髙萩洋次郎
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名前 | ||||||
愛称 | ヨウジ[1]、ヨージ | |||||
カタカナ | タカハギ ヨウジロウ | |||||
ラテン文字 | TAKAHAGI Yojiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年8月2日(38歳) | |||||
出身地 | 福島県いわき市 | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 71kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | アルビレックス新潟シンガポール | |||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足[1] | |||||
ユース | ||||||
植田スポーツ少年団 | ||||||
いわき市立植田中学校 | ||||||
2002-2003 | サンフレッチェ広島ユース | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003-2014 | サンフレッチェ広島 | 226 | (36) | |||
2006 | → 愛媛FC (loan) | 44 | (3) | |||
2015 | ウェスタン・シドニー・W | 11 | (2) | |||
2015-2016 | FCソウル | 46 | (3) | |||
2017-2022 | FC東京 | 145 | (4) | |||
2022 | → 栃木SC (loan) | 15 | (1) | |||
2023 | 栃木SC | 36 | (1) | |||
2024- | アルビレックス新潟・S | |||||
通算 | 523 | (50) | ||||
代表歴2 | ||||||
2013-2017 | 日本 | 3 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月31日現在。 2. 2017年12月9日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
髙萩 洋次郎(たかはぎ ようじろう、1986年8月2日 - )は、福島県いわき市出身[2]のプロサッカー選手。アルビレックス新潟シンガポール所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)[1]。元日本代表。クラーク記念国際高等学校広島キャンパス卒業。
来歴
[編集]プロ入り前
[編集]植田中学校入学と同時にJヴィレッジサッカースクールに通い、高田豊治[注 1] コーチから指導を受ける[4]。また、学校ではいわき市市大会で平一中に2対1で勝利し優勝に貢献した。U-15日本代表候補に選出される[5]。
中学3年時に高田に誘われ[4][5]、2002年に[6]サンフレッチェ広島ユースに入団[注 2]。2003年高校2年生時には、高校年代のサッカー界に旋風を巻き起こした広島ユースの中心選手として活躍、チームをクラブユース選手権優勝、高円宮杯3位に導いた[4]。
また2003年、前田俊介、髙柳一誠、佐藤昭大とともにトップチームの2種登録選手となる。小野剛に評価され、同年4月5日J2第4節湘南戦に初出場。16歳8ヶ月3日での出場となり、呉章銀が有していたJリーグ最年少出場記録を更新した[注 3][7][8]。同月29日J2第9節甲府戦には右サイドバックとしてフル出場した。同年11月1日、シーズン途中にユースから昇格しトップチームとプロ契約し[6]「クラブ史上初のプロの高校生Jリーガー[注 4]」となった[9]。それと平行して、広島県立吉田高等学校から通信制のクラーク記念国際高等学校へ転校し[6]卒業。
サンフレッチェ広島
[編集]トップチーム昇格後、一時は先発メンバーに抜擢されプロ初ゴールを決めたが[10]、度重なる怪我や病気に泣き、また守備面を課題視されたことから出場機会に恵まれなかった[9][10][11]。
2006年、出場機会を求めて[12]田村祐基や森脇良太とともに、望月一仁率いる愛媛FCへレンタル移籍。金守智哉に次ぐチーム2番目の出場時間を得[13]、中心選手として愛媛の躍進を支えた。
2007年、広島に復帰。当初コンディションがなかなか上がらなかったこともあり、同年はほぼ通年ベンチ入りを続けたものの出場機会は僅かだった[14]。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督から徐々に主力として評価されるようになり[15]、翌2008年には森﨑和幸や柏木陽介ら主力MFに怪我人が続出したため[16]トップ下として先発メンバーに定着すると、前線でのキープ力と得点力を発揮して[17][18]終盤には1トップでも活躍[19]。攻撃のキーマンとして[18]J1昇格に貢献した[16]。以後、J1でもチーム屈指のテクニックと独特の感覚を活かしたチャンスメイクで[4] レギュラーに定着。2010年のナビスコカップではチーム躍進の原動力となった攻守の要と評価され[20] ニューヒーロー章を受賞。
2012年は自身初のリーグ戦全試合出場を達成。4得点に留まったがリーグ最多アシストを記録[注 5] して[21] 広島のリーグ初優勝に大きく貢献し、自身初のJリーグベストイレブンに選出された。
2013年、背番号を10に変更。同年7月、東アジアカップに臨むA代表に初選出され、同月21日の中国戦で国際Aマッチ初出場を果たした。トップ下に入り[22] 攻撃にリズムを作ったが[23]、その後は候補入りするに留まり[24]翌年開催のワールドカップは選外となった。
2014年末、広島との契約更新を行わず[25]オーストラリアやアメリカのクラブへの移籍を模索[26]。
ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ
[編集]2015年1月、一番にオファーがあったという[27]Aリーグ・ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC(WSW)へ完全移籍[28]。同年のACLラウンド16終了時までの短期契約を結んだ[29][28]。2月1日、第15節メルボルン・シティ戦で移籍後初出場し、直接FKによる初得点を記録[30][31]。同月25日のACL第1節鹿島戦では自身の決勝点を含む1得点1アシストの活躍で[32] マン・オブ・ザ・マッチに選出された。
広島に選手としての在籍歴があるトニー・ポポヴィッチ監督の下、チームでは希少なゲームメイクのできる選手として重宝され[33]、ボランチ及びトップ下でプレー[32]。(前年のACLで優勝したWSWの)サッカーを肌で感じレベルアップしたいとの言葉通り[27]プレーの幅を広げることに成功した[34]。WSW残留も可能だったが[35]当初の契約通り半年足らずで退団[36]。
FCソウル
[編集]WSW在籍時にACLグループリーグでKリーグ1・FCソウルと対戦した際、ソウル監督の崔龍洙から高く評価され[37][35] 2015年6月に同クラブへ完全移籍。契約期間は2年6カ月、アジア枠での登録となった[38][39]。
コンディション面でやや出遅れたものの[40]、河大成以来となるチーム待望のゲームメイカーとしての期待は大きく[41]、8月19日の釜山戦で得点を挙げるなど調子を掴んでからは際立ったビルドアップ能力と[40] 広い視野、パスセンスを武器とする[42] 中盤の要として[40]定着。同年の韓国FAカップでは準決勝、決勝で連続得点を挙げる活躍で優勝に貢献[43]、特に決勝で決めたミドルシュートは幻想的とも評され大会MVPを獲得した[44][45][46]。韓国サッカー界の公式大会で日本人選手のMVP受賞は史上初[47]。
加入当初は弱点と見なされていたフィジカルや競り合い、守備面を[46][48]格段に向上させ、球際での戦いやボール奪取でも力を発揮[34][49][50]。2016年は得点に絡む場面こそ減少したが中盤を牽引する働きで[48] リーグ優勝を果たした。
ソウルとは2017年末までの契約を結んでおり[38][39]、2017年初頭のキャンプにも帯同していた[51]。しかし、ソウルがFC東京所属の河大成を獲得を図ったところ、髙萩へのオファーが届いたため[52]、両クラブ間で事実上のトレードが成立した[53]。
FC東京
[編集]2017年1月、FC東京へ完全移籍[54]。3年ぶりのJリーグ復帰となり[55] ドイスボランチの一角に配された。3月16日、日本代表のメンバー発表が行われ、3年8カ月ぶりに代表復帰を果たした。7月30日、第19節のアルビレックス新潟戦でJ1通算200試合を達成した。チームの大黒柱に成長した。
栃木SC
[編集]2023年より完全移籍[57]。
アルビレックス新潟シンガポール
[編集]2024年シーズンは、栃木を契約満了後、フリーでシンガポールプレミアリーグのアルビレックス新潟シンガポールへ加入した。
2024年10月8日、本人の一身上の都合により退団することが発表された。
エピソード
[編集]- 福島県出身としては初の日本代表選手[58][59]と言われるが、実は1927年の日本代表主将・鈴木重義も福島県出身。
- 2013年現在、広島における公式戦最年少出場記録保持者(16歳8ヶ月3日、2003年4月5日J2第4節対湘南ベルマーレ戦)。
- 2010年7月に結婚[60]。夫人は音楽プロデューサーのRina Moon[61]。2女の父親である。
- 想像豊かにパスを操るプレースタイルから、天才[1]、天才肌[60][34]のファンタジスタ[18] と形容されるが、自身では毎回閃かないしシンプルなプレーを心がけていると述べ、否定している[62]。
- 広島時代の2013年シーズン、高萩の個人チャントが作られた。以来、移籍したWSW、FCソウル、FC東京、栃木SCと広島時代と同じチャントメロディーが引き継がれる。
東日本大震災
[編集]髙萩の実家があるいわき市勿来地区は、太平洋の海岸線から約1キロメートル前後内陸に位置する[2]。2011年3月11日東北地方太平洋沖地震により発生した津波により、当時同市岩間町にあった実家は被災し1階部分は浚われていた[2][59]。両親は助かったものの祖母は2016年現在も行方不明のままである[63][2][60]。髙萩自身は広島の吉田サッカー公園で練習中だった[2]。なお2010年ナビスコカップニューヒーロー賞受賞の際に貰ったトロフィーは当時実家に置いており同様に被災したものの、後に家財に埋もれた状況で発見され補修復旧した実家に現在も飾ってある[64][63]。
髙萩自身も福島代表としての決意を新たにし[65]、2011年5月に現役Jリーガーを中心に支援団体「東北人魂を持つJ選手の会」が発足されると髙萩も名を連ね、広島に避難した福島県民の支援など積極的な被災者支援活動を行なった[2]。
所属クラブ
[編集]- 植田スポーツ少年団[7]
- いわき市立植田中学校[7]
- 安芸高田市立吉田中学校[66]
- サンフレッチェ広島ユース(広島県立吉田高等学校→クラーク記念国際高等学校[6])
- 2003年11月 - 2014年 サンフレッチェ広島F.C
- 2015年1月 - 同年5月 ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC
- 2015年6月 - 2016年 FCソウル
- 2017年 - 2022年 FC東京
- 2022年7月 - 同年12月 栃木SC(期限付き移籍)
- 2023年 栃木SC
- 2024年 - アルビレックス新潟シンガポール
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 広島 | 35 | J2 | 4 | 0 | - | 0 | 0 | 4 | 0 | |
2004 | 26 | J1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | |
2005 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | |||
2006 | 愛媛 | 25 | J2 | 44 | 3 | - | 0 | 0 | 44 | 3 | |
2007 | 広島 | 15 | J1 | 3 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 11 | 0 |
2008 | J2 | 38 | 14 | - | 4 | 0 | 42 | 14 | |||
2009 | J1 | 27 | 5 | 4 | 0 | 2 | 1 | 33 | 6 | ||
2010 | 22 | 4 | 5 | 1 | 1 | 1 | 28 | 6 | |||
2011 | 31 | 2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 35 | 2 | |||
2012 | 34 | 4 | 5 | 0 | 1 | 0 | 40 | 4 | |||
2013 | 10 | 31 | 3 | 2 | 1 | 6 | 2 | 39 | 6 | ||
2014 | 32 | 3 | 5 | 0 | 1 | 0 | 38 | 3 | |||
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
2014-15 | Wシドニー | 10 | Aリーグ | 11 | 2 | - | 0 | 0 | 11 | 2 | |
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | FCソウル | 2 | Kクラシック | 14 | 2 | - | 2 | 2 | 16 | 4 | |
2016 | 32 | 1 | - | 5 | 0 | 37 | 1 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2017 | FC東京 | 8 | J1 | 30 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 35 | 0 |
2018 | 34 | 0 | 2 | 0 | 3 | 1 | 39 | 1 | |||
2019 | 33 | 2 | 8 | 0 | 1 | 0 | 42 | 2 | |||
2020 | 26 | 1 | 2 | 0 | - | 28 | 1 | ||||
2021 | 19 | 0 | 10 | 1 | 1 | 0 | 30 | 1 | |||
2022 | 3 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | |||
栃木 | J2 | 15 | 1 | - | - | 15 | 1 | ||||
2023 | 36 | 1 | - | 3 | 0 | 39 | 1 | ||||
シンガポール | リーグ戦 | リーグ杯 | シンガポール杯 | 期間通算 | |||||||
2024 | 新潟S | プレミア | |||||||||
通算 | 日本 | J1 | 329 | 26 | 58 | 3 | 25 | 5 | 412 | 34 | |
日本 | J2 | 137 | 19 | - | 7 | 0 | 144 | 19 | |||
オーストラリア | Aリーグ | 11 | 2 | - | 0 | 0 | 11 | 2 | |||
韓国 | Kクラシック | 46 | 3 | - | 7 | 2 | 53 | 5 | |||
総通算 | 523 | 50 | 58 | 3 | 39 | 7 | 620 | 60 |
- 2003年の試合出場時点では2種登録選手
その他の公式戦
- 2008年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 2013年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2010 | 広島 | 15 | 2 | 0 | - | |
2012 | - | 3 | 0 | |||
2013 | 10 | 5 | 0 | - | ||
2014 | 7 | 1 | - | |||
2015 | WSW | 6 | 1 | - | ||
2016 | FCソウル | 2 | 9 | 0 | - | |
2020 | FC東京 | 8 | 7 | 0 | - | |
通算 | AFC | 36 | 2 | 3 | 0 |
- その他の国際公式戦
- 2020年
- AFCチャンピオンズリーグ2020・プレーオフ 1試合0得点
- 出場歴
- 2003年3月29日:公式戦初ベンチ入り - J2第3節対モンテディオ山形戦(広島スタジアム)
- 2003年4月湘南ベルマーレ戦(平塚競技場)
- 73分高橋泰に代わって途中出場
5日:Jリーグ初出場 - J2第4節対 - 2004年8月21日:Jリーグ初得点 - J1・2nd第2節対セレッソ大阪戦(広島ビッグアーチ)
- 先発フル出場、83分ゴール
- 2015年2月メルボルン・シティ戦(メルボルン・レクタンギュラー・スタジアム)
- 先発出場、5分ゴール、77分ジョシュア・ソティリオと交代
1日:Aリーグ初出場・初得点 - 第15節対 - 2015年7月25日:Kリーグ初出場 - Kリーグクラシック第23節 vs仁川ユナイテッドFC(ソウルワールドカップ競技場)[40]
- 2015年8月19日:Kリーグ初得点 - Kリーグクラシック第26節 vs釜山アイパーク(釜山アジアド主競技場)[40]
代表歴
[編集]- 2013年7月21日:国際Aマッチ初出場 - 東アジアカップ2013決勝ラウンド第1節 vsサッカー中華人民共和国代表(ソウルワールドカップ競技場)
出場大会など
[編集]- U-16日本代表
- AFC U-17選手権2002(2002年)
- U-18日本代表
- 国際ユースサッカーin新潟(2004年)
- U-19日本代表
- AFCユース選手権2004(2004年)
- U-21日本代表
- カタール・アジア競技大会(2006年)
- 日本代表
- 東アジアカップ2013(2013年)
- 東アジアカップ2015予備登録(2015年)[67]
- 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選(2017年)
- EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ2017(2017年)
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 3試合 0得点(2013年 - 2017年)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2013 | 2 | 0 |
2017 | 1 | 0 |
通算 | 3 | 0 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦国 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2013年7月21日 | ソウル | ソウルワールドカップスタジアム | 中国 | △3-3 | アルベルト・ザッケローニ | EAFF東アジアカップ2013 |
2. | 2013年7月28日 | ソウル | 蚕室総合運動場 | 韓国 | ○2-1 | アルベルト・ザッケローニ | EAFF東アジアカップ2013 |
3. | 2017年12月9日 | 東京 | 味の素スタジアム | 朝鮮民主主義人民共和国 | ○1-0 | ヴァイッド・ハリルホジッチ | EAFF E-1サッカー選手権2017 |
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- サンフレッチェ広島ユース
- 日本クラブユース選手権(2003年)
- サンフレッチェ広島
- Jリーグ ディビジョン1:2回(2012年、2013年)
- Jリーグ ディビジョン2:1回(2008年)
- ゼロックススーパーカップ:2回(2008年、2013年)
- FCソウル
FC東京
個人
[編集]- ナビスコカップニューヒーロー賞(2010年)
- Jリーグベストイレブン:1回(2012年)
- 韓国FAカップMVP:1回(2015年)
- Jリーグ・優秀選手賞(2019年)
注釈
[編集]- ^ 元東洋工業(現サンフレッチェ広島)選手。当時Jヴィレッジの副社長であり、JヴィレッジSS創設に尽力した。
- ^ 同級生に前田俊介、髙柳一誠、桒田慎一朗、佐藤昭大、森脇良太、藤井大輔、大屋翼、冨成慎司
- ^ 呉は2002年に16歳8ヶ月20日でJ1に出場。2004年に森本貴幸がJ1最年少、2007年に菊池大介がJ2最年少記録をそれぞれ更新している。
- ^ プロ未契約ながら公式戦出場を果たした初のケースは森崎和幸。
- ^ 非公式記録。Jリーグはアシストを集計していない。
脚注
[編集]- ^ a b c d 選手データベース - ウェイバックマシン(2008年7月15日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
- ^ a b c d e f 毎日新聞2012年3月11日付
- ^ “다카하기”. K League. 2023年11月4日閲覧。
- ^ a b c d Natural MF15 高萩洋次郎 - ウェイバックマシン(2010年8月30日アーカイブ分) サンフレッチェ広島公式 (2009年6月25日)
- ^ a b 豪州、韓国を経て3年ぶりJ復帰。高萩洋次郎選手が15歳で決断した「越境」という選択 (1/5) ジュニアサッカーを応援しよう! (2017年1月25日)
- ^ a b c d 高萩がプロ契約 - ウェイバックマシン(2003年11月21日アーカイブ分) 中国新聞 (2003年11月2日)
- ^ a b c らぶスポーツ いわき民報 (2011年1月5日)
- ^ 髙萩 洋次郎選手(広島)J2リーグ戦 最年少出場記録更新 Jリーグ (2003年4月5日)
- ^ a b 高萩、輝き戻る判断力 - ウェイバックマシン(2004年6月4日アーカイブ分) - 中国新聞 (2004年5月27日)
- ^ a b 連敗止めた 初先発の高萩、決勝弾 - ウェイバックマシン(2006年8月27日アーカイブ分)中国新聞 (2004年8月21日)
- ^ “ゲストギャラリー 高萩洋次郎選手”. サンフレッチェ・ラジオ・サポーターズクラブ“GOA〜L” (2005年12月13日). 2010年1月28日閲覧。
- ^ 「試合に出て、手にしたもの」 - ウェイバックマシン(2007年5月28日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2007年2月2日)
- ^ 選手出場記録 Jリーグ (2006年12月2日)
- ^ 選手出場記録 (1/2) , (2/2) (2007年12月1日)
- ^ 紫熊倶楽部2008年8月号[要ページ番号]
- ^ a b J2完全優勝の軌跡<上> 継続と成長 - ウェイバックマシン(2010年5月2日アーカイブ分) 中国新聞 (2008年10月2日)
- ^ ゼロトップ連係に課題 佐藤寿不在で柏木ら奮起 - ウェイバックマシン(2013年12月19日アーカイブ分)中国新聞 (2008年9月4日)
- ^ a b c 選手情報 - ウェイバックマシン(2009年6月2日アーカイブ分)Number
- ^ 広島MF高萩が1トップで活躍 / 天皇杯 日刊スポーツ (2008年11月15日)
- ^ ニューヒーロー賞は広島・高萩、「僕でいいのかなと。“ニュー”ではないんで」 ゲキサカ (2010年11月2日)
- ^ 広島高萩アシスト王 / 日刊アウォーズ 日刊スポーツ (2012年12月26日)
- ^ 柿谷と好連係を見せた高萩 「もっともっとよくなる」 ゲキサカ (2013年7月22日)
- ^ 高萩デビュー戦攻撃にリズム / 東アジア杯 日刊スポーツ (2013年7月22日)
- ^ 高萩W杯メンバー滑り込みへ猛アピール 日刊スポーツ (2014年4月8日)
- ^ 高萩、退団へ 海外への移籍目指す - ウェイバックマシン(2015年1月21日アーカイブ分)中国新聞 (2014年12月31日)
- ^ 元日本代表MF高萩が広島退団へ 米、豪などの移籍先模索 スポーツニッポン (2014年12月31日)
- ^ a b MF高萩「ベストの状態で挑戦」J1広島から豪クラブ移籍 デイリースポーツ (2015年1月15日)
- ^ a b Wanderers sign Japanese International ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ (2015年1月14日)
- ^ 広島MF高萩、短期契約で昨季ACL覇者のW・シドニーに加入決定 SOCCERKING (2015年1月14日)
- ^ 高萩、Aリーグデビュー戦で直接FK弾! 田中とゴールパフォーマンスも披露 フットボールチャンネル (2015年2月1日)
- ^ 高萩がAリーグデビューでFK弾…田中裕介と相撲パフォーマンス披露 SOCCERKING (2015年2月1日)
- ^ a b オフ明けのJ、まさに完敗。だが、焦るな。まだ何も決まったわけではない J論 (2015年2月27日)
- ^ Wシドニー、高萩と田中の退団発表。契約満了でフリートランスファーに フットボールチャンネル (2015年6月6日)
- ^ a b c ハリル、期待のソウルMF高萩を初視察…アジアで進化した司令塔は「候補の一人」 SOCCERKING (2016年5月19日)
- ^ a b 現地取材(2)日本人Kリーガー高萩洋次郎が語る「日本と韓国の違い」 (archive) Yahoo!ニュース (2017年1月10日)
- ^ Japanese duo depart Wanderers ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ (2015年6月6日)
- ^ ACLで浦和がFCソウルに先勝。Kリーガー高萩洋次郎と日韓新時代。 Number (2016年5月19日)
- ^ a b FCソウルが元日本代表MF高萩を獲得…6月までW・シドニーでプレー SOCCERKING (2015年6月16日)
- ^ a b FCソウル、Wシドニー退団MF高萩を獲得。2017年シーズン終了までの2年半 フットボールチャンネル (2015年6月16日)
- ^ a b c d e 【韓国メディアの視点】株価急上昇のFCソウル・高萩洋次郎に「(韓国代表)キ・ソンヨンと比べても遜色ない」の評価 (1/2) webサッカーダイジェスト (2015年10月27日)
- ^ 【韓国メディアの視点】高評価のカレンと“ソウルの救世主”と期待される高萩――。日本人Kリーガーの評価は? (2/2) webサッカーダイジェスト (2015年7月15日)
- ^ 【韓国メディアの視点】株価急上昇のFCソウル・高萩洋次郎に「(韓国代表)キ・ソンヨンと比べても遜色ない」の評価 (2/2) webサッカーダイジェスト (2015年10月27日)
- ^ FCソウルが韓国FA杯制覇! 高萩はスーパーゴールを挙げMOMに選出 フットボールチャンネル (2015年10月31日)
- ^ FCソウルがFAカップ優勝、MVPに高萩洋次郎 - ウェイバックマシン(2015年11月5日アーカイブ分)中央日報 (2015年11月1日)
- ^ 高萩洋次郎が手にしたWタイトル、韓国FA杯優勝とMVP。アジアを席巻する日本人司令塔の躍動と誇り フットボールチャンネル (2015年11月7日)
- ^ a b 돌아온 '마에스트로' 하대성에 대한 기대와 불안 中央日報 (2017年1月20日)
- ^ 現地取材(1)日本人Kリーガー高萩洋次郎が語る「韓国チャンピオンへの道のり」 (archive) Yahoo!ニュース (2017年1月10日)
- ^ a b 高萩洋次郎、FC東京移籍に秘めた思い。愛する韓国で成功を収め、日本復帰を決意した背景 (3/3) フットボールチャンネル (2017年2月22日)
- ^ ハリル監督、アジアの海外組・高萩初招集へ 岡崎世代の攻撃的MF スポーツニッポン (2016年5月6日)
- ^ 櫛引、井手口、小川、高萩…ハリルが口にした未招集の代表候補 ゲキサカ (2016年3月3日)
- ^ FC東京 完全移籍の高萩、26日からキャンプ合流 デイリースポーツ (2017年1月26日)
- ^ 서울, 하대성 오고 다카하기 떠나고 スポーツ京郷 (2017年1月19日)
- ^ 하대성 FC서울 복귀, 다카하기와 트레이드 スポーツ朝鮮 (2017年1月19日)
- ^ 『髙萩洋次郎選手 完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)FC東京、2017年1月25日 。2017年1月25日閲覧。
- ^ 3年ぶりJ復帰戦で勝利のFC東京MF高萩「気持ち的にも楽になる」 ゲキサカ (2017年2月25日)
- ^ 『髙萩洋次郎選手 FC東京より期限付き移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)栃木SC、2022年7月11日 。2022年7月11日閲覧。
- ^ 『髙萩洋次郎選手 FC東京より完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)栃木SC、2022年12月2日 。2023年2月26日閲覧。
- ^ 福島県初の日本代表MF高萩「思いを届けられたらと常に思っている」 SOCCERKING (2013年7月22日)
- ^ a b あぶくま抄(7月18日) - ウェイバックマシン(2013年10月2日アーカイブ分)福島民報 (2013年7月18日)
- ^ a b c 広島高萩祖母の安否不明「福島に勇気を」 日刊スポーツ (2011年4月23日)
- ^ 韓国の楽曲を和訳・・・作詞家Rina moonさんインタビュー 日刊スポーツ (2012年4月13日)
- ^ 『サッカーマガジン 1539号』ベースボール・マガジン社、2017年、56頁。
- ^ a b 【広島vs湘南】ウォーミングアップコラム J's GOAL (2016年3月11日)
- ^ htvgenkimaruの投稿(235510203293756) - Facebook (2014年1月13日)
- ^ “福島県代表”高萩の被災地への思い 「いいニュースを届け続けたい」 ゲキサカ (2013年9月29日)
- ^ 豪州、韓国を経て3年ぶりJ復帰。高萩洋次郎選手が15歳で決断した「越境」という選択 (2/5) ジュニアサッカーを応援しよう! (2017年1月25日)
- ^ 東アジア杯の男子予備登録メンバーにFW大久保ら50人 スポーツニッポン (2015年7月10日)
参考資料
[編集]- “大震災1年:サッカー サンフレッチェ、復興願いプレー 高萩洋次郎選手「よみがえれ古里、咲き誇るヒマワリのように」”. 毎日新聞 (2012年3月11日). 2012年3月12日閲覧。 [リンク切れ]
関連項目
[編集]- 福島県出身の人物一覧
- サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧
- 愛媛FCの選手一覧
- FC東京の選手一覧
- 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧
- サンフレッチェ広島F.Cの育成組織
- 栃木SCの選手一覧
外部リンク
[編集]- 髙萩洋次郎 - National-Football-Teams.com
- 髙萩洋次郎 - Soccerway.com
- 髙萩洋次郎 - Soccerbase.comによる選手データ
- 髙萩洋次郎 - FootballDatabase.eu
- 髙萩洋次郎 - WorldFootball.net
- 髙萩洋次郎 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 髙萩洋次郎 - FIFA主催大会成績
- 髙萩洋次郎 - J.League Data Siteによる選手データ
- 髙萩洋次郎 - K League
- 髙萩洋次郎 - TheFinalBall.com
- 高萩 洋次郎〜気まぐれブログ〜 - Ameba Blog
- 髙萩洋次郎 (@yojiro_08) - Instagram
- プロフィール - FC東京