潮 (初代神風型駆逐艦)
表示
艦歴 | |
---|---|
計画 | 1904年度[1] |
起工 | 1905年4月12日[1] |
進水 | 1905年6月18日[1] |
就役 | 1905年7月15日[1] |
その後 | 1912年8月28日三等駆逐艦[1] 1924年12月1日掃海艇編入[1] 1928年7月6日廃駆逐艦第12号と仮称[1] |
除籍 | 1928年4月1日[1] |
廃船 | 1929年1月31日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:381t 満載:450t |
全長 | 69.2メートル |
全幅 | 6.6メートル |
吃水 | 1.8メートル |
機関 | レシプロエンジン2基2軸、6,000hp |
最大速力 | 29ノット |
航続距離 | 11ノット/850カイリ |
乗員 | 70人 |
兵装 | 80mm(40口径)単装砲 2門 80mm(28口径)単装砲 4門 450mm魚雷発射管 2門 |
潮(うしお / うしほ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、神風型駆逐艦 (初代)の19番艦である。同名艦に吹雪型駆逐艦(「特II型、綾波型」)の「潮」があるため、こちらは「潮 (初代)」や「潮I」などと表記される。
艦歴
[編集]1905年(明治38年)2月15日、命名(製造番号第19号)[2]。同年4月12日、呉海軍工廠で起工[3]。同年6月18日、進水[3]。同月28日、本型の中で最も早く駆逐艦として類別[4]。同年7月15日、竣工[3]。
第一次世界大戦では、青島の戦いに参加[1]。シベリア出兵時には沿海州の沿岸警備を行った[1]。
1924年(大正13年)12月1日、掃海艇に編入[5]。潮型掃海艇となる[6]。1928年(昭和3年)4月1日、除籍[7]。同年7月6日、廃駆逐艦第12号と仮称。1929年(昭和4年)1月31日、廃船。
艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 駆逐艦長
- 磯部忠次 少佐:1905年12月12日 - 1906年8月30日
- (兼)成瀬美雄 大尉:1906年8月30日 - 10月25日
- (兼)加々良乙比古 大尉:1906年10月25日 - 1907年1月12日
- 内倉利吉 大尉:1907年1月12日 - 1908年4月20日
- 鈴木辰雄 大尉:1908年4月20日 - 12月10日
- 西野作太郎 大尉:不詳 - 1909年4月12日
- 唐沢忠祥 大尉:1909年4月12日 - 1909年12月1日
- (兼)佐川英夫 大尉:1909年12月1日 - 1910年12月1日
- 石川清 大尉:1910年12月1日 - 1911年1月23日
- 岡田政次郎 少佐:1911年1月23日 - 8月19日
- 臼井国 大尉:1911年8月19日 - 1912年5月22日
- 野田為良 少佐:1912年5月22日 - 1913年4月1日
- 小沢潔 大尉:1913年4月1日 - 12月1日
- 石田正一 大尉:1913年12月1日 - 1914年8月7日
- 福本百太郎 大尉:1914年8月7日 - 1915年12月13日
- 柘植慶太郎 大尉:1915年12月13日 - 1917年6月1日
- 畠山義赴 大尉:1917年6月1日 - 8月23日
- 坪井丈左衛門 少佐:1917年8月23日 - 12月1日[8]
- 馬瀬篤治 大尉:1917年12月1日[8] - 1918年5月21日[9]
- 小山与四郎 大尉:1918年5月21日[9] - 1918年12月1日[10]
- 吉田庸光 大尉:1918年12月1日 - 1919年9月15日
- 岩村清一 大尉:1919年9月15日 - 1919年12月1日
- 小林廉也 大尉:1919年12月1日[11] - 1920年11月15日[12]
- 鈴木田幸造 大尉:1920年11月15日[12] - 1922年1月10日[13]
- (兼)山本正夫 大尉:1922年1月10日[13] - 7月20日[14]
- 阿部弘毅 大尉:1922年7月20日 - 1922年12月1日
- 藤田類太郎 大尉:1922年12月1日 - 1923年11月20日
- 大藤正直 大尉:1923年11月20日[15] -
- 掃海艇長
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『日本海軍史』第7巻、292頁。
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.205『◎驅逐艦神風外二十四隻命名ノ件 明治三十八年二月十五日(達一七)臨時軍事費ヲ以テ建造スヘキ驅逐艦二十五隻ヘ左ノ通命名セラル|製造番號 製造所 艦名|第一號 横須賀海軍工廠 神風カミカゼ/第二號 同 初霜ハツシモ/第三號 同 彌生ヤヨヒ/第四號 同 如月キサラギ/第五號 長崎三菱造船所 白露シラツユ/第六號 同 白雪シラユキ/第七號 同 松風マツカゼ/第八號 神戸川崎造船所 朝風アサカゼ/第九號 同 春風ハルカゼ/第十号 同 時雨シグレ/第十一號 大阪鐡工場 朝露アサツユ/第十二號 同 疾風ハヤテ/第十三號 舞鶴海軍工廠 追風オヒテ/第十四號 同 夕凪ユフナギ/第十五號 佐世保海軍工廠 夕暮ユフグレ/第十六號 同 夕立ユフダチ/第十七號 同 三日月ミカヅキ/第十八號 同 野分ノワキ/第十九號 呉海軍工廠 潮ウシホ/第二十號 同 子日ネノヒ/第二十一號 横須賀海軍工廠 響ヒビキ/第二十二號 長崎三菱造船所 白妙シロタヘ/第二十三號 神戸川崎造船所 初春ハツハル/第二十四號 横須賀海軍工廠 若葉ワカバ/第二十五號 同 初雪ハツユキ』
- ^ a b c #海軍制度沿革(巻11、1940)p.567『潮|掃海艇|(要目略)|呉工廠|38-4-12|38-6-18|38-7-15|(武装略)』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.52『明治三十八年六月二十八日(達八八)軍艦及水雷艇類別等級別表中驅逐艦ノ欄「皐月」ノ次ニ「潮」ヲ追加ス』
- ^ #達大正13年12月p.1『達第百三十七號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 大正十三年十二月一日 海軍大臣 財部彪|軍艦ノ欄内「水雷母艦」ヲ潜水母艦ニ改ム|驅逐艦三等ノ欄内「有明、吹雪、潮、初霜、神風、彌生、子日、如月、朝風、夕暮、若葉、春風、追風、初雪、時雨、夕立、響、初春、疾風、夕凪、卯月、水無月、長月、菊月、浦波、磯波、綾波」ヲ削ル|掃海艇ノ欄内「第六號」ノ次ニ「夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響、浦波、磯波、水無月、長月、菊月、綾波、潮、子日、朝風、若葉、春風、初雪」ヲ加フ|水雷艇ノ欄ヲ削ル|備考第三號ヲ左ノ通改ム 掃海艇ヲ呼稱スルニハ「掃海艇何」ヲ以テス但シ番号ヲ附スルモノハ「第一號掃海艇」「第二號掃海艇」等ト稱ス 備考第四號ヲ削リ第五號ヲ第四號トス』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和三年四月一日(内令九〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦ノ部海防艦二等ノ項中「千歳、明石、」ヲ、砲艦一等ノ項中「最上、」ヲ削ル|驅逐艦三等ノ項中「白露型」及「白露、三日月」ヲ削ル|掃海艇ノ部中「潮型」ヲ「浦波型」ニ改メ同部中「潮、夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響」及「、子日、朝風、若葉、春風、初雪」ヲ削ル』
- ^ #除籍駆逐艦(2)pp.44-46『舊潮(千噸以下)(略)(大正一三.一二.一驅逐艦潮掃海艇籍ニ入ル昭和三年四月一日掃海艇籍ヨリ除カル)』
- ^ a b 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
- ^ a b 『官報』第1739号、大正7年5月22日。
- ^ 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
- ^ 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2488号、大正9年11月16日。
- ^ a b 『官報』第2830号、大正11年1月11日。
- ^ 『官報』第2991号、大正11年7月21日。
- ^ 『官報』第3375号、大正12年11月21日。
- ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
- ^ 『官報』第4275号、大正15年11月22日。
参考文献
[編集]- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713』海軍大臣官房、1940年。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正13年達完/12月』。Ref.C12070084200。
- 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(2)』。Ref.C14010006000。
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。