kotarosandayoneの日記

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1970大阪万博🌸記念公園に行ってきた その2 ~太陽の塔の内側~

1970大阪万博🌸記念公園に行ってきた その1 - kotarosandayoneの日記【前回はコチラ】

このブログでは「1970大阪万博としていますが、正式名称は日本万国博覧会です。

©万博記念公園のオフィシャルHPから

アジア初 かつ 日本で初めての国際博覧会として1970年(昭和45年)3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市千里丘陵で開かれました。

テーマは「人類の発展と調和」終戦から25年、敗戦国となった日本が飛躍的に経済発展を遂げた時期に重なります。

記念館「EXPO’70」パビリオンの展示などによると「万博史上最多の入場者数6421万人(うち外国人約170万人」とある。

当時の日本の人口は1億372万人で、単純に「日本人の6割」が1970大阪万博を訪れた計算になる。私の父親は2回行きました。1回目はこたろーを連れて、2回目は自分の父母を連れて。

生まれて初めての外国人とのツーショットです✌️怖かったのを覚えている💦笑

ちなみに2024年のインバウンド(訪日外客数)の数は3687万人に上るが、昭和45年当時に170万人も外国人を呼び込んだのはなかなかスゴイと思う。

©太陽の塔 公式HPから

世界77か国が出展した博覧会の「センター」をつとめた太陽の塔はランドマークとして、またそれ自体が単一のテーマ館(パビリオン)でした。

実際に「太陽の塔」の内部に入れたのは延べ6000万人の入場者のうちでも限られていただろう(調べておきます)

開園10分前に到着 塔が“コンニチワ”

開園時間は9時30分。こたろーはこの日一番乗りでゲートをくぐりました。

「太陽の広場」万博当時は「調和の広場」

太陽の塔」公式HPによると人間の尊厳と無限の進歩、発展を表現したもので、高さは約70メートルにもなり大屋根を貫いてそびえ立ち左右に腕を広げて会場を訪れた人々を迎えました」。

太陽の塔とは – 「太陽の塔」オフィシャルサイト(大阪府日本万国博覧会記念公園事務所)

正面から見た「現在」「未来」二つの顔が特徴的です。

来場者を「出迎えた」のには相違ないが、現在芝生の真ん中に立っているしぐさはまるで怪獣を通せんぼ。「地球の平和は私が守る」という風にも見える。なぜだろう。

色がウルトラマンカラーだからでしょうか??

ちなみに塔の中央にある顔は キン肉マン ですな

完成した太陽の塔とデザイナー・岡本太郎氏 ©太陽の塔

塔の左側から後ろに回り込んでみます。

白い胴体に浮かぶ、赤とは反対のイメージの「黒い太陽」が現れました。

顔をズームしてみると、レンガを組み合わせているように見えますが、滋賀県信楽の土で焼かれた陶器です。何枚組み合わせているのだろう。

調べておきます。

黒い太陽は「過去」。キン肉マン似の正面中央の顔は「現在」。一番上の金色の顔は「未来」を示しているそうです。

「調和の広場」©太陽の塔HPから

当時からすごく存在感ありますね~。と黒。「表裏一体」とはこの事か。

世界三大彫刻家といえば?の問いに対して「ダ・ヴィンチ」「ミケランジェロ」に続いてこたろーは「日本の岡本太郎」を推しておきます。

やっぱり岡本ダロー(^^)

テーマ館「太陽の塔」の入場は前日までの予約制となっています。

午前10時の「テーマ館」開館前に黒い太陽真下の入り口に進む。行列が出来ているのかと思ったらさにあらず。スマホを見せて、中央口で引き換えた入場券で中に入って行きました。まずは「地底の太陽」のゾーンへ

太陽の塔」のデッサンが展示してありました

「なんでも○○団」で鑑定したらいくらになるんやろ。1億円?

太陽の塔」の公式HPによると、

博覧会当時テーマ館の地下展示には「地底の太陽」といわれる顔も展示されていました。「地底の太陽」は、高さ約3メートル、全長約11メートルにもなる巨大な展示物であったとされていましたが、博覧会終了後の撤去作業から50年近く経った現在も行方がわからない状態となっています。】

現在は当時のものを一部再現した展示となっています

テーマ館「太陽の塔」の内部には生命の樹(せいめいのき)がありました。「この先撮影禁止📷」となっていたのでなるべく樹の全体が映るように。

海中で誕生した「原生生物」から生命体の展示が始まります

月が無ければ海の満ち引きがなく、生命体も進化しなかったので今度月を愛でるときはそのあたりも感謝しておいてください🌙😁🌖

太陽の塔の中は当時エスカレーターが設けられていましたが2018年の再公開を前に取り外されて、今では階段を登りながら生命体の進化をみていく様になっています。

撮影禁止なので絵葉書を買ってきました

生命の樹」の一番上には腰みのをつけたクロマニヨン人(現代人)がいました。王冠を被ったトランプ大統領👑でなくて良かったです。

入館予約について – 「太陽の塔」オフィシャルサイト(大阪府日本万国博覧会記念公園事務所)【外部リンク】

繰り返しますがパビリオン「太陽の塔」の入館には前日までのWEB予約が必要なので注意して下さい。

©万博記念公園「調和の広場」より

当時は腕の所から大屋根に出られるようになっていて、パビリオンは下からの一方通行でしたが、今は塔の内部にある非常階段を伝うように下りて行って外に出ます。

案内によると「太陽の塔」などの作品群を「生命之塔」と称している。

「地底の太陽」の展示ゾーン

生命の誕生から現代までたどって塔の外に出ました。人間の母親の胎内から出てきた感じかな。ゆっくり見ても20分位です。

このアングルからみた「過去の太陽」が好きなのです。こたろーが誕生して初めてリアルで目にしました。ちょうど雲の様子が嵐を呼んでいるように見える。最強魔神の様だ。

スタイルが良く分かる 塔下部の直径は20メートル

お天気も良く、このアングルで撮れたのはとてもラッキー。ご自由にお使い下さいませ。

太陽の塔の東隣にある「EXPO’1970」パビリオンを簡単に写真で紹介します。

調和の広場 現代に通じる“未来派デザイン”

万博の歴史展示より 1900年パリ万博「巨大望遠鏡」

万博会場の周りを走ったモノレール🚝

「日本館」のホステスのユニホーム

きっといるいる 話しかけるのにドキドキした人(男性)

「おばちゃんは 時を越えても 怖いもんなし」字余り(^^)

こちらは太陽の塔の「未来の顔」の現物で、万博終了後保存のために取り外され、現在は別の顔が載っています。

万博会場全体はこんな感じだったのですね。

万博のアミューズメント施設「エキスポランド」2009年に閉園

「鉄鋼館」のホステスのユニホーム(夏・合)デザインは森英恵さん

こちらはコシノジュンコさんデザインの制服

万博記念公園の敷地面積は広すぎて、一部を見たのみで公園を後にしました。

©万博記念公園 園内マップ

万博閉幕後の跡地利用として、研究学園都市計画やトラック流通ターミナルなど様々な案が出されましたが当時の大阪市長の力で?現在の様な自然公園主体のスタイルになりました。

大阪モノレール 大阪空港(伊丹空港)方面の平日ダイヤ

千里中央御堂筋線経由で帰路に着きました

千里中央の改札前で大阪名物を堪能

たこ焼き一皿を「いちまい」と呼んでいました。

たこ焼きいちまい 飲み物はもちろん(略)

近鉄大阪難波駅構内の電車広告

平日ダイヤ 皆さんの最寄り駅と「過密度」を比べてください

こちらは大阪難波駅の休日ダイヤ ほぼ3分おき

大阪から津までこの車両で帰りました いつもほぼ満席

「津」のハングル文字が可愛い^_^ 

津駅で乗り過ごすと次は終着駅まで停まらないので寝落ちに注意💦

さて公募でえらばれた2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)のシンボルマークですが、目にした時に驚いた人もいたのでは?

東京五輪のシンボルマークに盗作疑惑が出てやり直しの経緯があったから「盗作のしよう、されようのないデザイン」に落ち着いたのかもしれませんが(こたろー独自の見解なのでゴメンなさい)。

この中には1970年のデザインを引き継いでいるものがあります

良く見てみれば答えは簡単ですね。

大阪・関西万博は2025年4月13日開幕。期間は1970年万博より1日長い184日間。

「万博」が見つめる過去の顔・現在の顔・未来の顔。岡本太郎太陽の塔にこめたメッセージを最後にご紹介します。

「人間の身体・精神のうちには、いつでも人類の過去、現在、未来が一体となって輪廻している」。岡本太郎 1911-1996)

「自分」に置き換えてみましょう。過去の栄光?挫折?に囚われる事無く、かといって未来に甘えず悲観もせず、今を生きていく事の大切さ・尊さを教えてくれるような気がします。

万博記念公園 ならびにウルトラマンと宇宙怪獣が合体したのような?太陽の塔にぜひ皆さんも足をお運びください。2025日本国際博覧会の後からでも。

以下、外部リンク)

万博記念公園

「太陽の塔」オフィシャルサイト(大阪府日本万国博覧会記念公園事務所)

2025年2月22日(土)初回更新■■

1970大阪万博🌸記念公園に行ってきた その1~野球漬けの一日から翌朝

第18回美し国三重市町対抗駅伝が2月16日に行われました。

「チーム○○市/○○町」が走るだけあって関心は高く、特にこの大会は全日本大学駅伝のコースと重なる部分が大半なので、地域住民は年に2回、沿道から声援を送る習慣があります。

©三重テレビ放送の中継映像(動画配信)から

4区のジュニア女子区間では県立稲生高校2年の小川真生選手が実業団の選手に追い上げを許さない快走で桑名市の4回目の優勝(6年ぶり)に貢献しました。今後の小川選手の走りにも期待がかかります。

さて話は変わって、いよいよ2025年4月25日、大阪・関西万博が開幕します。

その前にという訳ではないのだが今回は、1970年に同じく大阪で開かれた万博の記念公園を訪れた時のお話です。

2024年9月23日(月祝)

この日は朝から津市の球場で東海地区高校野球秋季大会三重県大会の得点係でした。オフィシャルではなく放送関係の仕事です。

好投手を要する菰野高校海星高校は共に東海大会に出場しましたが共に敗れて2025年春のセンバツ出場は叶いませんでした。

球場内の通路には津市出身の阪神タイガース・前川右京選手のサインが飾られていました(奈良・智弁学園高校卒業)。彼はこたろーの家の前を中学の3年間、自転車で通学していたので親近感を覚えます。高校卒業の関係で三重より奈良の方がファンが多いかもしれません。関西の球団やし。

津から一足飛びで大阪にやって来ました!

2025年大阪・関西万博はベイエリアで開催準備中。高校野球に続いてプロ野球観戦です(^^)/

阪神タイガース🐯ではなくオリックスバファローズ🐃の本拠地・京セラドーム。対戦相手のソフトバンクホークスこの日にも優勝決定という事でやって来ました⚾⚾⚾

打席表示の甲斐選手のほか、1番から周東・今宮・栗原・山川と日本代表が並ぶホークス打線。これでも近藤・柳田をケガで欠いているのだから恐れ入ります。

西武から来た山川の打球の速さは群を抜いていました

一方バファローズは来年を見据えて若手中心の起用。4番・森友哉も1安打でした。

ホークスが9対4で勝って優勝を決めました

小久保監督の胴上げが始まりました

優勝決定や胴上げを目の前で見たのは競技を問わず人生で初めてです。とてもラッキーでした。

王会長や孫オーナーも大阪に駆けつけて優勝を見届けました🏆

球場屋外の大きなパネル 比嘉 小田 安達 T―岡田

翌日は「浪速の轟砲」T―岡田選手や「華麗なる守備」安達了一選手らの引退試合となりました。T―岡田は現役最終打席でライト5階席に運ぶ大ファールを打ちましたが三振に倒れ、7回には「ラオウ」杉本選手が惜別弾を放って本塁打王の先輩へのはなむけとしました。

ドームから地下鉄で一本 中央区のホテルをとりました

マッサージチェア付きのダブルベッドを大奮発

昼の高校野球プロ野球ナイターと来て夜のテレビは大リーグ。野球漬けですな。

「野球で世界一🏆」の先輩 井口資仁さんの解説です

得点・盗塁数も日本人選手の最多記録(ともに記録はイチロー)に並びかけ、大谷選手がいかにスゴいかを語っています。

「配球がワンパターン」山本投手には厳しい💦

そうこうしているうちにドジャースの試合が始まりました。日本では日が変わった現地時間のデーゲーム。

この人はどれだけ儲ける 働くのでしょうか

ミッキーマウスでも「本当は園内に2~3匹いるんじゃないか。でないと体がもたない」と言われているくらいなのに大谷翔平選手の働きと言ったら!??

現地とテレビで野球の観戦疲れしたのでもう寝ます💤

翌日 部屋の窓からお隣のタワマンを見上げる

斜め下には地下鉄が通っています。一面田んぼの我が家とはえらい違いです。朝食をホテルのダイニングでとって、万博記念公園に向かいましょう。

©万博記念公園のホームページより

ホテルから大阪メトロ堺筋線~阪急千里線:山田駅大阪モノレールに乗り換えてひと駅。

阪急千里線 山田駅ホーム

こたろーが学生の頃は叔父の家族が駅前に住んでいて良く来たのだけれど、30年以上前よりも更に都会になった感じがする。

阪急の改札を出ると目の前にモノレールの駅がある

鉄筋コンクリート製の軌条(レール)を挟みつけて、バスと同じようにゴムタイヤで走るらしくて走行音は静か。

©大阪モノレール

大型の観覧車🎡が見えて来ました!

万博のアミューズメント施設「エキスポランド」から数えて三代目。建て替えに伴って微妙に立地が変わっているらしいが「万博」「エキスポランド」といえば観覧車を思い出す人も多いと思う。

前方にレールがない、脱線(落下する)??😖

この大きなレールが竜のしっぽの様に左右に振られてモノレールを案内するという。維持費も鉄道よりかかりそうなものだが、都会だからペイできるのかな?

万博記念公園駅」で下車して正面から撮影

エキスポランドは2009年に閉園して現在は「エキスポシティ」という複合施設に生まれ変わっている。そのほか運動場もあっていわゆる「跡地利用」がうまくなされていると感じた。

出ました!太陽の塔

公園の周囲の樹木とくらべてもひときわ大きい「太陽の塔」。高さは4070メートルもあり、1970年万博のシンボルとして今尚語り継がれている。直接目にするのはいつ以来・何年前だろう?(※ 以前、塔の高さを「40メートル」と示したのを訂正します)

答え:54年前。

54年前(1970年当時)の私・こたろー

正直はっきり覚えていません。4歳になった年(開催期間中は3歳)でした。

「2つの顔がある塔」。表向きから万博閉幕後もずっとそのように認識していたが実は背面にも顔があり、更には万博当時公開されていた「第4の顔」もあるという。

第4の顔「地底の太陽」

太陽の塔の謎を解くためにこたろーは塔の内部に進入する事にした。その2に続きます。

2025年2月16日(日)更新■■

1970大阪万博🌸記念公園に行ってきた その2 ~太陽の塔の内側~ - kotarosandayoneの日記【続きはこちら】

冬の東海道 鈴鹿峠越え☀️その2 2025年1月

冬の東海道 鈴鹿峠越え☀️その1 2025年1月 - kotarosandayoneの日記【前回はコチラ】

東海道・関宿をスタートして、坂下宿を過ぎて「鈴鹿越え」。この先には水害に会う前の「元の坂下宿」がありました。

旧東海道沿いには亀山市の設置した歴史看板があります。

「この辺りは古町と呼ばれ、1650年9月の大洪水で宿場が壊滅するまで坂下宿があった。洪水後、町ごと約1キロ下流に移転し、宿場町として繁栄したー」。

今も所々に石垣が残ります。

鈴鹿峠の守護神」片山神社

鳥居と石段が立派なので本殿は?と上がってみたら、

こんな感じで正直拍子抜けした感がありました

遅い紅葉の片山神社 2021年12月

東海道はこの辺りから「鈴鹿坂 八丁二十七曲がり」の急な坂が始まります。

「ほっしんの 初に越(ゆ)ゆる 鈴鹿山」芭蕉(1685)

一念発起して旅に出ようと決心し、初めて越えていくのが鈴鹿の山だ。

江戸住まいの松尾芭蕉が諸国を旅するきっかけとなった「野ざらし紀行」の年に重なります。

【参考】芭蕉が“旅人生”の最後にダウンした 暗峠東大阪市生駒市

「山賊に関する伝承が多く残り、東の箱根峠に並ぶ東海道の難所」と書かれている。

馬の水飲み場(復元・旧関町)

鈴鹿峠の頂上はもうすぐ(写真は2021年)

標高380m。東海道から高畑山への登山道を少し入ると、元の田村神社のあったところや伝説の「鏡岩」があるので立ち寄ります。

山賊がこの辺りに隠れて、岩に映り込んだ峠越えの旅人を襲った。

盗賊気分ではないが、鏡岩の上に腰をおろすと国道1号が真下に見えて素晴らしい。ここで簡単なお昼にしました。

鏡岩から望む高畑山 こちらもおすすめ

桓武天皇の勅命を受けた坂上田村麻呂が山賊を討って鈴鹿峠を「平定」。その功績を重んじた後の嵯峨天皇が田村麻呂をこの地に祀った」(田村神社由緒より)

甲賀市土山町田村神社はもともと「坂の上」にあったのですな。

峠のピークを越えて伊勢の国から近江の国に入ると、びっくりするような常夜灯があります。

金毘羅大権現永代常夜灯」と刻む。鈴鹿峠直下の近江・伊勢の信心あるものが「講」を作って石材を切り出し、道中安全のための石灯籠を立てた。高さ5m44cm。重さ38トン。

まっすぐ北方向に綿向山(1100m)が見えました

道路脇にはチェーンを巻いた雪かき車が置いてあるものの、国道1号は寒さを感じない絶好のコンディションでした。

鈴鹿峠方面を振り返る。甲賀市側は現在の国道に沿って歩く区間が多い。

玄関前に並んだタヌキが「滋賀県側に来たな」と思わせます

第二名神滋賀県起工の地」碑

ちょうど旧東海道と「現代の東海道新名神高速道路が交差するところにあります。

続いても坂上田村麻呂に関する場所。

シイノキの古木も立派で一見の価値ありですが、面白いのはその後ろの神社。大きい方が田村麻呂を祀り、小さい方は山賊を祀っているのだそうです。

拡大したので、両方拝んで下さい

さて、どんどん西に進んで田村神社に近づいてきました。神社手前の橋を渡りますが、ここは「東海道五十三次 土山」のモデルとなった場所。

宝永堂版 東海道五十三次 土山「春之雨」

「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」

ー坂下宿を通った時には日が照っていたが、鈴鹿峠を越す頃には曇って、土山に着いた頃には雨が降って来たー

荷物を載せた馬の手綱をひく「馬子」の歌う日和見の一節ですが、その歌にならったのか土山宿の絵には雨が降っています。

別の版元から出た土山宿の絵図も雨が降っている

歌川広重の頭の中は「土山 イコール 雨」なのでしょうね。それはそれとして、旧東海道は何と田村神社の境内の中を通っている。

亀山・関方面から来ると東海道を右に曲がって「二の鳥居」をくぐります。はるばる歩いて来て、「坂の上」にあった田村神社の旧社地も見て来たのでお参りしましょう。

拝殿の右横から奥に進むと「厄落とし太鼓橋」があって、参拝者は袋に入った豆を「厄」の代わりとして橋の上から投げ落とします。

かつては豆と共に「聖徳太子」や「諭吉さん」を投げ入れる人もいて、お賽銭とはいえ盗まれたらアレなので神職らが橋の下に降りて回収したらしいです。

本殿の前には山賊を射抜いた矢が交差して結界を張っているようです。この手前で足踏みしている人がいたら、もしかして人ではなくて悪霊かも??

元々は関宿をスタートしてこの先の土山宿に向かう予定が、「道の駅で暖かいものでも食べてバスを待とうか」と合点した途端、2人の体から見る見る力が抜けていくのが分かりました。

やはり三重県側からの鈴鹿峠越えは体に堪えていたみたいです。もし吹雪かれていたらここまでたどり着けていたかどうか?

一の鳥居から出て来ました これも東海道の一部です

滋賀県 田村神社 厄除大祭(田村まつり)【外部リンク】

毎年2月17日~19日の3日間は厄除大祭(田村まつり)が行われ参拝者でごった返します。

この先の土山宿の写真を入れます。

大黒屋本陣跡 小公園になっている

上の写真は水口側から見たもので微妙に鈴鹿峠に向かって傾斜しています。土山宿は滋賀県側の坂の途中にある宿場町なのです。土山宿を過ぎるとほぼ平坦な道になります。

東海道のゴール・京都三条大橋まではまだまだ先。中には東海道五十七次」と言って京都の先、大阪市高麗橋まで歩く人もいます。皆さんの健闘を祈ります。

2025年2月2日(日)節分の日👹👹に更新■■

来週はこの冬一番の寒波⛄が「来襲」するそうな。

冬の東海道 鈴鹿峠越え☀️その1 2025年1月

2024年の年末に東海道五十三次 亀山ー関 間を歩いた続き。

三重・亀山でプチプチ旅行 その3 東海道亀山宿~関宿(2) - kotarosandayoneの日記【前回はコチラ】

いつもの同行さんと「年始に鈴鹿峠を越えてみよう」という話になり、「雪の中⛄を行くかもよ~🥶」と覚悟しながら計画していた所、反して暖かい峠越えになりました。その報告です。

宝永堂版 東海道五十三次 亀山「雪晴」

三重県亀山市は冬は寒いです。冷え込みます。夏は暑いけど。東海道五十三次の関宿(亀山市)から三重・滋賀 県境越えの土山宿(滋賀県甲賀市)を目指します。

2024年1月19日(日)☀晴れ

午前9時前にJR関駅を出発。帰りは鉄道で帰って来るので駅前の駐車場に車を置きます。

車のナンバーを書いて袋にお金を入れてポストに入れる仕組み。アナログですね。

赤の⇦➡で示した区間を歩きます

地図には新名神高速道路名阪国道/JR関西線・草津線が載っていますが、国道1号は基本的に旧東海道のルートをなぞっている事はご存じの通り。

東海道関宿「東の追分」➡江戸 ➡京都 ➡伊勢

現代版なら東名阪自動車道新名神高速道路の分岐点「亀山ジャンクション」と言ったところでしょうか。「道路・鉄道・空の便」ではなく、街道しか無かった時代です。どれだけ賑わっていたのでしょうね。

この日の亀山市の最低気温は-3℃と冷え込みました。関宿はおそらくもっと寒かったでしょう。空の色が物語っています。

眺関亭(ちょうかんてい)から西の山を眺める

「関で泊まるなら鶴屋か玉屋」と言われた玉屋

関宿旅籠玉屋歴史資料館 | 亀山市【外部リンク】

関宿で泊ってみたい(みたかった)という方。玉屋のお隣の「石垣屋」で叶います。

石垣屋 旅人宿 三重の古民家ゲストハウス【外部リンク】

交通の要衝という事で、東海道歩きの人はもちろん、「自転車で日本一周」といった人達もここに集まって来ます。泊まれば旅人の貴重な体験談を聞けるかも?

玉屋の向かいには関宿を代表する銘菓「関の戸」でおなじみ、深川屋さん。

東海道関宿銘菓 関の戸|深川屋【外部リンク】

建物と一体になっている庵看板(いおりかんばん)で「関の戸」と金文字で書かれています。反対側に回ってみると。

よりしっかりとした書体で「関能戸」と書かれています。京都方面から江戸・伊勢方面をめざす人達は「関能戸」の看板を目にします。

宝永堂版 東海道五十三次 関「本陣早立ち」

大名行列は朝早く、江戸・京都 どちらを目指したのでしょうか。

江戸住まいの家族のために大名が買い求めたという「関の戸」©深川屋

東海道関宿銘菓 関の戸|深川屋【外部リンク】

鈴鹿の山に積もる雪を模して作ったといわれるお菓子。どうやら今日は⛄の心配をしなくてよさそうです。

「西の追分」公園をお掃除していた男性が「今日は気温上がるよ。汗をかく位だよ。登り坂が急だから」と送り出してくれました。朝からご苦労様です。

宿場の東西に追分(ジャンクション)がある位だからさぞかし警護も厳しかったのだろうか?何と言っても関所の「関」ですからね。

箱根関所 ©観光かながわNOW

特別史跡 新居関跡 ©MY旅しずおか

箱根の関・新居の関も「面番所」が復元されるなど今や観光スポットになっているが「関の関所」というものは地元にいながら聞いた事がない。

ヤマト政権の継承を争った壬申の乱大海人皇子が通り過ぎ、平安時代には坂上田村麻呂が峠の盗賊を退治したという「鈴鹿の関」。飛鳥時代には既にあったとされ、発掘調査では奈良時代の建物の瓦などが見つかったそうです。

鈴鹿の関跡 第一次発掘調査 ©亀山市

鈴鹿関跡 | 亀山市【外部リンク】

オレンジので囲んだところに関所があったようです

少なくとも近世以降の関は「関所」としての機能を果たしていなかったようです。

その先の流通センターの駐車場にこんなものがありました。

【転び石】山から転げ落ちて来たこの石には魂が宿っていて、通りがかる人にうなり声をあげて「山へ帰してくれ」と脅すので、弘法大師が供養したところ石は静かになったという言い伝えがあります。

手入れされた田んぼを見ながら行きます

狩野派の絵師が筆を投げ捨てたという「筆捨山」

この山の景色を気に入って絵を描き始めたは良いが、晴れたり曇ったり次々と山の表情が変わっていくので途中でやめたという話です。今日みたいに風のない一日ではなかったのでしょう。

旧東海道は坂下宿の手前「沓掛」の集落に入ります

何日も続けて歩けば履物も痛みがちです。鈴鹿峠越えを前に草履を新調して、履き古したものは軒先に懸けてこの先の無事を祈ったそうです。

バス停前には公民館があって我々も小休止しました

「峠の手前で安全を祈った」とガイドブックに書かれている超泉寺。

鈴鹿峠のランドマーク「三つ子山」

「今日のお天気はどうかな」。津市の自宅から毎朝眺める事にしています。下は別の日の写真。

続いて旧坂下小学校(鈴鹿峠然の家)を通ります。鈴鹿峠の紅葉を見に行った時の写真を載せます(2024年12月 当ブログにも掲載)。

坂下宿に入ってきました 関宿の中心部から約一里半

松屋・太竹・梅屋 本陣が3つ並んでいました 今は石碑のみ

宝永堂版 東海道五十三次の「坂下宿」はこの辺りの景色を描いたようです。

宝永堂版 東海道五十三次 阪之下「筆捨嶺」

さっき通過したように実際の筆捨山はもっと関宿寄りにあります。歌川広重室町時代の伝説の絵師・狩野元信の逸話を版画に落としたものだと思われます。

「身代わり地蔵」に手を合わせました。本によると「大名行列を横切った子供の身代わりになった」と書いてあります。

幕末の生麦事件でもそうですが行列を横切ったら「切り捨て御免」となったところをお地蔵さんが救ったくれたのですね。

お地蔵さんを拝んでいた私たちを見ていたのか、この辺りにお住いの男性が「お地蔵さんの由来を知っていますか」と声をかけなさる。

「道路で遊んでいたら事故に逢うから、お地蔵さんが見張っているから上の山で遊んでおいで」。男性が子供の頃にそう教わったのかもしれない。

旧坂下宿の交通の往来がまだ激しかったころのお話かもしれません。

旧東海道は国道1号と合流して、すぐに離れて山道に差し掛かります。その2に続きます。

2025年2月2日(日)👹節分の日に更新■■

節分前日から太巻き寿司が売っていました

美味しそうな鮪の中トロが顔を出していたので迷わず購入しました😁

今日(2/2)は前に買ってあったイワシを解凍しました!!

冬の東海道 鈴鹿峠越え☀️その2 2025年1月 - kotarosandayoneの日記【続きはコチラ】

「生駒に行こまい!」その4・生駒山上から暗峠へ【了】

その3でようやく生駒山上に着きました。

「生駒に行こまい!」その3 “神仏習合”の宝山寺と山上遊園地🎡 - kotarosandayoneの日記【前回はコチラ】

©生駒山上遊園地は2025年3月15日まで冬季休業です

「戦前戦後の象徴」飛行塔✈️はマストですが、大人も子供も楽しめるのがこちらの「急流すべり ゴールドラッシュ」。

少し顔が引きつっていますが1人ですごいね

めっちゃ楽しそう!あえて😄は隠していません

一番楽しそうだったのがこちらの女子グループ

キャー(≧∇≦)と叫びつつ、もう一度トライしていたような。春休み前に開園しますので、ぜひ一度足をお運びください。

生駒山の電波塔」といえば大阪はもちろん奈良の人達にもお馴染み。地図にも電波塔のマーク📶が並んでいます。

前日の生駒山は大雨だったそうですが、今日は空気が澄んでいて見上げる鉄塔が青空に映えます。どこの送信所だろう。

関西テレビ 通称「カンテレ」1958年開局

中居正広さん問題でサブキー局のカンテレはキー局のフジテレビに対して「カンカンテレビ😡」です。フジは何を「失敗した」のでしょう??

こちらの丸い電波塔は何だろう?

NTT西日本でした

そのお隣の鉄塔は?

MBS毎日放送(TBS系)1959年開局

NHK大阪放送局の塔 開局は1954年

NHKや民間放送テレビ塔はここ生駒山から大阪府の大部分の世帯(エリア)をカバーしているそうです。

これまでの塔によく似ているがどこかな?

大阪管区気象台の敷地内に建っていました。約15分間、上を見上げっぱなしの山歩きでしたが平坦な舗装道路だったのでけつまずかず(つまずかず)に済みました。

道が二手に分かれていました 左に取る

いよいよ1つめのマークに近づいてきました。何でしょう。

その3のクイズの答え:(1)美女との遭遇 でした。

「狭い山道は上り優先」で足を止めていました。「ありがとうございます」。すれ違った時の何とかわいらしかった事💕 しかも○族で言ったらK子さまもビックリの品の良さ。

どうしてこんなところを1人で歩いているのだろう?? 思わず生駒山上に引き返したくなりました(笑)。

大体余計なことを考えている時にけつまづくのです

けつまづく?けつまずく?どっちだろう。

そのうちにだんだん視界が広がって来て

ハイ、正解その2つめは(3)絶景との遭遇でした。

生駒山の夜景🌃も良かったのですが、あちらは半分期待してホテル🏠️を取ったけど、こちらの景色は実は想定外。

高層ビルが林立する大阪の「キタ」方面

一方、あべのハルカスが目立っている大阪の「ミナミ」方面

目を凝らすと奥に神戸方面や六甲山も良く見えます

一時の気の迷いで生駒山上に引き返さなくて良かった~(笑)

景色を見たくなった人は「生駒山パノラマ展望台」でグーグルマップを検索してください。

眼下に見えるのは東大阪市花園ラグビー場🏉

実は大阪と奈良を結ぶ古い街道は、花園あたりからこの生駒山の稜線に一気に登ってきます。それが「暗越(くらがりごえ)奈良街道」。

こちらは同行さんと2023年5月に歩いた時のもの

国道308号線は「日本一の急傾斜の酷道

伊勢本街道~奈良・大阪 その② 暗越(くらがりごえ)奈良街道 - kotarosandayoneの日記【詳しくはコチラ】

絶景を満喫したこたろーは、信貴生駒スカイラインと絡みながら生駒山の稜線を暗峠に向かって下りました。

東大阪方面から暗峠を越える(2023年)

峠の茶屋での一杯のビール🍺は最高(2023年)。

奈良方面から見た暗峠(上と反対向き)

今回はちょうどお昼前に峠に着いて、もう一軒気になっていた「峠のカフェ」へGO!

展望の良い席を見ながら「どこへ座っても良いですか?」と聞いたら「あちらはグループ席ですので」と、おひとり様席へご案内。

やはり峠のビール🍺は最高 切子グラスでいただく

展望席は長椅子になっていました。ハンバーグカレーが到着しました。

手作り感があってなかなか美味しかったです。また来たいと思います。

暗峠からはやや急な下りとなります ゴールは南生駒駅

棚田の下には乗馬体験施設があったりカフェが出来たりと整備が進んでいました。

さて【酷道】308号の中でも一カ所、誰も通らなさそうな旧道が残っていてそこには素晴らしい石仏があります。

こちらの阿弥陀如来は峠道を行く人を見守る仏様。

舗装されていますが、車は通れなかったかも

暗峠の守護神」でもある、鎌倉時代の石像をぜひご覧ください。

「朝飯前🍞の登山」も入れて、生駒駅から宝山寺生駒山暗峠南生駒駅まで休憩を入れて4時間の行動時間でした。

帰りの快速急行から 石切~額田~枚岡 間

電車の本数の関係か、生駒から名古屋方面に行くにはいったん大阪方面に出るルート検索結果が多いです。

鶴橋駅でデビューしたばかりの電車に出会う

車窓から生駒山テレビ塔を眺めながら帰ります。後日アップで見てみると

丸いNTTの塔、民放のテレビ塔などが写っています

すれ違った👩は今頃、無事に下山しただろうか?

生駒山上遊園地の「飛行塔」搭乗体験記はこちらをご覧ください。今回のシリーズも読んでいただいて有難うございました。

昭和ロマンよ、舞いあがれー。奈良の街道歩き:特別編(1) - kotarosandayoneの日記

鳥居前駅の大鳥居(1977年)©生駒市オープンデータポータルサイトより

いつか再び、「生駒に行こまい」。また奇跡の出会いは起こるかも知れない(笑)。

2025年1月28日(火)最終更新■■

「生駒に行こまい!」その3・ “神仏習合”の宝山寺と山上遊園地🎡

“なるべくコンパクトに”といつも思っているのですが、撮りためた写真を整理しながら調べていると新しい発見が出て来て、そこにダジャレを交えていくので😁どんどん長くなっていくのです💦

「生駒に行こまい!」その2・ソロ夜景🍸🌙➯麓から歩いて山上へ - kotarosandayoneの日記【前回はコチラ】

ホテルをチェックアウトして宝山寺に参拝し、そのまま遊園地のある生駒山上へ駆け上がって?いきます。ホテル前から「一の鳥居」が見え隠れしています。

⇦左が泊まったホテル 出たのは朝9時過ぎでした

ずらり並んだ灯籠 お寺というより神社っぽい

宝山寺「一の鳥居」には大きなしめ縄が飾られる

お寺に鳥居??も謎だが「一の鳥居」は普通、参道の一番手前にある。では朝一番に潜った鳥居は何?

こちらが麓からホテルまでの間にあった鳥居

宝山寺:見どころ1〜3|ますます訪ねたくなる奈良【外部リンク】

上のリンク先を見て知ったのだが、もともと「一の鳥居」は近鉄生駒駅前にあったが再開発で行き場を失い、境内の前に移設されたものだという。

ケーブルカーの麓の駅に「鳥居前」という名を残して、「二の鳥居」よりずいぶん上に来ちゃったわけですな。それで全部腑に落ちました。

毎年12月16日に取り換えられる大しめ縄

リュックを背負った登山客が境内の横を伝っていきます。

宝山寺について書こうと思ったが、上の説明を読んで下さい^_^

さてここで問題です。お寺の名前はよく「○○山○○寺」という名が付くが、

【問い】「○○山宝山寺」の「○○」には何が入る?

ウン千万円寄進すると目立つところに記念碑が建てられます

【読者の答え】そんなもん生駒山に決まっとるやろ~👹(すいません~💦)

生駒山宝山寺奈良県生駒市

「開山」というように、お寺は人里から離れた山に開かれた事から○○山○○寺と称される。神仏習合の時代には○○山がお寺の守護神とされる事も多かった。和歌山県那智山青岸渡寺など)

磐座の真下に立つ本堂(正面)と聖天堂(左奥)鳥居もみえる

「生駒の聖天さん」聖天堂の拝殿

「聖天さん」は一言でいうと利益(ご利益)の仏様、というより神様ですな。お寺の境内にあって鳥居や拝殿を持つ神社様式となっている。ここでは鈴を鳴らし拍手を打ってお参りしたい。

大統領と首相が両方いる国のようにどっちが偉いのかわかりませんが、「生駒山宝山寺」の「生駒山」が守護神である「生駒聖天(しょうてん)」宝山寺の本尊が不動明王という解釈で良いと思われます。

熊野那智大社の一の鳥居(那智勝浦町

那智山】の山号を持つ青岸渡寺

かつて熊野古道・大門坂の入り口にあった仁王門は那智大社と区別するため青岸渡寺の入り口に移された。忠実な狛犬が仁王さんの後を追って門の裏手にチョコンと座っている。神仏習合の名残はどこにでもある。

宝山寺奥の院への道」と書かれている境内の道しるべ(江戸時代)

©生駒山宝山寺のHPから 境内案内図

本堂、聖天堂を中心に、観音堂、五社明神、大師堂、開山堂、奥の院本堂など境内には「拝んで回るアトラクション」が一杯。

手前が常楽殿、正面が観音堂

生駒山上遊園地に対して生駒山宝山寺生駒山腹遊園地」と称しても過言ではないでしょう。「遊」とはゆっくりと進む。神と交わるという意味があるそうです。例「遊説」スル

宝山寺の多宝塔

仏塔のうち屋根が二層のものを「多宝塔」と呼ぶそうですが、仏塔はお釈迦様の骨をおさめる塔で、経典を納めているお寺も沢山あります。「仏の教え」の象徴といってよいのでしょうか。

さらに奥の院がありますが、多宝塔のある所から生駒山上を目指す事にしました。最後に宝山寺のアピールをもうひとつ。

こちらは「歩く・な・ら」奈良県のHPの中の「ますます訪ねたくなる奈良の寺」のページですが拡大して右上の部分を見てください。

東大寺宝山寺室生寺長谷寺

宝山寺は奈良のお寺の四天王?に数えられている。皆さんも一度訪ねてみてはいかがですか。こたろーも今しがた、四天王を制覇したばかりですが。

宝山寺ルート|ますます訪ねたくなる奈良【外部リンク】

生駒山宝山寺に行くには近鉄生駒駅からケーブルカーが便利です。「ミケ」「ブル」の出迎えてくれた方に乗ってください。(写真はミケ)

本堂のあたりまで戻って生駒山上へ、ここから登山道らしい道となります。

手前に途中の梅屋敷駅 眼下には生駒市街地

ケーブルカーが上がってこないかなあ~と思っていると、警報機の音がしたので(生駒ケーブルには踏切がある)しばらく佇んでいると。

ものすごい可愛い(派手な)ケーブルカーが上がって来ました🍰🍰。その名も「スイート」。時刻を見たら🎡開園20分前です!

近鉄生駒ケーブルの豆知識 | 近畿日本鉄道【外部リンク】

ケーブルカーに追い抜かれた後も坂を上がっていきます。石畳あり、

長い階段あり。

何かがおかしい。自分は昨日生駒山で泊っていたはず。この標高差は何?

けさのホテルでの朝食のシーン

景色の良さに「山の上で泊っていた気分」だったのですが、勘違いでした。帰った後で標高と距離をまとめてみると。

生駒駅(ケーブル鳥居前駅)とホテルの標高差:約180m に対して、ホテルからケーブル生駒山上駅までの標高差:約300m。慣用句ですが「甘かったっす」。

なんでこんなに階段ばっかりなんやろう~(笑)

例によって一番しんどいところの写真はほとんどありませんでした。

頭のうえに「ぷかぷか🐼パンダ」が見えて来ました!

ようやく山上遊園地🎡に着きました。午前10時の営業が始まっています。今乗っている人は一番乗りかな🙌

ケーブル生駒山上駅。遠めに見ても子供たちの楽しそうな雰囲気が伝わってきます。

一方、肩で息をしているのは私、こたろー。宝山寺の境内から山を登って来たので「朝飯前の登山」より倍近い1時間を要しました。

今朝、麓の近鉄生駒駅から歩いて来ました

途中ホテルで二度寝しましたけどね(^^)。

生駒山宝山寺にもお参りしたので「生駒登山完全版と言っても良いのでは?と胸を張る

©生駒山上遊園地HPから 園内マップ

ケーブルカーのところでも紹介しましたが、生駒山上遊園地が開園したのは昭和4年(1929年)です。

開園当時からある遊園地のシンボル「飛行塔」

飛行塔はマスコミで取り上げられる事が多いので若い人にも知名度があり、園内でも人気ナンバーワンです。

この写真は飛行塔の上から撮った写真です(©生駒山上遊園地)。標高640mの山上にある高さ30mの飛行塔。

周りの遊具と比べても鉄骨製のトラス構造が時代を感じさせます。戦時中は海軍の防空監視塔として使われ、取り壊しを逃れました。鉄を拠出するために溶かされてしまったら二度と再建されることは無かったかもしれません。

かつては宙返りコースターなどの絶叫系マシンもあったそうですが、USJなどのテーマパークと差別化を図ってファミリー向けに転換し、2024年の年間入園者数は40万人が目標だそうです。

奥が「ぷかぷかパンダ🐼」手前が「イーグルフライ🦅」

えっ?遊園地の紹介がてら遊具に乗らないのかって?

乗りませんよ。子供どころかそろそろ孫の手を引いて歩く年代になりました(1966年生まれ)。今回は参拝登山をしに来たのです。

ゆうべはケーブルで「カンパイ🍻登山」でした

山上一帯は園地になっているけど、山のてっぺんはあるはず。地図にも三角点▲のマーク(642m)とある。

工事関係者らしい人に「すいません。生駒山頂はどこですか」と訪ねると「あそこです」と目の前の遊具を指される。

遊具「SL列車」の敷地内に「生駒山頂」はあった。

生駒山に登頂」できないやんか(^^)

個人様のサイト(下)より

遊具の駅看板を見ると「頂上(ちょうじょう) なら⇦➡おおさか」とあるが、正真正銘の頂上だった!

暗峠を越えて生駒山へ♪三角点が生駒山上遊園地の真ん中に !? | 山ちゃんねる【外部リンク】

山頂なのに凹んだところで、「その4」に続きます。クイズです。

の地点でビックリな事が待ち受けていた

さて何でしょう??(1)美女との遭遇(2)🐻との遭遇(3)絶景との遭遇

2025年1月25日(土)更新■■ 

「生駒に行こまい!」その4・生駒山上から暗峠へ【了】 - kotarosandayoneの日記【続きはこちら】

「生駒に行こまい!」その2・ソロ夜景🍸🌙➯麓から歩いて山上へ🐾

「生駒に行こまい!」その1・伊勢と関西をつなぐ店 - kotarosandayoneの日記【前回はコチラ】

「前乗り」で夕ご飯を食べてホテルに入る前にその2に突入してしまいましたv_v ここから徐々に速度を上げていきます。

夕食後、ケーブルで生駒山の「門前町」にやって来ました

めっちゃぶれてる📷。麓で「吞み比べ🍶」をしたからでしょうか。

土曜夜(夕方6時過ぎ)の生駒山門前町はとっても静かです。

こちらは旅館の案内看板で、門前町宝山寺お参りの「精進落とし」や親睦の檀家さん達で賑わっていた頃が伺えます。

さてそんな階段続きの門前町に「今夜のわが宿坊」はありました。カンナビイコマヤマホテル。

なんだか生駒山門前町のイメージとは違って、ネパールやブータン王国の感じ。外国人スタッフが常駐していると口コミにありました。

「チョウショクはつけますか?」「ありがとう。大丈夫です」。若い人達から「大丈夫です」と言われ始めた頃、最初は困惑していたが、国際社会でも通じるんだな~。

ケーブル駅からホテルまでも結構、段差がキツかった

新米のスタッフにエレベーターに案内され、部屋の階で降りるともう一度その彼が立っていて、部屋まで案内してくれました。階段を走って上がる音が響いていました。

そこまでしなくてもいいのに~。

こちらが、予約していたデラックスB34」号室。何がデラックスかというとー。

テレビがありません それは置いといて、

B34号室からの眺望!!

畳の部屋以外に、テーブルと椅子の置かれた張り出しの小部屋から奈良の夜景を独り占めできるのです!

いや、「二人占め」の方が良いんだけどね。そこは突っ込まないでね。

着替えてお風呂に入って「バータイム」の始まりです。ラテのボトルには別のモノ🍷が入っています。(プラスチックのカップも「ボトルの中身」も家から持ってきました 全てはこの瞬間のために💦)

山に花火の音が時折響くのでググってみたら「あやめ池」の花火でした。写真には写っていないが遠くかすかに見えました。

何と言っても「軽井沢町」が眼下にありますからね。「前ノリ」でありながら今回の旅のハイライトと言っても良いでしょう。

さて、手元にはもう一枚切符がある。「回収箱」に入れ忘れたのではなくて、近鉄生駒駅方面「下り」の切符。

今、生駒山の中腹のホテル🏠にいます

「朝食はつけますか」「大丈夫です」と言いました。明日はケーブルカー🚞で下りて生駒駅前のコンビニヘ朝食を買いに行って、歩いて👟ホテルヘ帰って来るつもり。

ホテルから山上までの歩きでは楽勝過ぎて「生駒山に登りました」とは胸を張って言えないじゃん~😉

2024年10月20日(日)

朝6時に目が覚めて、生駒山に泊まっている事に気がついて外を見ました。変わらずデラックスな景色だな~と思って窓を開けた瞬間、、

🥶寒っ!!

昨日は南からの暖かい空気が入って雨も降ったのですが、天気が回復して空気が入れ替わったみたい。寒い。

後で気象庁の観測データを調べたら 10月20日 生駒山 最低気温10℃最高気温16℃。生駒山にも秋が訪れたようです。

最高気温は前日(19日)より8℃も低かった。

今度は「ブル」号に乗って山を下ります

生駒ケーブルの歴史】

大正7年(1918)日本初のケーブルカー(鋼索線)として鳥居前ー宝山寺 間が開業。11年後の昭和4年(1929)には生駒山上遊園地の開園に伴ってケーブルカーが山頂まで伸びる。

宝山寺への輸送力を強化するため、複線化された事もあったが戦争に突入して資材投入のためもう一度単線に戻り、山上遊園地は閉園して海軍の占有となる。

きのう乗った「ミケ」😼とすれ違う「ブル」🐶 途中踏切も3カ所ある

終戦直前の1945年8月1日、山上線が運行を再開。のち複線運行も再開して2000年には「ブル・ミケ」号が誕生🐶😼。2018年にケーブル開業100年を迎えました。

 近鉄生駒ケーブルの豆知識 | 近畿日本鉄道【外部リンク】

それだけ長い、紆余曲折の歴史があったのですね。鳥居前駅近鉄生駒駅前)に着きました。

朝食を買い、今度は歩いてホテルに戻ります

きのう(土曜日)は遅くまで賑わっていたでしょうね。生駒駅から始まるこの道が宝山寺の表参道になっている。

まもなく、上り坂が始まります

ここから階段ばっかりの写真になりますが、宜しければ読み飛ばしてください。

ホテルまでの標高差は約200m ゆっくり上がります

大きな常夜灯が、反対側にもあります

階段ではないところも、表参道は車両通行禁止

もうちょっと上がったらひと息つけるかなと思って上がると、また次の階段が出て来る。

大〇〇〇 何と書いてあるのか分かりません

「6丁」と書いてある。これは朝の散歩ではなくて生駒山登山🥾の一環なのだ。

「朝の散歩」の方にさっさと追い抜かれました

毎日ここで散歩していたら足腰が鍛えられるだろうな~。

鳥居が見えて来ました。もうすぐ「門前町」かな?

寶山寺(ほうざんじ)大鳥居

まだまだでした~。

山門まで「9丁」=10分の9来たことになる

門前町の一番下で営業されている「つぼ美」さん

そうしたら、きのう赤く灯ってこたろーを出迎えてくれた看板が目の前に。

「観光伊駒」朝からケーブルカーひと駅分を登り切ったぞ。

着きました~💦🥾 午前6時56分

ご覧の様に、同じような階段の景色ばかりで少々うんざりしていたが、それでも生駒駅のコンビニを出てからちょうど30分でした。

しんどいというより眠い もう一度寝たい(笑)

まだ出発予定まで時間があるので、ゆっくり朝ごはんにしましょう。

もう一度同じ景色を見ながらの朝ごはん🍞☕

麓で早朝営業のお店とかあっても、なかなか経験できないこっちの方が良いもんね。

チョコ系を2つも買ってしまいました 寝ぼけているな

また寝間着に着替えています。そうです。

二度寝」するのです🙌

朝6時台のケーブルカーで山を下りて、朝飯を背負って登って食べて二度寝する。旅先でこんな贅沢な幸せなことがありますか?

布団の中から 青空が広がって来ました ワーイ😃

寝間着のままゴロンとなって、その2が終了です。むしろスピードダウンしています。ひどいですね。

宝山寺 聖天堂拝殿

麓から中腹(ホテル)までの疲れも癒えたので、さっさと着替えてその3に行きます。宝山寺参拝と遊園地のある生駒山上、そこからの縦走と進んでいきます。

2025年1月18日(土)更新

「生駒に行こまい!」その3・宝山寺と山上遊園地 - kotarosandayoneの日記【続き】