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荻野恒一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荻野 恒一おぎの こういち
生誕 (1921-06-19) 1921年6月19日
日本の旗 日本大阪
死没 (1991-10-15) 1991年10月15日(70歳没)
日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
研究分野 精神医学
精神病理学
研究機関 京都大学
パリ大学
南山大学
金沢大学
慶應義塾大学
東京都精神医学総合研究所
出身校 京都帝国大学医学部医学科
医学博士京都大学1952年
プロジェクト:人物伝
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荻野 恒一(おぎの こういち、1921年6月19日 - 1991年10月15日)は、日本医学者精神科医。専門は精神病理学南山大学文学部教授金沢大学教育学部教授、慶應義塾大学客員教授を務めた。

経歴

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出生から修学期

1921年、大阪で生まれた[1]旧制山口高等学校を経て、京都帝国大学医学部医学科に進学。1944年9月に同大学を卒業。

精神医学分野の研究者として

1944年10月、京都帝国大学医学部精神医学教室副手に採用され、実施修練に入った。後に助手、講師昇格。1952年、学位論文『易感性関係妄想の成立機転』を京都大学に提出して医学博士の学位を取得[2]。1953年3月から1955年12月まで、パリ大学医学部精神医学教室にに研究留学。

1956年1月、南山大学文学部教育家助教授となった。のち教授昇格。1964年8月から12月まで、パプア・ニューギニアにて精神医学調査を実施。1970年、金沢大学教育学部教授に転じた。1973年3月に退任し、4月より東京都精神医学総合研究所参事研究員(1981年7月~1991年4月は同研究所非常勤研究員)。1982年から1987年まで、慶應義塾大学客員教授として教鞭をとった。

1991年10月15日、肺炎のため死去[3]

研究内容・業績

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専門は精神病理学で、特に精神分裂病の臨床と研究にあたった。人間を取り巻く社会や文化状況が与える精神病理にパプア・ニューギニアの調査を通して関心を持つようになり、文明と伝統文化の間で引き起こされる摩擦の問題に対しても目を向けていった。

著書

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著書

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共編著

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翻訳

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荻野恒一に関する資料

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  • 「出会いとまよい:荻野恒一論 1」『哲学』94, 1993年, 25-46頁 (年譜あり).PDF

脚注

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関連人物

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関連項目

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