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片岡安

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片岡安
生誕 細野 安
1876年(明治19年)6月4日
石川県金沢市
死没 (1946-05-26) 1946年5月26日(69歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学工科大学造家学科
職業 建築家、政治家
所属 日本銀行→第三十四銀行→辰野片岡建築事務所→片岡松井建築事務所→片岡建築事務所→片岡・石本建築事務所

片岡 安 (かたおか やすし、 1876年6月4日- 1946年5月26日) は、日本建築家都市計画家工学博士(東京帝国大学)。関西工学専修学校(現在の大阪工業大学)初代校長・理事長。金沢市長(1期)[1]日本建築協会初代理事長・会長[2]大阪商工会議所第13代会頭[3]大阪工業会第3代会長。

来歴

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辰野金吾と共同で大阪に建築事務所を開き、多くの作品を残した。また日本における都市計画研究の先駆者であり、建築法規(旧都市計画法、市街地建築物法)に尽力した。

関西建築界の重鎮であり、日本建築協会会長は30年に及んだ。その功績を讃えて、同協会より片岡安賞が創設されている。また、建築界のみならず、大阪工業会会長、商工識所会頭をも務めた実業界の実力者であった[4][5][6]

明治大正昭和期に大阪で活躍した。

主な作品

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旧日本生命保険九州支店(現・福岡市赤煉瓦文化館)
旧山口銀行京都支店(旧北國銀行京都支店)
鹿児島市中央公民館
建造物名 所在地 指定 備考
/第三十四銀行本店 1897年(明治30年) 27大阪市中央区 現存せず
/日本生命保険九州支店
(現・福岡市赤煉瓦文化館)
1909年(明治42年) 40福岡市中央区 重要文化財 辰野片岡建築事務所
/日本教育生命保険
(現・オペラ・ドメーヌ高麗橋)
1912年(明治45年) 27大阪市中央区 辰野片岡建築事務所
/百三十銀行八幡支店 1915年(大正4年) 40福岡県北九州市八幡東区 辰野片岡建築事務所
/東洋紡績本店 1916年(大正5年) 27大阪市 現存せず 辰野片岡建築事務所
/旧北國銀行京都支店 1916年(大正5年) 26京都市中京区 辰野片岡建築事務所
/大阪市中央公会堂 1918年(大正7年) 27大阪市北区 重要文化財 実施設計辰野片岡建築事務所
/大阪市庁舎 1921年(大正10年) 27大阪市北区 現存せず 実施設計
/金沢市役所 1922年(大正11年) 17石川県金沢市 現存せず
/大阪工業倶楽部 1922年(大正11年) 27大阪市 現存せず
/福岡市庁舎 1923年(大正12年) 40福岡市中央区 現存せず
/大阪野村銀行本店 1924年(大正13年) 27大阪市中央区 現存せず
/芦屋仏教会館 1927年(昭和2年) 28兵庫県芦屋市
/鹿児島市中央公民館 1927年(昭和2年) 46鹿児島県鹿児島市
/大阪信用金庫旧本店
(現・同信金日本橋支店)
1936年(昭和11年) 27大阪市中央区

脚注

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  1. ^ 校長 片岡安 - 学校法人常翔学園(「学園を創ってきた人たち」)
  2. ^ 歴代理事長 歴代会長 - 日本建築協会(「設立の目的と沿革」)
  3. ^ 第13代会頭 - 大阪商工会議所(「歴代会頭について」)
  4. ^ 大月敏雄「まちなみ図譜・文献逍遙 其ノ十一 片岡安『現代都市之研究』 (PDF) 」『家とまちなみ』No.60、住宅生産振興財団、2009年9月
  5. ^ 松浦清・吉村英祐「常翔100年"モノ"語り 特別対談 -片岡安の描いた夢は100年でどこまで実現したのか-」『FLOW』No.84、学校法人常翔学園、2019年5月、pp.5 - 6
  6. ^ 佐野吉彦「建築から学ぶこと 片岡安の肖像」『安井建築設計事務所マガジン』No.109、2007年
  7. ^ 創設の経緯 工業技術者育成のパイオニアとして - 学校法人常翔学園

参考文献

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  • 『日本建築協会80年史』社団法人日本建築協会、1999年
  • 『近代大阪の建築』社団法人大阪府建築士会、1984年
  • 『日本近代建築総覧』日本建築学会、1994年
  • 松井清足「片岡安君を悼む」(建築雑誌1947.7)

関連項目

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外部リンク

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公職
先代
吉川一太郎
金沢市長
第12代:1934年 - 1936年
次代
澤野外茂次
その他の役職
先代
安宅弥吉
大阪商工会議所会頭
第12代:1940年 - 1943年
次代
関桂三