今夏、書籍としてはほぼ初と言っていい、民主党についての実証的研究が出版された。若手の研究者を中心とする本書では、民主党の特徴を予め(1)理念や政策の曖昧さ、(2)政権獲得の追求、(3)組織戦略の不明確性の3つに見定めた上で、その曖昧な組織と政策についての分析を行っている。
1章では、地方議会における民主党所属議員の議席割合が自民・公明・共産各党などと比較して低水準であり続けていることや、党員・サポーター数が自民党の3分の1程度に留まっていることなどから、民主党の地方組織の脆弱さが示される。これは、国会議員を中心として結成されたため、院外の社会的基盤を欠いている同党の性格を現わすものとされる。
地方組織を分析した4章と5章はそれぞれ、地方組織が未発達な地域に同党所属の国会議員が誕生することで組織化が進む事例や、主要な支持団体たる労組内部の対立(旧総評系と旧同盟系)が局面によって表面化する事例を扱い、「上からの創出」に基づく民主党における社会的基盤の弱さと不安定さを裏付けている。
同党については結党以来「寄り合い所帯」との批判が付きまとってきたが、3章が明らかにするように、党内対立を促進しやすい「開かれた」党首選を行った新進党に対して、党員投票を伴う代表選があまり行われず、代表選後の処理も融和的に為された民主党においては、紛争の封じ込めが成功してきた。また、旧党派を持たない新人議員の増加が旧党派の対立を相対化する中で、党内グループ間のイデオロギー距離は縮小し、グループ内の立場は拡散している(2章)。
編者2人による1章では、「試論」と断りながらも、民主党を「資源制約型政党」であると性格付けている。既存の政党類型を踏まえた上で提出されるこの新類型は後に続く章では登場しなくなるが、同じ大衆的基盤を欠いた政党類型の中でも、効力・人員確保の両面で組織動員の縮小に直面するためにマーケティング的手法を用いる「選挙プロフェッショナル政党」や、党員減少による党財政悪化のために国家財政からの補助を求める「カルテル政党」などとは区別されるものだとされる。
そもそも無党派層の増大は、人々が今や政党に対する恒常的結び付きを持たないことを意味しており、党活動への参加、党費の納入、アイディアや情報の提供、公職への候補者の供給、選挙における投票といった諸資源を政党が社会から調達することが困難になったということである。社会からの資源調達が難しくなる中で形成されなければならなかった民主党はさらに、自民党による一党優位体制のため、国家からの資源調達も困難であった。政権交代も問題を解決しない。経済のグローバル化が国家による市場のコントロール余地を狭め、財源や規制権限などの国家資源を党派的に利用することへの制約が強まっているからである。
このように、国家からも社会からも十分な資源調達が困難な環境下に置かれていることが、資源制約型政党たる意味であるとされる。同類型については、自民党一党優位支配下の野党やグローバル化状況下の与党が民主党に限られないことや、政党交付金を通じた国家からの資源調達が為されていることなどから、カルテル政党との違いが解りにくい。また、資源制約型政党であることが、選挙プロフェッショナル政党であることと矛盾するわけでもないだろう。
それでも、社会から動員される政治的資源が乏しいことが利益集約能力の低さに結び付いているとの指摘は重要であり、同党が自民党的な利益誘導政治への批判をアイデンティティーの源泉としてきたことや、左右に振れる政策の中でも比較的一貫している普遍主義的政策傾向(8章)などは、この点と結び付くだろう。
政権交代は自民党に対する批判票の受け皿として民主党が受け止められた結果であり(7章)、民主党の支持率上昇は、政権交代の可能性および実現とそれに伴う報道量の増加に導かれている(6章)。これは政権交代を追求してきた同党の成功であり、「政権担当能力」をアピールしてきたことの正しさを示すものである一方、民主党の政策そのものへの支持は乏しいことを意味する。
自民党に対する「懲罰」を可能にする代替的選択肢と見なされる民主党には、政権獲得を通じて自民党との政策的差異の縮小が促される*1。子ども手当や高速道路無料化などに代表されるような、自民党型の利益誘導政治――斉藤淳の言葉を借りれば「エコヒイキ」――へのアンチとして生み出された普遍主義的な政策――いわゆる「バラマキ」――が(財源制約があるとしても)さほど支持を得ていないことは、民主党の存在が旧来の政治システムを敵視する一点で糾合された一種ポピュリスティックな政党であり、具体的な個別のニーズとは切り離されていることを意味するのかもしれない。
民主党の地方組織が未だに育っていないのは、国政におけるポピュリスティックなニーズと地方政治における個別具体的なニーズが直接結び付くものではなく、相互に分断されていることを示しているとは考えられないだろうか。本書4章の指摘によれば、民主党地方組織の形成を促し支持者を動員するにあたって共通する明確なインセンティブは、非自民の結集という以外にない。だが、非自民であることが普遍主義を志向することになるとは限らない。既存の利益誘導政治に対する様々な不満は、異なる形の利益誘導(エコヒイキ)への欲求であることが多いのである。
個別の異なる利害を糾合するポピュリズムがあくまでも疑似普遍主義にしかならないことを思えば、普遍主義的な負担と分配への支持不拡大も理解可能である。共通する敵を名指すことによって個別的な利害を糾合するポピュリズムが民主党政権として一度成功したとすれば、その果実に対する失望が次なるポピュリズムを生み出したとしても、不思議ではない。