たいらじゅんが日記を書くってよ

名古屋在住ミュージシャンの日記

これからも、よろしくね。

直面するバンド活動の難しさ

 

音楽活動を再始動して初めて組んだバンド。

2023年の12月に活動開始したのはいいものの、まだ一度もライブを行っていない。

 

加入しては辞めていくメンバー。

なかなか前に進まない。

 

先日、その2023年12月から共に活動をしていたメンバーが辞めてしまった。

その際、少し取り乱してしまってね…。

 

このバンドのいったい何が悪いのだろうか?

「何が悪かった?きっと俺の発言や行動が良くないんだ。きっとそうだ。」

と、ネガティブな感情ばかりが浮かんできてバンドのグループLINEでも、そのようなことを書き込んでしまった。

 

今在籍しているメンバーは、僕(ドラム)とボーカルの二人。

そしてサポートギター。

みんなを不安な気持ちにさせてしまって、申し訳なく思っている。

 

思えば、僕がキッチリ音楽しようとするあまり、気楽に楽しみたい他のメンバーとの間に温度差が出てしまったのではないのだろうか?

そんなことを考えていたら、サポートギターも同じようなことを思っていたようだった。

「熱量の差にプレッシャーを感じていたのでは?」

そのようなことを言っていた。

 

反省。

 

そうだった。

「軽音楽部のような軽いノリで。男女問わず、年齢問わず、音楽の趣味志向を問わず。」というコンセプトがあったのを、僕はいつの間にか忘れてしまっていたらしい。

 

先週のこと。

残ったメンバーで食事会をしながら、色々話し合うことになった。

 

色んなことを話したよ。

みんなと話し合えて本当に良かった。

バンドのコンセプトはそのままにすることにした。

一度バンド名をリセットすることにもなった。

6月に決まっているライブに向けてどうするかも話し合った。

いつの間にか恋の話しにもなった(笑)

なんか面白かったな。

 

 

f:id:jyunbo:20250220121001j:image

 


f:id:jyunbo:20250220121026j:image


f:id:jyunbo:20250220120948j:image

上3枚、食事会の時の写真。メンバーの集合写真撮るの忘れた(汗)

 

みんな、ありがとう。

僕はもう大丈夫。

やっぱり楽しくなきゃね。バンドは。

マチュア活動なんだし、尚更そうでなきゃ。

まずは、僕もみんなも楽しんでバンド活動ができるよう、そう心に刻みます。

 

 

話は変わって約10年前のこと。

僕は当時の妻(ボーカリスト)とディナーショーを開催したことがある。

その打ち上げの夜は、北谷町にあるペンションのようなレンタルスペースで行った。

もちろん朝までバンドメンバーでどんちゃん騒ぎさ。

 

眠りにつく者がチラホラ出てきた頃。

僕は外でタバコをふかしていると、東の空がじんわりと明るくなってきていることに気づいた。

その瞬間、なぜか心からメンバーはじめ、全てのことに感謝している自分がいた。

 

この曲はその時に生まれた曲です。

 

www.youtube.com

 

みんなに出会えて良かった。

出会えたのがみんなで良かった。

本当にありがとう。

 

これからも、よろしくね。

 

 

おわり

君は那覇市のキリバール(らふ亭)を知っているか?

うい。
今月の12日から地獄の残業デーが始まってしまい、なかなかブログの更新ができなくなってしまった。
しばらくは肉体的にも、精神的にも満足にできない日々が続く。
まぁ、頑張り過ぎない程度に頑張るさ(笑)

 

 

大切にしたい人達

 
先日、久しぶりに沖縄県那覇市にある「沖縄食材ダイニング キリバール」のオーナーシェフから連絡が来ました。
 

 

www.youtube.com

テレビ東京の「ABChanZOO」でも紹介されていたりする

 

 
沖縄といえば、仕事や観光で何度も足を運んでいるファンも多く、僕の周りにも結構そういう沖縄ファンの人達がいる。
殆どの沖縄ファンの皆さんは、ゴーヤーチャンプルーなどの“王道の沖縄料理”をほぼほぼ食していて、まだ見ぬ沖縄料理を探し求めている人も多かったりする。
(余談:こないだ「チーイリチー」を知人に教えたらびっくりしていた。)
 
沖縄食材ダイニング キリンバールは、そういった沖縄ファンの人達に特にお勧めできる。
もちろん、初めて観光に来た人達にもおすすめだよ。
 
沖縄の食材をふんだんに使った創作料理の数々。
僕がキリバールでお食事をしたのはもう随分前のことで、だいぶ記憶が怪しい感じだけど、確か、沖縄食材を使ったパスタとかピザがあったような…
 
ごめんなさい。おぼろげ過ぎる。
 
なので、料理の写真を少しだけ。
 

ニラベーゼの沖縄そばパスタ
 
 
 
 
もしかするとメニュー変わってるかもだから、詳しくは上のほうにリンクを張ってあるwebサイトをご覧くださいね。
 
いや~それにしても、、、
このブログを書いているのが20時頃なんだけど、写真見てると流石にお腹すいてきたなりよ(笑)
 
 
オーナーシェフの桐原さんとの出会いも、 琉球チムドン楽団がきっかけだった。
毎回、奥さんとライブに駆けつけてくれて、いつもニコニコしながら僕らのライブを楽しんでくれていた。
 
とても素敵な笑顔でさ、桐原さんとのことを思い出そうとすると、あの素敵な笑顔で「じゅんくん、じゅんくん。」と声をかけてくれたことが鮮明に蘇るのです。
しかも、イケメンでサーファーだ。
 
奥さんもとても素敵な人で、上手く言えないけど、二人をみていると、こっちまで幸せな気持ちになってしまうような、そんなご夫婦なのです。
 
 
あれはいつだったかなぁ…。
琉球ムドン楽団のビーチパーティの時のこと。
僕はみんなが外でワーワーはしゃいでいるのを、すぐそばの部屋でみていた。
 
確かその部屋で僕は、まだ幼い息子をあやしていたと思う。
そこに桐原さんがやってきて、けっこう長い時間僕に付き添ってくれながら、いろんなお話しをしていたと記憶している。
 
そしてこんなこともあった。
 
僕が、とあるフリーペーパーの取材と編集の職に就いているときのこと。
広告枠を無料で掲載できるけど、そのフリーペーパを持参して来店したお客様に特典をつけてもらうというページを僕は担当していた。
「あ!」と桐原さんの事を思い出して、相談したところ、快く掲載を承諾してくれたこともあった。
 
残念ながら、当時の僕の自宅からキリバールまでだいぶ距離があったので、あまりお店に顔を出すことは出来なかったのだけど、それでも、冒頭で書いたように、こうして連絡をしてくれたことが、本当に嬉しい。
 
できれば今年の秋ごろには、沖縄にいる僕の両親に顔でもみせに行こうかなと計画しているので、その時には、久しぶりに桐原さんの笑顔でもみに行こう。
キリバールの料理も久しぶりに堪能したいな~。
楽しみだな~。
 
 
生きてるって、ほんと凄いね。
いろんな所で、いろんな人達と出会って、どんなに季節が流れようとも、こうしてお話しすることができたりする。
そんなことを考えていると、妙に心が暖かくなる。
 
これを書きながら、ふと以前に書いた向井さんのことも思い出した。
 
「大切な人達」
時間がくれた素敵な素敵なプレゼント。
これを人は「縁」と、言うのでしょうね。
 
 
きりばるんさん、久しぶりに会いたいさ~。
でも、もう少し待っててね。
必ずお店に遊びに行くから、お互い健康には気をつけようね!
その時が来るのを楽しみにしています。
 
じゅんより
 
 
おわり

朝がくれる奇跡

世界で1番平和な時間

 

僕は公園でまったりする時間が好きだ。

特に朝は最高だ。

 

陽の光が優しい。

今日も良い一日になる予感がする。

木々や緑や花花が巡る季節を映し出す。

鳩が警戒心もなく周りを散歩している。

遠くではこちらを伺う猫がいる。

登校する子供たちの元気な声。

笑い声が聞こえる。

「おはようございます」が溢れている。

 

もしかして、世界で1番平和な瞬間を過ごしているのではないかと、そう錯覚してしまう。

 

明日も行こう。

朝の公園へ。


f:id:jyunbo:20250210200030j:image

今朝の写真

 

 

おわり

101人の会と、さっぽろ雪まつり

音楽活動を続けている限り、また会えるさ。

 

札幌に「101人の会」という市民団体がある。

 

《101人の会》

https://snow101peoples.iinaa.net/about.html

 

北海道を代表するの冬の一大イベント「さっぽろ雪まつり

今年は2月4日から11日までの期間で開催されている。

 

www.snowfes.com

 

101人の会は、毎年この時期に集まり、大通会場で1つの雪像を製作している。

「会」とあるが、誰でもその雪像作りに参加できるので、通りすがりの人達も、旅行で訪れた人達も、食事帰りの人達でも、本当に誰でも気軽に参加できる。

製作に必要な道具も準備されているし、運が良ければ炊き出しもご馳走してもらえるかもしれない(笑)

 

100という区切りのいい数字ではなく、もう一人友達を誘って広げていきましょう。というのが由来です。一年に一度、雪像を作るために集まるボランティア団体です。

-101人の会websiteより-

 

今年も「豊作」という雪像を完成させた。

その様子が、密着ドキュメンタリーとして、J:COMチャンネルさんで放送され、それが今YouTubeでも配信されている。

 

www.youtube.com

 

Facebookのオフィシャルページでは、その製作過程の写真や作品の写真がたくさんアップされているので、ぜひご覧ください。

とても楽しそうで、もし僕が札幌で暮らしていたら、きっと参加していると思う。

 

101人の会 Facebook

https://www.facebook.com/101sapporo

 

 

実は、先のYouTubeの動画でも登場する、101人の会の前代表「向井」さんと僕は親交がある。

初めて会ったのはいつだっただろうか…。

たぶん、2005年頃じゃないだろうか。

 

当時の僕は、琉球チムドン楽団のドラマーとして活動していた。

新しく「ゼーナ姫」という新メンバーが加入した時に、元々彼女のファンだった向井さんが琉球ムドン楽団のライブにも足を運ぶようになったことが、きっかけだったと思う。

 

穏やかな口調と落ち着いた印象があって、紳士的で柔らかなオーラを纏った雰囲気がある。

そんな感じ。

 

向井さんは、お仕事の関係で全国を飛び回るような多忙な生活をしていたと記憶しているが、琉球ムドン楽団のライブには頻繁に駆けつけてくれた。

沖縄でのライブはもちろん、県外でのライブでも駆けつけてくれて、その度に、毎回なにかしらのユニークな手土産をプレゼントしてくれた。

そして、今でも変わらず琉球ムドン楽団をずっとずっと応援してくれている。

 

僕が脱退したあとも連絡を取ることがあって、お仕事で名古屋に来られた際には、金山駅付近にあった沖縄料理屋さんで一緒に食事をしたりもした。

 

一時期はドラムを辞めてしまった僕にも、こうして接してくれていることが、僕は嬉しい。

本当にありがたい。

感謝。

 

 

2年前の2023年。

ひょんなことから、琉球ムドン楽団の全国ツアーに僕がサポートドラマーとして参加することなった。

僕が参加することになったのは、名古屋、郡山(福島県)、そして札幌だった。

 

動画にもあったように、数年前に体調を崩されているはずなのに、向井さんは札幌公演に駆けつけてくれた。

嬉しかった。

駆けつけてくれたのはもちろんだけど、久しぶりにお会いできたことが本当に嬉しかった。

 

打ち上げの席ではもっとお話ししたかったけど、打ち上げというのはね、応援してくれている人達や、関係者に挨拶をしてまわり、御礼をする場でもあるから、ゆっくりはお話しできなかったな。

 

向井さん、また今度会えたときには、ゆっくり話そうね!

大丈夫さ。

僕が音楽活動をしている限り、必ずまたどこかで会えるから。

 

がんばりま~す!

 

じゅんより

 

f:id:jyunbo:20250209143123j:image

2023年11月 札幌公演 打ち上げ後の一枚。

左からボブジー、僕、ヒチャーノ、ゼーナ姫、西村綾織ヨーダ、ひでき!感激!。

 


f:id:jyunbo:20250209143327j:image
札幌公演の一枚(場所:cube garden)

 

 

おわり

息子が生まれた最初の夜

誕生

 

前回、このブログでは息子について少し触れた。

 

jyunbo.hatenablog.com

 

先日、久しぶりに「元気か?」と、息子にLINEを送ってみた。

 

今、息子は大阪で暮らしている。

沖縄を出て、初めての冬に困っていることはないか?

風邪ひいてないか?

仕事は順調か?

困り事はないか?

 

質問だらけの親父に面倒くさかっただろう笑

 

息子からはやっぱり、寒くてやばいみたいな返信が来たのだけど、一本の動画も送られてきた。

 

息子が職場で訓練をしている様子の動画だった。

 

前回も書いたけど、息子は大阪のとある企業に勤めている。

ミスが命にも直結する可能性のある、そんな危険な仕事なのは知っていたけど、初めて息子が訓練をしている様子を納めた動画をみて、改めて心配でたまらなくなった。

 

同時に「あ~、、、こんなに立派になったんだな…。」という、何とも言えない感情にも襲われた。

 

なんか、泣けてきた。

 

 

ちょうど20年前の夏。

僕は、所属していた“琉球チムドン楽団”を脱退して、当時の嫁さんと新しい生活を始めていた。

 

蝉の声に包まれた、それはそれは天気の良い朝のこと。

僕は、出産を間近に控える嫁さんの病室で少し会話をし、仕事へ向かった。

いつもと変わらない様子で、僕を送り出してくれたのだが・・・

 

後から知るのだけど、僕が病室を出てすぐに、陣痛が始まったらしい。

嫁さんはこの時「ん?もしかして…」という程度だったらしいけど、弱かった陣痛も、時間を追うごとに強くなっていったそうだ。

 

「生まれる」

 

その知らせが僕に届いたのは、お昼を過ぎてからだったと思う。

今思えば仕事も途中で退社して、すぐに病院に向かえば良かったと思うけど、この時の僕は、律儀にも定時までちゃんと働いたあとに、病院へ車を走らせた。

 

もう18時を過ぎていたのに、嫁さんはまだ陣痛と闘っていた。

詳しく分からないけど、陣痛ってこんなに長時間続くものなのでしょうか?

分娩室の隣の部屋で、寄せては返す波のように襲ってくる陣痛に苦しむ嫁さん。

あんなに激しく人が苦しむのを初めて見た僕は、声をかけて励ましてあげることぐらいしかできなかった。

 

僕が到着して2時間ぐらい経っただろうか。

助産師さんが様子を見に来て、ようやく「そろそろ生まれる。」と言って、分娩室へと移った。

出産の場には僕も立ち合うことになった。

 

「〇〇ちゃん!早く出てきて!」(息子の名前は決まっていた)

嫁さんは、10時間以上も続く痛みからか、やや取り乱していた様子だった。

 

「頭が見えてきたよ。がんばって。」

「はい、いきんで。」

 

助産師さんは、落ち着かせるように柔らかい声で嫁さんに声をかけていた。

僕は嫁さんの手を握り「がんばって」と、声をかけることぐらいしかできなかった。

 

そして、息子が生まれた。

 

僕はこの時気づかなかったのだけど、産まれてすぐに泣いていなかったことに、嫁さんは一瞬背筋が凍ったらしい。

でも、ちゃんと泣いていた。

元気に泣いていた。

そして身体が赤かった。

まさに「赤ちゃん」だ。

 

助産師さんは、ぐったりとした嫁さんの胸に、産まれたばかりの息子を近づけ「は~い、お母さんだよ。よく頑張りました~。」みたいなことを言っていた。

そのあと、立ち尽くしていた僕の胸に近づけて「は~いお父さんですよ~。おめでとうございます。」と言った。

 

その瞬間、僕は泣いてしまった。

 

違うな。

“泣いた”のではなくて、“自然と涙が溢れてきた”と言ったほうがしっくりくる。

泣いたわけではない。

言葉で言い表せないあの感情。

後にも先にも、この時にしか経験していない。

 

今までも、何度かこの時の感情を表現しようとしてるのだけど、言葉がみつからない。

感動なのか、安堵なのか、喜びなのか。

そのどれも違うような気がする。

 

もっともっと深いところにある“生命”というのを感じた瞬間だったのかもしれない。

 

 

義母と義妹はずっと付き添ってくれていたのだけど、出産からしばらく経って、僕の両親と義父が駆けつけた。

 

保育器の中の息子を、みんないつまでも見ていた。

義父は僕の背中をポンと叩いて「お疲れさま。これからが大変だと思うけど、頑張れよ。」と、そう言ってくれた。

 

息子が産まれた最初の夜は、そんな夜だった。

 

 

そうか、あれから20年になるんだな。

息子は目標にしていた仕事に就くことができた。

将来どうなりたいかという夢も聞いた。

これからはその“夢”を叶える物語が始まるんだな。

 

息子の名前には、僕の父親の名前の漢字を一字とって名付けた。

僕の父親は、母親が大病を患って大変な時期にも懸命に働いて、寄り添って、家族を守ってくれた。

実は僕とは血が繋がっていないのだけど、本当に尊敬している。

 

そんな尊敬する父親のように、何事にも前向きに頑張って、大切な人達を守れるような、そんな性格の息子ならきっとその夢を叶えられると、僕はそう確信している。

 

離れ離れで暮らしているけど、

見守っているさ。

たまには連絡もするよ。

次会えるのが楽しみだ。

20歳の誕生日を迎えたら、一緒にお酒でも飲めるといいな(笑)

 

今日の名古屋は雪だ。

大阪も寒いんだろうな。

風邪ひかないようにな。

 

がんばれよ。

 

 

おわり

息子には絶対に負けたくない

絶対に負けたくない!

 

f:id:jyunbo:20250204194347j:image

 

この写真を撮ったのは、もう何年前になるのだろうか。

ギャラリーを整理しているときに出てきた写真。

場所はたぶん宜野湾市のトロピカルビーチだと思う。

 

この写真が大好きで、当時やっていたブログのトップページは、この写真にしていたと記憶している。

 

 

この写真で僕に抱っこされている息子は、今年で20歳になる。

 

息子は凄い奴でさ、僕なんかとは全然違う。

 

中学生では自分の道を決めて、高校もその専門の高校に通い、今では目標にしていた大阪のとある企業に勤めている。

 

本当に凄いやつなんだ。

 

僕が中学生の頃なんか、まともに学校も行かず、適当に遊んで、隠れてタバコは吸っては、サボって友人宅に居座って、ゲームしたり漫画読んだり。

奇跡的に合格した高校も、ズル休みとバックレのオンパレード。

毎年、留年の危機だった。

断っておくけど、いわゆる不良ではなくて、ただ学校がいやで行かなかっただけ。

 

 

そんな僕と比べると、本当に凄い奴なんだよ。息子は。

比べるまでもないな。

もうすでに、僕を超えている。

 

でもね、、、

 

 

かけっこだけは負けたくない!

 

コロナ過があって持ち越しになっているけど、今年こそは果たし状を息子に送り、宣戦布告をしようと思っている。

 

よ~し、来年の元旦は50m走で勝負だ!

 

負けない。

これだけは負けたくない(笑)

 

f:id:jyunbo:20250204194557j:image

この時は僕が勝った!(はず)

今度も負けないぞ~。

 

でもね、過度なトレーニングをすると、持病の異型狭心症の発作が起こるという、弱点が僕にはある。

過去には、マラソンの練習後に救急搬送もされた。

 

「お?負けたときの言い訳かな?さすがヘタレ親父。」

と、思われそうなので、このブログになんて絶対に書かない。そんなこと書かない。一文字でも書かない。

書いてたまるものか!

 

「・・・。」

 

とにかく、負けない。

絶対に勝つ!

 

 

というわけで、とりあえずビールでも飲みながらブログを書こう。

レーニングは明日からということで。

 

 

「・・・。」

 

ちくしょょょよよ~ん!!

 

こんなに自分に弱くていいのか!俺!

目標に向かって自制する!

息子はやってたぞ!

そんなことも出来ないのか!俺は!

このままでは負けるぞ!

かけっこで負けるぞ!

ロッキーでもみてテンションをあげよう!

 

そうだ!!!

 

とりあえず落ち着いて、今からロッキーを観よう。

次は泡盛を飲みながら、大好きなハンバーグとから揚げ!

ついでにホットドッグをつまみながら、ロッキーを観よう!

 

明日は二日酔いでしんどいはずだから、トレーニングは明後日からにしよう!

そうだ!そうしよう!

 

 

「・・・。」

 

 

 

う、、、うお~!俺は負けないぞぉぉぉぉおお~!!!

(勝てんだろ(笑))

 

 

おわり

 

追記:とりあえず、競争の結果はこのブログでも報告するね。来年になるけど(笑)

妹を病院送りにしてしまったあの日

妹の誕生日と「僕らの時代」

 

昨日はジャイアント馬場の命日だった。

ついでに、妹の誕生日だった。

 

いや、

 

昨日は妹の誕生日だった。

ついでに、ジャイアント馬場の命日だった。

 

どっちでもいいか。

 

 

一応、毎年LINEで「おめでとう」ぐらいは伝えるようにしている。

「ようこそ!40代の世界へ!」とも送ったが、どうやらまだ39歳だったらしい。

すんまそ。

 

不思議なもんだ。

正直、両親の誕生日は覚えていないのに、妹のは覚えている。

 

妹が生まれたのは僕が小学1年生の頃だった。

学校から帰ってくるやいなや、祖母が近所の産婦人科に僕を連れて行ってくれた。

 

どんな感情だったか、そこでどんな事があったのか、もう覚えていない。

たぶん、なにが起こっているのか、頭の中で整理できていなかった。

保育器に入っている赤ちゃん。

ベッドの上でしんどそうにしている母。

記憶を探ってみると、このぐらいの事しか覚えていない。

 

ある日、10数年ぶりに故郷である宮古島に帰った時のこと。

どのぐらい街並みが色を変えたのかを知りたくて散歩をしていた時に、妹の生まれた産婦人科の前に差し掛かった。

そこが葬祭場に変貌を遂げていたのを見た僕は、不謹慎ながらも笑ってしまった。

 

誕生の場所が、天への旅立ちの場所へと変わってしまっていた。

そのコントラストがなんとも言えなかった。

(今そこはBARになっているようだ)

 

あれは僕が小学6年生の大晦日の夜。

妹とプロレスごっこをしていた。

なんの技をかけたのか覚えてないけど、妹は腕をしきりに痛がっていた。

やがて「いたい~!いたい~!」と、大泣きを始める。

その痛がり方に「大変なことをしてしまった」と、次第に僕も不安で不安で堪らなくなった。

 

父が仕事から帰ってきてその惨状を目の当たりにし「お前はバカなんじゃないのか!」なんて怒られた気がする。

 

痛いと泣く妹を抱きかかえ、母と父は病院へと向かう。

帰りを待っている間、布団に潜り込んでいた僕は「骨が折れたんじゃないのか?もう治らないんじゃないのか?」と、襲い掛かる感情に飲まれ、泣いていた。

 

2時間後ぐらいだったかな。

病院から戻ってきた妹は元気に笑っていた。

あんなに痛がっていたのに、ケロっとしていた。

少し拍子抜けした。

 

どうやらスジが伸びた状態だったらしく、お医者さんがマッサージしたらすぐ治ったらしい。

 

両親も安堵したのか、もう僕を叱ることはなかった。

 

このエピソードのことを僕は話さないようにしているのだけど、家族が集まると、誰かがこの話しをしだす。

もう、勘弁して(笑)

 

 

現在の妹は結婚していて東京で暮らしている。

僕が東京に遊びに行く時は泊めてもらったり、逆に東京から妹夫妻が名古屋へ遊びに来てくれることもある。

 

妹夫婦。

なんか良いんだよな。

ほっこりするし、良いな~って思える。

 

お互いの距離感が抜群に良い感じがするし、たぶん喧嘩なんかしないんじゃないかな。

ちゃんと通じ合っている感があって、コミュニケーションもしっかり取れている雰囲気がある。

ふわっとした柔らかい性格も、二人とも似ている気がする。

それどころか、生活のペースも似ていて、僕が泊まりに行った時なんて、僕が6時ごろに目を覚ますと、二人はまだ寝ていて、だいたい10時ごろに二人ともほぼ同時に起きだす。

妹は小さな頃から、とにかくよく寝る子だったが、それは大人になってからもそうだ。

そして、旦那さんも同じく、よく寝る。

面白い夫婦だよ。

 

 

なんだか妹をみていると、今さらながら、僕は一人じゃないんだなと思える。

 

去年、妹夫妻が名古屋に遊びに来たときに、僕はこう相談した。

 

「いつかやりたいことがある。二人がどう思うかはわからないけど、いつか僕らと同年代の親戚・従兄弟一同を集めて、規模の大きめな食事会をしたい。どう思う?」と。

 

僕は今年で47歳だ。

当然、親世代も高齢になってくる。

もうすぐ「僕らの時代」がやってくる。

もしかすると僕らの時代は、もう始まっているのかもしれない。

 

小さい頃は、それなりに親戚や従兄弟のみんなと遊んでいた。

でも、大人になってからは全くと言っていいほど会っていない。

皆が何処でどうしているのかも分からない。

僕を含め、散り散りのバラバラになってしまっている。

 

これからは僕らの時代が始まるのだから、2年に一度でも良いから、食事会を開いて交流を深め「なにかあっても皆がいるから大丈夫だ。お互いに助け合っていこう。お祝いの時は皆で心から祝福をしよう。」そんな風に、血の繋がりを大切にしていきたいと、そう考えている。

 

「それ、やりましょう!」

妹はもちろんだけど、旦那さんがそう応えてくれた時、僕は嬉しかったよ。

 

1~2年後にはやりたい。

こういうこと言うのは良くないと思うけど、そろそろ天国へと旅立つ親族も増えてくる。

そうなると、連絡をとる手段も少なくなって、益々疎遠になっていくのではないだろうか?

あまり時間が無いような気がする。

 

それにしても、妹よ。

君はすごいな。

君のことを書こうとしただけなのに、こんなに色んなことが溢れてくる。

ほんとすごい妹だよ。

 

元気にするんよ。

怪我と病気には気をつけるんよ。

旦那さんを大事にな。

 

お誕生日、おめでとう。

 

 

おわり

 

PS:T君、妹が妙なことしたら連絡ください。また病院送りにするから(笑)