「ありがた山」と呼ばれている山がある。そのスピリッチャルな響きで、舌の奥に苦いものが走るかもしれないが、今から書く文および写真がそれ以上の驚きをもたらすことを保証する。その山の名前は、豊島区駒込にあった大量の無縁仏が昭和10年代に運びこまれたことに由来する。石仏を運ぶときに「ありがたや、ありがたや」と唱えたようである。
無縁仏が結集している地はそこまで珍しい光景ではない。よく知られた事例だと、当尾や高野山などにあり、山奥の風景にふさわしい佇まいなのだが、同じ風景が東京の、しかもさほど山奥でもないところにあった。当尾や高野山は鉄道の最寄り駅からバスでけっこうな時間がかけてずんずん登っていくが、ありがた山は京王読売ランド駅から徒歩10分のところ。最初に訪れたとき、新宿駅からだと30分少々でこんなところがあるとは信じられなかった。
ありがた山の存在を知ったのは、京王相模原線に乗っていて見えていた、若葉台~よみうりランド間に謎の丘からである。
通勤電車でここにさしかかるにつけ、「この山を超えたら何があるのだろう」と思っていたのだが、その気持ちは週末を迎えるとどこかに飛んでいってしまって海沿いの地域や博物館に赴いていた。つまりその気持ちは、好奇心を装った現実逃避の感情に過ぎなかったのである。
この、「解消するほどには関心が持てなかったあの丘の向こう」問題であるが、不要不急の外出が制限され、通勤電車でしか移動しなくなってしまい、無意識下でゆっくり熟成されてきた疑問が一挙にガスを放出し、わたしの好奇心が爆発に至(り、周囲に異様な臭気のガスを放っ)たのであった。
実際に行ってみると想像以上だったのでこの報告に至る。
京王よみうりランド駅を降り、北側、つまりよみうりランドと同じ方面に出て、妙覚寺に向かって坂を登っていく。
妙覚寺の脇の道を登っていくとありがた山に着くのだが、途中の空き地が開発中なのが見える。
石塔を避けて開発をするようで、仕上がったらどうなるのだろうかと好奇心に駆られる。
住宅地の奥に社があり、チラ見しているだけでも満足感がある。
あっという間にありがた山の麓らしき場所に到着。
麓には有縁なる仏様たちがいて、登っていくうちに無縁になってくるようなのであるが、もしかするとありがた山の麓と思っている場所は、山に含まれていないのかもしれない。そいて有縁仏のいるところもcoming soonになっているところが目立つ。開発の関係で、新規の仏様は募集していないのかもしれない。
まだ頂上からはほど遠いが、若葉台方面がよく見えるし電車も見える。
古墳は見晴らしのよい場所につくられることが多いが、豪な族でなかったとしても、見晴らしのよい場所で眠れるに越したことはない。
ここから京王線が見えるということは、京王線からもここが見えていることを意味していて、たしかに記憶を辿ってみると、何度かお墓のようなものを見ていたのかもしれない。
有縁ゾーンを抜けると、またしばらくcoming soonになって、さらに登っていくと、無縁仏4000柱のあるところに着く。
映画の撮影などでも使われていたらしいのだが、都心近くにこんなに不思議な場所があったとは知らなかった。
地蔵堂兼手水舎のようなところがある。
カップがあるところを見ると、飲める水だったのかもしれないが、今は濁っている。
これは開発の影響なのか、単純に天候の問題で水が少なめで滞留しているのかはわからない……と思いながら、リュックに入れていた南アルプスの天然水を飲んだ。
ありがた山の頂上へは、無縁仏のある斜面の真ん中を歩けば最短距離なのだが、なんとなく失礼な気がして、脇道から登ってみることにした。
しかし脇道は蜘蛛の巣だらけで、あまり人が来ていないことを物語っている。わたしのあとからきたもう一組は、下から見て満足して帰って行ったようだった。
途中に朽ちかけのお堂を発見。物置なのかもしれないがいい感じである。
蜘蛛の巣をかきわけて頂上らしき場所についた。
きたところを振り返ってみると、壮観である。
京王線から中央線の東京西部がさらによく見える。遠くに見えるのはおそらく小金井あたりで、やはり中央線沿線は西の方に来てもけっこうな都会だな……。
そして眼下に見える無縁仏たちの圧迫感……。あたりまえだけれど、これだけの方がそれぞれ亡くなって、親族や親しい人が魂の平安を祈って墓石を作ってきたという事実に圧倒される。
「武蔵国五字ヶ峯 一丁」とあった。これがこの山のかつての名前だったのかもしれない。
考えなしにここにきてしまったのだが、驚いたことに、この山の向こうでは大規模な開発がされていたのだった。
しかも、ありがた山で聖域とされている場所だけは(少なくとも今は)丁寧に除かれている。
結界のように置かれた板碑を超えたら、土と重機の世界。コントラストに圧倒された。通勤中に、呑気に「あの丘の向こうはなんじゃろか」と思っていたが、ここまで大規模に山が削られていようとはまったく想像が及ばなかった。
下から見て満足して帰った人はこの風景を見ずに帰ってしまったのか、仁和寺にある法師のような話だなと思った。この風景は本尊というわけでもないし、見たら後悔したのかもしれないけれど……。
帰宅して、風景を見返していると、「開発している側からはどう見えているんだろうか(注:物理的な意味で)」という気持ちが日に日に強まり、2ヶ月後、隣駅の稲城側からありがた山方面に向かった。
住宅街を奥に進んでいくと、行き止まりになっていて、削られた山が見える。
住宅街のすぐそばで開発、という風景は、人によっては殺伐としていると思うのかもしれないが、わたしの育ったところも同じ感じだったので、むしろ、ふるさとを感じるほどである。
工事の囲いに沿ってさらに登って振り返ると、ありがた山が見えた。
板碑が結界のように見えるのは変わらず。
開発が終わったら、それなりに自然な感じに仕上がるのだろうけれど、このときの写真と見比べてみたいと思う。
ありがた山の風景も、ここまで驚きに満ちた風景をたたえているのは、わずかな間かもしれない。現に、この近くに洞窟があったのだが、危険なのでCLOSEDになってしまっている。
これからは、ちょっと気になる場所があったら、すぐに行ってみようと思ったのだった。
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