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蟹清水砦跡

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蟹清水砦跡

蟹清水砦跡(かにしみずとりであと)は、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの折り、家康方が築いたとされるの跡。

概要

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この地にはかつて織田信長永禄6年(1563年)、丹羽長秀小牧山に築城[1]を命じた際、長秀が建てたと言われている屋敷があった。その屋敷を修復し、砦とした。砦の大きさは東西四十六間、南北六十一間あったとされている。「蟹清水」の由来はこの地に清水があり、がいたからではないかと考えられている。江戸時代には尾張徳川家御殿小牧御殿)の一部となり、昭和20年代までは跡や土塁跡が残っていたが、現在同地には住宅や道路が整備され、遺構や、名前の由来となったとされる清水も残っていない。

しかし、味鋺村(現在の愛知県名古屋市北区)に丹羽長秀宅跡が記録されているため、上記の真意は不明。[2]

また徳川軍の砦は北外山、南外山、田楽にあったと記されている。[2]上記の蟹清水砦は本当にあったかどうかは不明。

所在地

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交通手段

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 小牧山城
  2. ^ a b 『尾張名所図会附録』編輯兼発行者若山善三郎 発行所名古屋温故会、出版書写年 昭和5年(1930年)~昭和8年(1933年)刊。 

外部リンク

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