1970大阪万博🌸記念公園に行ってきた その1 - kotarosandayoneの日記【前回はコチラ】
このブログでは「1970大阪万博」としていますが、正式名称は日本万国博覧会です。
アジア初 かつ 日本で初めての国際博覧会として1970年(昭和45年)3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵で開かれました。
テーマは「人類の発展と調和」。終戦から25年、敗戦国となった日本が飛躍的に経済発展を遂げた時期に重なります。
記念館「EXPO’70」パビリオンの展示などによると「万博史上最多の入場者数6421万人」(うち外国人約170万人」とある。
当時の日本の人口は1億372万人で、単純に「日本人の6割」が1970大阪万博を訪れた計算になる。私の父親は2回行きました。1回目はこたろーを連れて、2回目は自分の父母を連れて。
生まれて初めての外国人とのツーショットです✌️怖かったのを覚えている💦笑
ちなみに2024年のインバウンド(訪日外客数)の数は3687万人に上るが、昭和45年当時に170万人も外国人を呼び込んだのはなかなかスゴイと思う。
世界77か国が出展した博覧会の「センター」をつとめた太陽の塔はランドマークとして、またそれ自体が単一のテーマ館(パビリオン)でした。
実際に「太陽の塔」の内部に入れたのは延べ6000万人の入場者のうちでも限られていただろう(調べておきます)。
開園時間は9時30分。こたろーはこの日一番乗りでゲートをくぐりました。
「太陽の塔」公式HPによると「人間の尊厳と無限の進歩、発展を表現したもので、高さは約70メートルにもなり大屋根を貫いてそびえ立ち左右に腕を広げて会場を訪れた人々を迎えました」。
太陽の塔とは – 「太陽の塔」オフィシャルサイト(大阪府日本万国博覧会記念公園事務所)
正面から見た「現在」「未来」二つの顔が特徴的です。
来場者を「出迎えた」のには相違ないが、現在芝生の真ん中に立っているしぐさはまるで怪獣を通せんぼ。「地球の平和は私が守る」という風にも見える。なぜだろう。
色がウルトラマンカラーだからでしょうか??
塔の左側から後ろに回り込んでみます。
白い胴体に浮かぶ、赤とは反対のイメージの「黒い太陽」が現れました。
顔をズームしてみると、レンガを組み合わせているように見えますが、滋賀県は信楽の土で焼かれた陶器です。何枚組み合わせているのだろう。
調べておきます。
黒い太陽は「過去」。キン肉マン似の正面中央の顔は「現在」。一番上の金色の顔は「未来」を示しているそうです。
当時からすごく存在感ありますね~。赤と黒。「表裏一体」とはこの事か。
世界三大彫刻家といえば?の問いに対して「ダ・ヴィンチ」「ミケランジェロ」に続いてこたろーは「日本の岡本太郎」を推しておきます。
やっぱり岡本ダロー(^^)
テーマ館「太陽の塔」の入場は前日までの予約制となっています。
午前10時の「テーマ館」開館前に黒い太陽真下の入り口に進む。行列が出来ているのかと思ったらさにあらず。スマホを見せて、中央口で引き換えた入場券で中に入って行きました。まずは「地底の太陽」のゾーンへ。
「なんでも○○団」で鑑定したらいくらになるんやろ。1億円?
「太陽の塔」の公式HPによると、
【博覧会当時テーマ館の地下展示には「地底の太陽」といわれる顔も展示されていました。「地底の太陽」は、高さ約3メートル、全長約11メートルにもなる巨大な展示物であったとされていましたが、博覧会終了後の撤去作業から50年近く経った現在も行方がわからない状態となっています。】
テーマ館「太陽の塔」の内部には生命の樹(せいめいのき)がありました。「この先撮影禁止📷✖」となっていたのでなるべく樹の全体が映るように。
月が無ければ海の満ち引きがなく、生命体も進化しなかったので今度月を愛でるときはそのあたりも感謝しておいてください🌙😁🌖
太陽の塔の中は当時エスカレーターが設けられていましたが2018年の再公開を前に取り外されて、今では階段を登りながら生命体の進化をみていく様になっています。
「生命の樹」の一番上には腰みのをつけたクロマニヨン人(現代人)がいました。王冠を被ったトランプ大統領👑でなくて良かったです。
入館予約について – 「太陽の塔」オフィシャルサイト(大阪府日本万国博覧会記念公園事務所)【外部リンク】
繰り返しますがパビリオン「太陽の塔」の入館には前日までのWEB予約が必要なので注意して下さい。
当時は腕の所から大屋根に出られるようになっていて、パビリオンは下からの一方通行でしたが、今は塔の内部にある非常階段を伝うように下りて行って外に出ます。
案内によると「太陽の塔」などの作品群を「生命之塔」と称している。
生命の誕生から現代までたどって塔の外に出ました。人間の母親の胎内から出てきた感じかな。ゆっくり見ても20分位です。
このアングルからみた「過去の太陽」が好きなのです。こたろーが誕生して初めてリアルで目にしました。ちょうど雲の様子が嵐を呼んでいるように見える。最強魔神の様だ。
お天気も良く、このアングルで撮れたのはとてもラッキー。ご自由にお使い下さいませ。
太陽の塔の東隣にある「EXPO’1970」パビリオンを簡単に写真で紹介します。
「おばちゃんは 時を越えても 怖いもんなし」字余り(^^)
こちらは太陽の塔の「未来の顔」の現物で、万博終了後保存のために取り外され、現在は別の顔が載っています。
万博会場全体はこんな感じだったのですね。
万博記念公園の敷地面積は広すぎて、一部を見たのみで公園を後にしました。
万博閉幕後の跡地利用として、研究学園都市計画やトラック流通ターミナルなど様々な案が出されましたが当時の大阪市長の力で?現在の様な自然公園主体のスタイルになりました。
たこ焼き一皿を「いちまい」と呼んでいました。
津駅で乗り過ごすと次は終着駅まで停まらないので寝落ちに注意💦
さて公募でえらばれた2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)のシンボルマークですが、目にした時に驚いた人もいたのでは?
東京五輪のシンボルマークに盗作疑惑が出てやり直しの経緯があったから「盗作のしよう、されようのないデザイン」に落ち着いたのかもしれませんが(こたろー独自の見解なのでゴメンなさい)。
良く見てみれば答えは簡単ですね。
大阪・関西万博は2025年4月13日開幕。期間は1970年万博より1日長い184日間。
「万博」が見つめる過去の顔・現在の顔・未来の顔。岡本太郎が太陽の塔にこめたメッセージを最後にご紹介します。
「人間の身体・精神のうちには、いつでも人類の過去、現在、未来が一体となって輪廻している」。(岡本太郎 1911-1996)
「自分」に置き換えてみましょう。過去の栄光?挫折?に囚われる事無く、かといって未来に甘えず悲観もせず、今を生きていく事の大切さ・尊さを教えてくれるような気がします。
万博記念公園 ならびにウルトラマンと宇宙怪獣が合体したのような?太陽の塔にぜひ皆さんも足をお運びください。2025日本国際博覧会の後からでも。
(以下、外部リンク)
「太陽の塔」オフィシャルサイト(大阪府日本万国博覧会記念公園事務所)
2025年2月22日(土)初回更新■■