さて昨今電子書籍ブームである。いま日本にいるのもあって電車内などあちこちでタブレットを開き、電子書籍を読んでるらしき人たちを見る。
俺も iPad 2 や Nexus 7 の Kindle アプリでよく電子書籍を読んでいる。漫画も読めばビジネス書のようなものも読むし、小説も読みたい。Kindle はよくセールもやってるし、端末を選ばないし使い勝手がいいので気に入っている。端末から削除しても Amazon 側で保存されてて、読みたくなったらまた本棚から取り出すようにダウンロードすればいい。たいへん気が楽だ。
ところで Kindle が日本でサービスを展開する前に別の日本国内の電子書籍サービスで購入してしまった漫画がいくつかある。漫画の画質が良いと評判のサービスなのだが、端末の乗り換えがたいへん不便で、Kindle のように iPad で読んでた本の続きを電車内で iPhone で読もうなどと思うと、一度端末からサーバに本を戻す作業をしなくてはならない。うっかり端末をリセットしてしまった時などサーバ側に本を戻せなくなってたいへん焦った。ヘルプを読みながら1〜2時間格闘した覚えがある。
いくら画質が良くてもこんな使い勝手が悪いのではやってられないので、そこで買った漫画も Kindle で続きを読みたいなあなどと思ったのだが、さてはて中途から買うのもどうにも気持ちが悪い。前の巻を読み返したいときなど別のアプリを立ちあげなくてはならないし、またあの使い勝手の悪いものを触らなければならないのかと思うと憂鬱である。
それで気づいたというわけでもないのだが、改めて「電子書籍と本は違うなあ」と思ったわけだ。本ならどこで買っても続きを気兼ねなく買うことができる。うっかりだぶって買ってしまっても売る場所がある。あんまりおもしろくて人に薦めたいと思えば貸すこともあげることもできる。親から子へ子から孫へ読みつぐような本だってある。
本は資産なのだ。
だが電子書籍はそうはいかない。Kindle は人に貸すサービスなども展開するようだけれども、あげることはできない。売ることもできない。おそらく子供に受け継がせることも難しいだろう。ないとは思うがうっかり Amazon がサービスを停止したらすべてが消えてなくなるかもしれない。
電子書籍は、本のような資産ではないのだ。
これはおそらく名前が悪い。本来の意味での電子書籍は、本のように売ったりあげたり受け継がれたりされなければならない。DRM のようなコピー防止がついてるものは電子書籍と呼んではいけないのである。
先日100周年を迎えたオーム社の電子書籍は、割とオープンな形式である PDF で記述されており、DRM もかかってない。これぞ本物の電子書籍である。
Apple の iTunes で買った音楽は、CD に焼き付けたりコピー可能な MP3 に変換したりする機能がついている。多少の劣化はあるだろうが、十分受け継ぐことが可能な資産と言えるだろう*1。
電子化されたところでこうしてきちんとやってるところはやっているのに、実質的に「電子書籍」とは呼べないものがまかり通ってるのは根本的におかしな話である。実態としては「有効期限の明記されてないレンタルサービス」でしかないし、「電子書籍」という名前を使ってはいけないし、紙の本と同額の値段で提供していいものでもないだろう。どうせレンタルサービスなら期限付きにしてもっと安くしてくれたらもっといっぱい漫画や本が読めるのになあ。借りて気に入ったら追加料金で DRM 無しで永久に読めるとかだって技術的に難しいものでもなかろうに。
消費者に誤解させて価格を維持してるようにも見えてしまう。こういうのこそ消費者庁の出番なんだろうけれども、彼らはモチより事故数の少ない蒟蒻畑を叩き潰すなどの仕事で忙しいのか動いてる気配がない。
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蒟蒻畑って大好きなんだけどそこらで売らなくなっちゃったし Amazon だと1ダース単位でしか売ってないので不便なんだよね……。蒟蒻畑をつまみつつまともな電子書籍を読みたいなあと思うのだが、こんな夢もなかなか叶わない。とかくこの世は生きにくいものである。