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駒形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 東京都 > 台東区 > 駒形
駒形
町丁
駒形橋から見た駒形(右)と
隅田川に架かる厩橋(奥)
地図北緯35度42分24秒 東経139度47分40秒 / 北緯35.706683度 東経139.7945度 / 35.706683; 139.7945
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京
特別区 台東区
地域 浅草地域
人口情報2025年(令和7年)3月1日現在[1]
 人口 2,601 人
 世帯数 1,766 世帯
面積[2]
  0.120124836 km²
人口密度 21652.47 人/km²
郵便番号 111-0043[3]
市外局番 03(東京MA[4]
ナンバープレート 足立
ウィキポータル 日本の町・字
東京都の旗 ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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駒形(こまがた)は、東京都台東区町名。現行行政地名は駒形一丁目および駒形二丁目。住居表示実施済区域。

地理

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東京都台東区の東部に位置し、墨田区東駒形)との区境に当たる。区分は一丁目から二丁目に至り、通り沿いを中心に商店とオフィスビルが多く見られるほか、住宅地もある地域となっている。付近には隅田川とそれに架かる駒形橋厩橋がある。

歴史

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地名の由来

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駒形堂

駒形(こまかた)の名は、浅草寺に属する駒形堂に由来する。この堂は天慶5年(942年平公雅によって建立され、円仁作の馬頭観音を祀るために建てられたのが起こりであると伝わるが、古くは浅草寺の総門があった場所であるともいわれる(ただし駒形堂は関東大震災の後に場所を現在地に移動している)。

なお土地の人々によれば、駒形の読み方はコマカタと清く発音してコマガタとは濁らないという。ここは古来交通の要地で、駒形の渡しのあった所である。江戸の巷説に有名な、「君はいま 駒形あたり ほととぎす」の句は、文芸・美術などの上で駒形堂とともに、この辺りの雰囲気を伝えている。

町域の変遷

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駒形堂は関東大震災以前は現在の駒形橋のたもと南側にあり、江戸時代その周辺を駒形町と称したが、この駒形町の町域は現駒形二丁目六~七番地と駒形一丁目七番地の一部、すなわち現駒形のおよそ4分の1に当たる範囲だった。明治以降、駒形町近隣の諏訪町や黒船町などを合併、またその中で近隣の寿町に一旦は編入された地域も組み込むなどして町域を広げ、昭和9年(1934年)に駒形一~二丁目となった。昭和39年(1964年住居表示の実施により、町内で丁目の振り分けについて再編成が行われ、現在に至っている。

その他

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「駒形堂吾嬬橋」 名所江戸百景より。歌川広重画。

将軍徳川綱吉寛永寺参拝の折、浅草黒船町(現駒形一丁目)の豪商石川六兵衛の妻おかちの贅沢な生活ぶりを目にし、分不相応な驕奢の振舞いであると咎め家財を没収したという話がある。これを『伊達くらべ』などの題で多岐川恭北原亞以子杉本苑子などが小説にしている。

江戸時代、現在の駒形一丁目の江戸通り西側に、清水稲荷屋敷と呼ばれる屋敷があった。稲荷屋敷というのは敷地内に稲荷社を祀っていたことによる。この屋敷の住人田中松春(松泉とも)の先祖田中四郎兵衛は、元は上野山西の清水町に天海より屋敷を拝領して住んでいたが、元禄2年(1689年)にそこを召し上げられたので谷中に屋敷を拝領したがこれも召し上げとなり、宝永7年(1710年)に田中松春が当所を拝領し、清水町の頃から屋敷内でまつっていた稲荷社とともに引き移った。この稲荷社は清水稲荷と呼ばれて『江戸名所図会』にも取り上げられているが[5]、現在は蔵前にある第六天榊神社の境内にまつられている。

旧諏訪町の地域には諏訪神社がある。この神社の来歴は火災による文書の焼失などで不明であるが、明治以前は浅草寺領だったという。

世帯数と人口

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2025年(令和7年)3月1日現在(台東区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
駒形一丁目 1,207世帯 1,761人
駒形二丁目 559世帯 840人
1,766世帯 2,601人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[6]
1,549
2000年(平成12年)[7]
1,652
2005年(平成17年)[8]
2,201
2010年(平成22年)[9]
2,336
2015年(平成27年)[10]
2,316
2020年(令和2年)[11]
2,424

世帯数の変遷

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国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[6]
700
2000年(平成12年)[7]
835
2005年(平成17年)[8]
1,315
2010年(平成22年)[9]
1,450
2015年(平成27年)[10]
1,480
2020年(令和2年)[11]
1,546

学区

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区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年9月現在)[12]

事業所

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2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[13]

丁目 事業所数 従業員数
駒形一丁目 167事業所 3,378人
駒形二丁目 134事業所 1,884人
301事業所 5,262人

事業者数の変遷

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経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[14]
268
2021年(令和3年)[13]
301

従業員数の変遷

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経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[14]
4,949
2021年(令和3年)[13]
5,262

主な企業

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バンダイ本社

施設

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機関
観光
  • 世界のカバン館
飲食店
寺院・神社
  • 諏訪神社

交通

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鉄道

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東京メトロ 東京地下鉄(東京メトロ)

東京都交通局 東京都交通局都営地下鉄

バス

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道路

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その他

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日本郵便

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脚注

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  1. ^ a b 令和7年 住民基本台帳による台東区の町名別世帯数及び人口 - 3月1日” (XLS). 台東区 (2025年3月4日). 2025年3月16日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2025年3月16日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 駒形の郵便番号”. 日本郵便. 2025年3月9日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 江戸名所図会 1927, pp. 422–423, 425–426.
  6. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  7. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  8. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  10. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  11. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  12. ^ 区立小学校・中学校の通学区域”. 台東区 (2023年9月21日). 2025年3月20日閲覧。
  13. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  14. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  15. ^ 郵便番号簿 2024年度版” (PDF). 日本郵便. 2025年3月9日閲覧。

参考文献

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  • 『御府内備考続編神社部』(『東京都神社史料』第1輯)-(1966年、東京都神社本庁)
  • 『日本歴史地名大系13 東京都の地名』-(2002年、平凡社)
  • 『江戸・町づくし稿』(下巻)-岸井良衛(2003年、青蛙房)
  • 斎藤幸雄「卷之六 開陽之部 清水稲荷社」『江戸名所図会』 3巻、有朋堂書店、1927年、422-423,425-426頁。NDLJP:1174157/216 

外部リンク

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