黒部光昭
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名前 | ||||||
愛称 | クロ | |||||
カタカナ | クロベ テルアキ | |||||
ラテン文字 | KUROBE Teruaki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1978年3月6日(46歳) | |||||
出身地 | 徳島県阿南市 | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1993-1995 | 徳島商業高校 | |||||
1996-1999 | 福岡大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000-2006 | 京都パープルサンガ | 138 | (62) | |||
2005 | → セレッソ大阪 (loan) | 32 | (5) | |||
2006 | → 浦和レッズ (loan) | 9 | (0) | |||
2007 | → ジェフユナイテッド千葉 (loan) | 11 | (0) | |||
2008-2009 | アビスパ福岡 | 55 | (4) | |||
2010-2013 | カターレ富山 | 100 | (22) | |||
2014 | TTMカスタムズFC | |||||
通算 | 345 | (93) | ||||
代表歴2 | ||||||
2003-2004[1] | 日本 | 4 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2015年1月1日現在。 2. 2004年2月7日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
黒部 光昭(くろべ てるあき、1978年3月6日 - )は徳島県阿南市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。現在はJリーグ・徳島ヴォルティスの強化本部長を務める。
来歴
[編集]アマチュア時代
[編集]小学2年でサッカーを始める。徳島県立徳島商業高等学校時代、全国高校サッカー選手権大会徳島県大会で3年間連続して決勝へ勝ち進んだが全て準優勝だった。Jリーグクラブからのオファーはあったが、福岡大学へ進学。大学サッカー屈指のストライカーとして活躍し、ユニバーシアード(スペイン・マリョルカ大会)の日本代表にも選ばれた。大学では教員免許を取得した。
2000年 - 2004年(京都サンガ時代)
[編集]大学卒業後、京都パープルサンガに入団。
プロ1年目の2000年は三浦知良やへジスの陰に隠れていてゴールを決めることができなかったが、2年目の2001年には背番号9をもらい、この年41試合で日本人として驚異的な30ゴールを決めJ2ゴールランキング2位、日本人ゴールランキング1位に輝いた。
2002年には松井大輔、朴智星らとともに破壊力抜群の攻撃的なサッカーを展開し、3-4-3のフォーメーションのセンターフォワードとしてチームトップ、日本人ゴールランキング3位の13得点をあげた。また天皇杯では5試合で4得点を上げ優勝に貢献。決勝の鹿島アントラーズ戦では決勝点を挙げた[2]。
2003年にはフル代表に初選出されるが怪我などで苦しいシーズンを送り、チームも来季よりJ2へ降格することとなった。
2004年はJ2で戦うことを決意したが、代表から漏れチームもJ1に昇格できず本人も9得点と不本意なシーズンを送った。
2005年以降
[編集]2005年にはフル代表への意欲からJ1クラブへの移籍を望み、FW大久保嘉人が退団したセレッソ大阪へ期限付き移籍。7月24日に徳島にフットサル場「シーサイドフットサル徳島」をオープン、現役Jリーガー初のオーナー経営者となる。9月3日には地元の小学生のサッカーチームを集めて「第一回 クロベカップ少年サッカー大会」を開催。
2006年は浦和レッズへ期限付き移籍したが、その年にリーグ得点王となったワシントンとポジションを争う形となり、出場機会に恵まれなかった。なお、この年に行われたさいたまシティカップの対バイエルン・ミュンヘン戦で決勝点となるゴールを決めている。
2007年にジェフユナイテッド千葉へ完全移籍。
2008年はアビスパ福岡に完全移籍し2シーズンプレー。
2009年シーズンオフにJリーグ合同トライアウトを受け、2010年からカターレ富山に完全移籍。チーム最多得点となる8得点をあげた。
2013年シーズン終了後、契約満了により退団[3]、タイ・ディヴィジョン1リーグ・TTMカスタムズFCへ移籍[4]。
2015年3月、現役引退を発表した[5]。
引退後
[編集]2020年12月、カターレ富山強化部長を退任した。
2021年1月、名古屋グランパスの強化担当に就任した。
2024年シーズンより、徳島ヴォルティスのクラブアドバイザー就任を発表[7]。
所属クラブ
[編集]- 1993年 - 1995年 徳島県立徳島商業高等学校
- 1996年 - 1999年 福岡大学
- 2000年 - 2006年 京都パープルサンガ
- 2005年 セレッソ大阪 (期限付き移籍)
- 2006年 浦和レッドダイヤモンズ (期限付き移籍)
- 2007年 ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2008年 - 2009年 アビスパ福岡
- 2010年 - 2013年 カターレ富山
- 2014年 TTMカスタムズFC
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | 福岡大 | 10 | - | - | - | 2 | 2 | 2 | 2 | ||
1999 | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | |||||
2000 | 京都 | 16 | J1 | 12 | 0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 18 | 1 |
2001 | 9 | J2 | 41 | 30 | 2 | 0 | 0 | 0 | 43 | 30 | |
2002 | J1 | 27 | 13 | 6 | 1 | 5 | 4 | 38 | 18 | ||
2003 | 23 | 10 | 1 | 2 | 1 | 0 | 25 | 12 | |||
2004 | J2 | 35 | 9 | - | 1 | 0 | 36 | 9 | |||
2005 | C大阪 | 10 | J1 | 32 | 5 | 8 | 0 | 3 | 1 | 43 | 6 |
2006 | 浦和 | 12 | 9 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 14 | 0 | |
2007 | 千葉 | 9 | 11 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 16 | 1 | |
2008 | 福岡 | J2 | 23 | 1 | - | 1 | 0 | 24 | 1 | ||
2009 | 32 | 3 | - | 2 | 1 | 34 | 4 | ||||
2010 | 富山 | 27 | 8 | - | 1 | 0 | 28 | 8 | |||
2011 | 30 | 9 | - | 1 | 1 | 31 | 10 | ||||
2012 | 29 | 5 | - | 0 | 0 | 29 | 5 | ||||
2013 | 14 | 0 | - | 0 | 0 | 14 | 0 | ||||
タイ | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2014 | TTM | Div1 | |||||||||
通算 | 日本 | J1 | 114 | 28 | 29 | 5 | 11 | 5 | 154 | 38 | |
日本 | J2 | 231 | 65 | 2 | 0 | 6 | 2 | 239 | 67 | ||
日本 | 他 | - | - | 4 | 3 | 4 | 3 | ||||
タイ | Div1 | ||||||||||
総通算 | 345 | 93 | 31 | 5 | 21 | 10 | 387 | 108 |
その他の公式戦
- 2003年
- スーパーカップ 1試合0得点
- J1初出場 - 2000年3月11日 1st 第1節 ジェフユナイテッド市原戦(市原臨海競技場)
- J1初得点 - 2002年3月16日 1st 第3節 サンフレッチェ広島戦(広島ビッグアーチ)
- J2初出場 - 2001年3月10日 第1節 モンテディオ山形戦(京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)
- J2初得点 - 2001年3月17日 第2節 アルビレックス新潟戦(京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)
代表歴
[編集]出場大会など
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 4試合 0得点(2003年 - 2004年)[1]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2003 | 3 | 0 |
2004 | 1 | 0 |
通算 | 4 | 0 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 2003年03月28日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ウルグアイ | △2-2 | ジーコ | 国際親善試合 |
2. | 2003年09月10日 | 新潟県 | 新潟スタジアム | セネガル | ●0-1 | キリンチャレンジカップ | |
3. | 2003年12月10日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | 韓国 | △0-0 | 東アジア選手権 | |
4. | 2004年02月07日 | 茨城県 | 茨城県立カシマサッカースタジアム | マレーシア | ○4-0 | キリンチャレンジカップ |
指導歴・職歴
[編集]- 2016年 - 2020年 カターレ富山 強化部長
- 2021年 - 2023年 名古屋グランパス 強化部長補佐
- 2024年 - 徳島ヴォルティス
- 2024年 - 同年4月 クラブアドバイザー
- 2024年4月 - 強化本部長
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- 京都パープルサンガ
脚注
[編集]- ^ a b “黒部 光昭”. サッカー日本代表データベース. 2014年1月24日閲覧。
- ^ “京都の希望、関西の希望”. ジェレミー・ウォーカーのA View From A Brit (2003年1月3日). 2013年8月31日閲覧。
- ^ “契約満了選手のお知らせ”. カターレ富山 (2013年11月29日). 2013年11月29日閲覧。
- ^ 『黒部光昭選手 TTMカスタムズFC(タイ)へ加入のお知らせ』(プレスリリース)カターレ富山、2014年1月24日 。
- ^ “引退。”. 黒部光昭 公式Webサイト (2015年3月6日). 2015年3月6日閲覧。
- ^ “黒部光昭氏 強化部長就任内定のお知らせ”. カターレ富山 (2015年12月7日). 2015年12月8日閲覧。
- ^ “黒部 光昭氏クラブアドバイザー就任のお知らせ”. 徳島ヴォルティス (2023年12月27日). 2024年1月15日閲覧。
関連項目
[編集]- 徳島県出身の人物一覧
- 福岡大学の人物一覧
- 京都サンガF.C.の選手一覧
- セレッソ大阪の選手一覧
- 浦和レッドダイヤモンズの選手一覧
- ジェフユナイテッド市原・千葉の選手一覧
- アビスパ福岡の選手一覧
- カターレ富山の選手一覧
外部リンク
[編集]- 黒部光昭 - National-Football-Teams.com
- 黒部光昭 - Soccerway.com
- 黒部光昭 - FootballDatabase.eu
- 黒部光昭 - WorldFootball.net
- 黒部光昭 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 黒部光昭 - J.League Data Siteによる選手データ
- 黒部光昭オフィシャルサイト
- 黒部光昭 (@kurobeteruaki09) - X(旧Twitter)