この記事たいへん面白かった。CATLは巨大電池メーカーというだけでなく、いまや次世代バッテリー技術開発でも先端を行ってる企業で、特許数が日米の企業よりずっと多い。こんな背景があったとは。
ソーラーパネルにしてもバッテリーにしても、米中は政治を盾に、札束を矛にして全力で殴り合ってる。もともと世界一だった日本勢には政治も札束も無く、輸出のできなかったソーラーはほぼすべてのメーカーが撤退し、バッテリーも国内生産がまったく伸びておらず、風前の灯だ。企業の経営能力を見ても、叩き上げ初代の中国に、叩き上げ+プロ経営者の米国という布陣に対し、サラリーマン経営者の日本。ショボい札束と何もしない政治を背景に、ダメな経営によって全力すら出せない。勝てたら奇跡だと思う。
一番の問題は、こういう構造的にダメなものを「以前から決まってることだから変えられない」と考えてしまう社会的メンタリティというか、もっと言うと「バカ殿に何も言えない日本文化」にあると思うのよね。
状況を定めたのは、国家レベルで言えば、次の時代にエネルギーシフトが非常に重要になること、大変な量が必要になるんだから量産で安くすることで誰もが富むということを戦略的に考え、すばやく意思決定できたかどうか。さらにはどんな人が勝っていくべきかという考え方だろう。企業レベルで言えば、投資すべきところに投資する能力だ。
企業にできたことは多くはない。社会に適応して自然に振る舞っただけだ。だからこれらは国の戦略、あるいは哲学によって生まれている。日本は前例踏襲と既得権益保護が強すぎる政治構造を変えられないまま30年が過ぎた。ウンコなエスタブリッシュメントをちゃんと下剋上で殺さないから社会全体が死ぬ。
日本は天災や戦争の多い国なので、日本人はスクラップ&ビルドのビルドの部分だけ得意な感じがある。江戸時代から庶民に至るまで職人気質が定着して、なにかというと一人でこもって黙々と作る人たちである。こつこつ作るのはメチャメチャに得意であるといえる。
そして天災の多い地域であるがゆえに、ウンコなエスタブリッシュメントも、かつては勝手に消えてくれた。天災で退場することもあれば、負けてまとめて退場することもあった。江戸時代には大火がしばしば起きたので生産力だけが問題だったし、明治維新や昭和20年の敗戦という巨大スクラップもあった。現在の大企業が成長した昭和の時代までは、こうした「自然な」スクラッププロセスが働いていたのである。
でも、時代が進むと社会の安定性は勝手に上がっていく。するとスクラップの「量」が圧倒的に不足する。社会から退場すべきものが退場せず、新しいものへの投資を阻害するわけだ。われわれはこの状況にいまだに適応できていない。
もうひとつ、「スクラップ慣れ」していないがために、おかしなスクラップ方法を選択するという問題がある。
たとえば維新みたいな「全体をまんべんなく壊しつつ自分の取り分だけ確保」という方法は、新しいエスタブリッシュメントを生んでるだけだ。こんなスクラップ方法しか出てこない・選んでしまうのは、みんながスクラップ慣れしていないためである。これからの日本人はスクラップも得意になんなきゃダメで、スクラップ教育で解像度を上げていく必要があるのだろう(ゴールデンパラシュートを嫌がりすぎとか、逆にエスタブリッシュメント同士の連携を許してるとか、ねちねち責任を追求したがるとかも全部これだと思う)。
経営能力に関しては、日本だけが問題というわけではない。第二次大戦後からレーガノミックスの頃まではアメリカでも大企業の出世の階段を登ることが社会的地位の向上だった。70年代に日本にメタメタにやられ、いまのスタートアップとプロ経営者という組み合わせになった。中国も国営企業の生産性の低さはずっと問題で、21世紀になって改善はしたものの揺り戻しもしばしばあり、民営企業の成長の成果を国営企業が食べてしまう構造が続いている。しかし民営企業については創業者が非常にうまく舵取りをすることが多いし、それを育成するシステムづくり(政治)もうまく行っているということだ。
「日本の課題」はだんだん明らかになっている。これらは日本の問題であり、外圧ではどうにもならない文化構造問題だ。みずから解決していく必要がある。
さて、ソーラー、バッテリーと来たら、次は自動車である。自動車産業まで危なくなったら、日本人ってどんな生活になるんだろうね。