ユルゲン・コーラー
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2005年 | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | 鋼のストッパー、Fussballgott | |||||
ラテン文字 | Jürgen Kohler | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1965年10月6日(59歳) | |||||
出身地 | ランプスハイム | |||||
身長 | 186cm | |||||
体重 | 84kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴 | ||||||
1986-1998 | ドイツ | 105 | (2) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ユルゲン・コーラー(Jürgen Kohler、1965年10月6日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)・ランプスハイム出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはディフェンダー。マンマークをさせれば世界一の実力と評価されるなど[1]、現役時代は「世界最高のストッパー」の異名で知られたディフェンダーであった[2]。
クラブ経歴
[編集]1977年、地元のクラブチームであるTBヤーン・ランプシャイムでキャリアをスタート。SVヴァルトホーフ・マンハイム在籍中、西ドイツ代表としてデビューを飾る。翌年には当時ドイツ・ブンデスリーガのトップチームであった1.FCケルンへ移籍。クリストフ・ダウム監督の下、着実に評価を高め[3]、1989年にはバイエルン・ミュンヘンに移籍し、着実にドイツを代表するプレーヤーへと成長を遂げた[3]。
1991-92シーズンにはセリエA・ユヴェントスFCへの移籍を果たし、マンツーマンディフェンスを重視するジョバンニ・トラパットーニ監督の下、全幅の信頼を獲得し、世界最高のストッパーと称され[2]、1992-93シーズンにはUEFAカップ優勝に貢献、またセリエAでは最優秀外国人選手賞を獲得する。1994-95シーズンから就任したマルチェロ・リッピ監督の下では、やや出場機会を減らしたが、安定した守備でセリエA優勝に貢献した[2]。
1995-96シーズン、ボルシア・ドルトムントに移籍、このシーズンリーグ優勝を果たした[4]。1996-97シーズン、チャンピオンズリーグ準決勝、マンチェスター・ユナイテッド戦において、ベッカム、エリック・カントナ、ライアン・ギグスの繰り出すシュートをゴールライン上で、その全てを様々な体勢(1度はピッチに倒れたまま)からブロックし危機を救った[4]。この活躍がドイツのサッカーファンの心を打ち、「ユルゲン・コーラー、サッカーの神!」("Jürgen Kohler, Fussballgott!")とドルトムントサポーターたちが謳う様になった[5]。決勝では古巣ユベントスを3-1と破り優勝を果たした[3]。これらの活躍により、1997年のドイツ最優秀選手に選出された[4]。現役最後の年となった、2001-02シーズン、絶体的なレギュラーではなかったが、リーグ戦22試合に出場、1FCケルン戦では試合終了間際に得点を決めるなど、このシーズンのリーグ制覇に貢献した[4]。現役最後の試合となった、UEFAカップ決勝のフェイエノールト戦では、一発退場処分という結果となった[5]。ドルトムントでは、通算250試合13得点[4]。
代表経歴
[編集]代表としては、1986年9月26日、デンマークとの親善試合で代表デビュー[4]。1988年の欧州選手権では、準決勝まで進出したが、準決勝のオランダ戦で、マルコ・ファン・バステンへのファールを取られ、PKを献上、これをロナルド・クーマンに決められると、その後ファン・バステンに決勝点を奪われて敗戦した[4]。
1990年にはワールドカップ・イタリア大会、グループリーグでは控え選手であったが、決勝トーナメントからレギュラーとして起用され、優勝に貢献[3]。1992年の欧州選手権では、決勝を含む全試合に出場、決勝でデンマークに敗れ、準優勝。1994年のワールドカップ・アメリカ大会出場。
1996年のUEFA欧州選手権1996では、キャプテンとして初戦のチェコ戦で先発したが、僅か14分で負傷交代、チームは優勝を果たしたが、以降の試合には出場出来なかった[4]。1998年のワールドカップ・フランス大会に出場、準々決勝のクロアチア戦に出場して、敗戦、この試合が代表最後の試合となった。
引退後
[編集]引退後、ドイツU-21代表監督、バイエル・レバークーゼンのスポーツディレクター、MSVデュースブルク監督などを歴任したが、いずれも良い結果を残すことは出来ず、全て短期間で退いていた。
2008年の夏よりドイツ3部に所属するVfRアーレンの監督に就任したが、わずか3カ月で辞任。同クラブのスポーツディレクターに就任している。
その他
[編集]クラブや代表チームにおける、マルコ・ファン・バステンとのピッチ上での対決がよく知られているが[4]、1988年の欧州選手権ではPKを与え、1得点を許したが、以降の対戦では、殆ど、ファン・バステンを抑え込むことに成功した[6]。
獲得タイトル
[編集]- FIFAワールドカップ優勝:1回 1990
- UEFA欧州選手権
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝:1回 1997
- UEFAカップ
- 優勝:1回 1993
- 準優勝:1回 2002
- ドイツ・ブンデスリーガ優勝:3回 1990、1996、2002
- セリエA優勝:1回 1995
- コッパ・イタリア優勝:1回 1995
- イタリア・スーパーカップ優勝:1回 1995
個人タイトル
[編集]- UEFA欧州選手権1992 ベストイレブン
- ドイツ年間最優秀サッカー選手賞 : 1997
- キッカー年間ベストイレブン : 1986–87, 1987–88, 1988–89, 1990–91, 1998–99, 2000–01
脚注
[編集]- ^ 別冊週刊サッカーマガジン 1994年初夏号 ハローUSA WORLD CUP 94 P.118
- ^ a b c ワールドサッカーダイジェスト 1995年8月号 日本スポーツ企画出版社 P.15-17
- ^ a b c d “Jurgen Kohler”. www.borssiadortmund (2017年6月17日). 2020年9月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “Jürgen Kohler: A legendary Bundesliga and Germany stopper”. BUNDES LIGA. 2023年8月18日閲覧。
- ^ a b “Borussia Dortmund's all-time top XI, featuring Jürgen Klopp, Robert Lewandowski and Marco Reus”. www.bundesliga.com (2017年6月17日). 2020年9月18日閲覧。
- ^ “Jürgen Kohler, l'ultimo dei grandi stopper: trofei e leggenda”. GOAL (2022年10月6日). 2023年8月18日閲覧。
外部リンク
[編集]- ユルゲン・コーラー - National-Football-Teams.com
- ユルゲン・コーラー - Soccerway.com
- ユルゲン・コーラー - FootballDatabase.eu
- ユルゲン・コーラー - WorldFootball.net
- ユルゲン・コーラー - Transfermarkt.comによる選手データ
- ユルゲン・コーラー - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ユルゲン・コーラー - FIFA主催大会成績
- ユルゲン・コーラー - レキップ
- ユルゲン・コーラー - Fussballdaten.de
- ユルゲン・コーラー - Munzinger Sports Archives
- Career stats at fussballdaten.de
- ドイツのサッカー選手
- サッカードイツ代表選手
- SVヴァルトホーフ・マンハイムの選手
- 1.FCケルンの選手
- FCバイエルン・ミュンヘンの選手
- ユヴェントスFCの選手
- ボルシア・ドルトムントの選手
- UEFA欧州選手権ドイツ代表選手
- UEFA欧州選手権1988出場選手
- UEFA EURO 1992出場選手
- UEFA EURO 1996出場選手
- FIFAワールドカップドイツ代表選手
- 1990 FIFAワールドカップ出場選手
- 1994 FIFAワールドカップ出場選手
- 1998 FIFAワールドカップ出場選手
- FIFAワールドカップ優勝選手
- FIFAセンチュリークラブ
- ドイツのサッカー指導者
- ジルバーネス・ロールベアブラット受賞者
- 在イタリア・ドイツ人
- ラインラント=プファルツ州出身の人物
- 1965年生
- 存命人物