ニコ厨、作品への愛は
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今日、新入社員の若い連中と飲む機会があった。
そいつらはオタク。ボカロ厨、ハルヒ厨、東方厨だった。いわゆるニコ厨だ。
話を聞いていて思ったのだが、最近のオタクは本当にウザさがなくなった。
人に押しつけない。自分の知識をひけらかさない。自分達をランク付けしない。
(中略)
最近のオタクは作品の知識とかどうでもいいらしい。
東方厨の子にゲームの感想を聞いたら、「やったことがない」という言葉が飛び出してきて驚いた。
なんでやったこともないのに、その作品を愛せるのか。東方の話のストーリーすらよく知らないらしい。
そもそも彼らには”布教活動”という概念すらない。本当に作品を愛しているならば、他人に熱心に勧めたくなるはずだが・・・。
彼らの空気感がどうも自分のような古株のオタクにはよくなじめない。
酒が好きで毎日がぶ飲みしている、普通のおっちゃんたちに、彼らが好きな酒の知識、情報、こだわり、そんなものがあるか。多分、それほどはないと思う。彼らは、飲んで、酔って、幸せ。それだけだ。
ニコ厨が、毎日、上がっては消えるネタの数々についていく行為は、それに近い。別に原作のシューティングゲームをやっていなくても、「ゆっくりかわいいww」で充分。
だから、それらは容易に別のキャラに置き換わり得る。ニコニコ大会議でひろゆきが「(アニメを削除しても)MADを作る人は、作れる素材で作る」という主旨のことを言っていたが、MADに限った話ではなくネタはデータベースの中の互換性がある1データにすぎず、そこに増田氏*1の言う意味での作品への愛はない*2。
では、そこにあるのは何かといえば東浩紀さんが『動物化するポストモダン』の中で(ry