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プラウド・メアリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「プラウド・メアリー」
クリーデンス・クリアウォーター・
リバイバル
シングル
初出アルバム『Bayou Country
B面 ボーン・オン・ザ・バイヨー
リリース
規格 7インチ・シングル
録音 ロサンゼルス、RCAスタジオ(1968年後半)
ジャンル ロック
時間
レーベル ファンタジー・レコード
作詞・作曲 ジョン・フォガティ
プロデュース ジョン・フォガティ
チャート最高順位
クリーデンス・クリアウォーター・
リバイバル
シングル 年表
アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー
1968年
プラウド・メアリー
1969年1月)
バッド・ムーン・ライジング
(1969年4月)
ミュージックビデオ
「Proud Mary」 - YouTube
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プラウド・メアリー」(Proud Mary)は、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)が1969年に発表した楽曲。全米2位を記録したグループの代表作の一つ。アイク&ティナ・ターナーのカバー・バージョンとしても知られる。

解説

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作詞作曲はジョン・フォガティ。1969年1月5日発売の2枚目のスタジオ『Bayou Country』に収録され、同月にシングルカットされた。B面は「ボーン・オン・ザ・バイヨー」。CCR初のアメリカ合衆国のポップ・チャートトップ10を記録した楽曲となり、最高順位2位を記録した。この曲は、『ビルボードチャートで全米第1位を獲得できなかったアーティストの中で最も多くの全米第2位を記録したアーティスト』であるCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル#来歴も参照)の、計5作品ある全米第2位獲得作品のうち最初のものである。

元々はフォガティがメモ書きしていた「Proud Mary」というワードが発端で、イメージをふくらませているうちミシシッピ川で就航していた「メアリー・エリザベス」(Mary Elizabeth)という名の蒸気船に照らし合わせて製作された。ちなみにジョン・フォガティは実物のメアリー・エリザベスを見てこの曲を作った訳ではなく、全くの想像で曲を書いたという。その後、この曲がヒットした事で観に行ったという逸話がある。

様式的には、この曲はいくつかのジャンルの要素を複合している―例えばロックンロールブルースゴスペルおよびソウルなどである―。しかしながら、この曲にはCCRの最も特徴的な要素も多数含まれている。例を挙げると繰り返されるギターリフ、「南部風」(down-home)の歌詞、そしてフォガティがブッカー・T&ザ・MG'sスティーヴ・クロッパーに影響を受けたというギターソロなどである。

2008年12月に『Bayou Country』の40周年記念エディション盤が発売。1971年9月21日にストックホルムで行われたコンサートでのライブ・バージョンが収録された。

ローリング・ストーン』誌が選ぶ最も偉大な500曲(the 500 greatest songs of all time)2021年版の第152位にランクインされている[3]

BMI調べによる「20世紀アメリカのテレビやラジオで最もオンエアされた100曲」の第24位にランクされた[4]

カバー

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1969年の時点で、ソロモン・バークがシングルとして発表した。エド・エイムズ英語版もアルバム『Windmills of Your Mind』に収録した。より良く知られたカバーとしては1970年代前半に発表されたステイタス・クォーによるものがある。1971年には、アイク&ティナ・ターナーによるカバーバージョンが発表された。このバージョンは原曲とは構成が大幅に異なるものであったが、原曲同様に知名度を上げ、ティナ・ターナーの代表曲の一つとなった。アイク&ティナ・ターナーによるバージョンは、ほぼソコ・リチャードソン英語版[5][6]アイク・ターナーによって編曲がなされており、官能的でスローテンポなオープニングとティナ・ターナーの語りによるイントロが含まれている。アイク&ティナ・ターナーによる「プラウド・メアリー」は、1971年のポップ・チャートで第4位を記録した。ティナ・ターナーとビヨンセは、第50回グラミー賞の際にこの曲のカバーを披露している。

エルヴィス・プレスリーもまた、1970年代前半のラスベガスでのコンサートやツアーにおいてしばしばこの曲を披露した。ライブアルバム『エルヴィス・オン・ステージVol.2』(1970年)や『エルヴィス・イン・ニューヨーク』『An Afternoon in the Garden』(1972年)にこの曲が収録されている。

1969年ザ・ベンチャーズのアルバム「Swamp Rock」でカバー。また、コンサートではボブ・ボーグルがボーカルを披露していた時期もある。

1971年、ノーキー・エドワーズのソロ・アルバム「栄光のノーキー・エドワーズ」でカバー。

日本においては、尾崎紀世彦のリサイタルで歌唱したバージョンが、ライブアルバム『尾崎紀世彦オン・ステージ』(1972年)に収録されている。1975年には、ザ・ピーナッツさよなら公演(尾崎紀世彦との共演バージョンもある)で歌唱した。キャンディーズによるバージョンは、ライブアルバム『Candies' Carnival For 10,000 People』(1975年、訳詞は竜真知子)、『蔵前国技館10,000人カーニバルVol.2 キャンディーズ・ライブ』(1976年、訳詞は森雪之丞)ほかに収録されている。前田亘輝は、ミニ・アルバム『LOOSE』(1987年)でこの曲を取り上げた。また、小島里美編曲による吹奏楽版も存在する。

脚注

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  1. ^ Chronicle: The 20 Greatest Hits (CD booklet). Creedence Clearwater Revival. U.S.A.: Fantasy Records. 1991. FCD-CCR2-2。
  2. ^ Bordowitz, Hank. Bad moon rising: the unauthorized history of Creedence Clearwater Revival. Schirmer Books, 1998, p. 58
  3. ^ The 500 Greatest Songs of All Time” (英語). Rolling Stone (2021年9月15日). 2021年12月21日閲覧。
  4. ^ BMI Announces Top 100 Songs of the Century”. BMI.com (1999年12月13日). 2021年12月21日閲覧。
  5. ^ Soko Richardson Archived 2007年10月6日, at the Wayback Machine. press release from pressnetwork.com Fri Jan 30, 2004
  6. ^ Noted Soul Drummer Soko Richardson Dies[リンク切れ] February, 2004

関連項目

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