志向に基づいて、特に戦争犯罪又は平和に対する罪及び人道に対する罪の否定を通じて、人又は集団を中傷又は侮辱した者、乃至は
c)人種的、宗教的又は性的差別を煽動又は鼓舞する意図をもって、人種、皮膚の色、民族的又は国民的出身、宗教、性別又は性的志向に基づいて、人又は集団を脅迫した者は、六月以上五年以下の刑事施設収容とする。
刑法典に規定されており、通常のヘイトスピーチ規定と同様に考えられている。
-スロヴァキアにおいては、刑法にさまざまのヘイトスピーチ規定があり、ネオナチその他の運動への共感を公然と表明することだけでなく、ホロコーストを疑問視、否定、容認又は正当化することも犯罪化している。
刑法典に規定されており、ヘイトスピーチの一種とされている。
-マケドニアにおいては、刑法第407(a)条「ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪の容認又は正当化」は、刑法第403条~407条に規定された犯罪を、情報システムを通じて、公然と否定、ひどく矮小化、容認又は正当化した者は一年以上五年以下の刑事施設収容とされる。否定、矮小化、容認、正当化が、その国民、民族、人種的出身又は宗教ゆえに、人又は集団に対して憎悪、差別又は暴力を煽動する意図をもってなされた場合は、四年以上の刑事施設収容とされる。
刑法典に規定され、ヘイトスピーチの一種とされているいるが、戦争犯罪関連条項とのつながりも意識されている。
-ルーマニアにおいては、2002年の緊急法律31号でファシスト、人種主義者、外国人嫌悪の性質を持った組織とシンボル、平和に対する罪や人道に対する罪を犯した犯罪者を美化することを禁止。「アウシュビッツの嘘」法として、ファシスト・シンボル法第6条によると、いかなる手段であれ、公の場で、ホロコースト、ジェノサイドあるいは人道に対する罪、、又はその帰結を、疑問視し、否定し、容認し又は正当化することは、六月以上五年以下の刑事施設収容及び一定の権利停止又は罰金を課される。
-アルバニアにおいては、2008年11月27日、刑法(1999年)が改正。刑法第74条はジェノサイドや人道に対する罪に好意的な文書をコンピュータ上で配布し、ジェノサイドや人道に対する罪にあたる行為(事実)を否定し、矮小化し、容認し又は正当化する文書をコンピュータ・システムを用いて、公然と提示し、又は配布した者は、三年以上六年以下の刑事施設収容とする「アウシュビッツの嘘」規定。
(より詳細については前田朗氏ブログより「慰安婦」ヘイト・スピーチ処罰法が必要だ(2)http://maeda-akira.blogspot.jp/2014/07/blog-post_5.html)
各国において諸々の違いはあるが、これらのうちの大半の国においては歴史否定犯罪はレイシズム、ゼノフォビアと結び付けられてヘイトスピーチの一種として位置づけられているということがいえるだろう。
3-2.日本におけるヘイトスピーチ規制論と歴史修正主義の関連
このスタンダードからすると、本稿2に引用した安倍晋三の“日本のイメージは大きく傷ついた。『日本が国ぐるみで性奴隷にした』との、いわれなき中傷がいま世界で行われている”、橋下徹の“日本が性奴隷を使ったと世界から批判を受けた”、高市早苗の“慰安婦問題は、日本や国民の名誉を将来にわたって傷つける情報が海外に発信されているので、しっかりと打ち消していく”などの発言が許容される余地はないはずだが、それどころか当の自民党がヘイト規制PTを設けたり橋本徹が市長を務める大阪市でもヘイトスピーチ対策として審議会を開いている。
国連からの勧告も後押しになっているのだろうが、7月24日の規約人権委員会からの勧告にしても、8月29日の人種差別撤廃委員会からの勧告にしても何も在特会によるヘイトスピーチだけを問題にしているわけでは当然ないのである。人種・民族差別について限定しても、公人によるヘイトスピーチはもちろんのこと、朝鮮学校生徒に対する高校無償化、補助金からの排除の解消、在日外国人高齢者、障害者の無年金状態の解決、日本軍性奴隷制被害者に対する補償や名誉回復などについても言及しているにも関わらず、日本のメディアのほとんどは在特会によるヘイトスピーチばかりを焦点化している。一つの参考として8月5日~10月5日の2ヶ月間において、朝日新聞でヘイトスピーチを扱った記事は100件程度、「慰安婦」は150件程度、ヘイトスピーチと「慰安婦」が同じ記事の中で出てくるものは5件、読売新聞では同期間において、それぞれ30件、120件、3件であり、いずれにおいても日本軍性奴隷制の否定をヘイトの問題として、あるいはそれに繋がるものとして扱ったものは皆無であった。
ヘイトスピーチに対する政治家たちの反応として取り上げられているのも次のようなものである。
安倍晋三(総理大臣):“日本の誇りを傷つけ、国際社会から見て恥ずかしい”
橋下徹(大阪市長):“ちょっとひどすぎる。表現の自由を超えている”“最近の在特会デモの報告を見る限り、『死ね』や『殺せ』とかはなくなって、表現は極めて穏当。これは主張やデモとして認められなきゃいけない”“(特別永住資格について)そろそろ収束に向かうべき。未来永劫続くものではない。”
枡添要一(東京都知事):“五輪開催地にふさわしくない”
(以下はヘイトスピーチ規制を求める意見書を採択した議会の旗振り役となった議員)
余語さやか(名古屋市議):“『人種差別』という評判が広まれば日本の信用を落とす”
上村和子(国立市議):“国立でもヘイトスピーチに近いことは起こっている。誰もが安心して暮らせる国にするため、地方議会から声を上げていくことは大事”
梶川虔二(奈良県議):“奈良は、差別に抗した水平社運動ゆかりの地。口火を切る意味は大きい”
これらについて、念頭に置かれているのは在特会らによるヘイトスピーチという点ではすべてに共通しており、そこに歴史修正主義の観点はない。橋下にいたっては要は「やりすぎだから、もう少しおとなしく」と言っているに過ぎない。在特会会長の桜井誠とも茶番面談を行ったが、橋下が桜井を「差別主義者」と呼ぶ光景はシュールである。そして翌日には元在特会会員が維新から出馬することがニュースとなったことと橋下が桜井に対して「選挙やって訴えろよ」と発破をかけたことを幾分邪推込みで繋げてみれば出来レースが完成する。その上に、実際に桜井が出馬しなくても特別永住資格について見直しを訴えるなどちゃっかり在特会のための「代行」宣言までしているから、あの面談は双方にとって得しかなかっただろう。名古屋市については現役市長の河村たかしが南京虐殺を否定するバリバリの修正主義者であるが、南京虐殺否定は立派なヘイトスピーチではないだろうか。また「五輪開催地にふさわしくない」(枡添)や「日本の誇りを傷つける」(安倍)、「日本の信用を落とす」(余語)といった反応はどれも被害者の人権を護るという目的意識を欠いた自己中心的な視点であり、朝日バッシングと同じ構造である。おぞましいのは歴史修正主義とヘイトスピーチ規制論が日本(人)の名誉回復として両立してしまっていることである。植民地主義の暴力による被害者の存在を再度切り捨てて旧宗主国の名誉へとすり替える帝国主義的ナショナリズムをここに見出さずにはいられない。
4.ヘイトスピーチに対抗する運動
4-1.「国民基金」という「現実主義」の非現実さ
ここで少し迂回して「国民基金」の話をするが、以下は当時、日本の知識人が韓国の知識人との間で交わされた往復書簡のうち、日本側から韓国側に送った手紙の一節である。
“日本政府にとって、「従軍慰安婦」問題は国家が犯した戦争犯罪であると法的に認めることは難しい”
“残念ながら日本とドイツとは違います。……現在のドイツ国家はナチ国家の瓦解のあとに生まれた。ナチ国家と断絶した国家だからです。……日本の戦後国家は戦前国家と連続性を有しており、したがって過去の戦争犯罪をただの一つもただの一度も自分では裁けなかったのです。七三一部隊のような歴然たる犯罪にも法的な処理はなされませんでした。このような日本国家にいま戦争犯罪を認め、法的責任をとるように求めても難しいと思います”
「なぜ国民基金を呼びかけるのか」(大鷹淑子、下村満子、野中邦子、和田春樹)より
1995年当時の(2014年現在においても)現状認識として間違っていないが、「国民基金」提案者は日本国家の「連続性」を絶つ努力を約束するのではなく、かわりに「国民基金」という形で決着をつけさせてくれと被害者に迫ってしまった。「国民基金」について高橋哲哉は、これが「現実主義的」なアプローチとして支持されたとし、「右派勢力のキャンペーンや「体政翼賛」的政治状況のなかで、メディアはすっかり体勢追随に回っています。そこでは自称「現実主義的」な言説だけがやすやすと流通し、その結果、あたりにネオ・ナショナリズム的な雰囲気が蔓延している」(「断絶の世紀 証言の時代」2000)と指摘している。しかし、その「現実主義」は結局は被害者からの受け取り拒否という形で、きわめて非現実的な解決策であったことが明らかになったばかりか、受け取るか拒否するか迫られた被害者間を分断させんとした罪深さもある(最近では基金の理事であった大沼保昭が逆ギレを起こしているがとんでもない話である)。
「現実主義的」アプローチとして社会運動の保守化・右傾化が特に3.11以降にさらに広がっているとしか思えないなかで、ヘイトスピーチをめぐる運動においても同じことが起きていないだろうか。
4-2.「カウンター」運動におけるナショナリズム、保守・右翼の参入、左翼排除
昨今の「カウンター」として大手メディアにもしばしば取り上げられるようになったものとしては「しばき隊」(CRAC)、「仲良くしようぜ」プラカ隊、男組、などがあり、これらの活動の盛りあがりは関心層にとっては周知のこととなり、去年と今年に大阪では「仲良くしようぜパレード」が、東京でも「東京大行進」の「成功」はメディアにも取り上げられた。この動きに鼓舞されるように学者や文化人を中心にした「のりこえねっと」が立ち上がったのも本ブログをお読みくださっている方々には既知のことだろうし、これらについてこれまで本ブログでも文句はつけてきたので具体的には以下の記事などを参照してもらいたい。
(1)あのね、あなたはね、のりこえられるほうなの…
http://kotokotonittei.hatenadiary.jp/entry/2014/03/16/011619
(2)ナショナリズムは反レイシズム運動にとって資源になるのか?
http://kotokotonittei.hatenadiary.jp/entry/2013/12/12/204100
http://kotokotonittei.hatenadiary.jp/entry/2013/11/01/160258
(4)本当に「レイシスト」をしばけるの?①~⑤
http://kotokotonittei.hatenadiary.jp/entry/2013/10/02/204527
http://kotokotonittei.hatenadiary.jp/entry/2013/10/02/204710
http://kotokotonittei.hatenadiary.jp/entry/2013/10/02/204825
http://kotokotonittei.hatenadiary.jp/entry/2013/10/02/205409
http://kotokotonittei.hatenadiary.jp/entry/2013/10/02/205512
(5)「男」中心主義に抗って①~②
http://kotokotonittei.hatenadiary.jp/entry/2013/10/02/201711
http://kotokotonittei.hatenadiary.jp/entry/2013/10/02/201836
(6)差別に対して差別で対抗してもいいの?
http://kotokotonittei.hatenadiary.jp/entry/2013/11/01/161848
これらの記事では「カウンター」運動がナショナリズムを煽るかたちで、ときに暴力的なまでの左翼排除を伴いながら、保守・右翼の参入を積極的に促してきた運動のあり方、暴力的な男性性に対する無批判な称揚や在特会らに対峙するにあたってスティグマを強化するような言辞を用いることでセクシズムやルッキズム、障害者差別などを繰り返していることなどに対する批判などなどがある。
確かに「カウンター」運動は盛り上がった/ているっぽい。しかし、運動の<大衆化>が保守・右翼の参入、差別に対する自戒のないものたちの参入によって、つまりは悪い意味でそのまんま「普通のひとたち」の「普通」が問われないという条件によって果たされてきたのを体制側は当然に見抜いていたであろう。そしてそれこそがヘイトスピーチ規制論がいよいよ不可逆的なフェーズにきているなかで、ヘイトスピーチ規制論に自ら参入しつつ同時に修正主義言説を露骨に公言することで許容可能なライン、ヘイトスピーチと歴史修正主義を切断するラインをそこに引いてしまっていることをやすやすと許してしまっている、いやむしろ後押しをしてしまったのではないだろうか。
おわりに
この状況でヘイト規制といわれても何が規制されるか不安は大きいし、もっと「ちょっと待ってよ!」と言いたい。
コトコトじっくり煮込んだ日帝♪(レの八分音符)