波号第五潜水艦
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艦歴 | |
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計画 | 明治37年度計画[1] |
起工 | 1910年8月1日[1] |
進水 | 1911年3月27日[1] |
竣工 | 1911年8月31日[1] |
除籍 | 1929年4月1日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:291トン 水中:320トン |
全長 | 43.33m |
全幅 | 4.14m |
吃水 | 3.43m |
機関 | ヴィッカース・ガソリン機関1基1軸 水上:600馬力 水中:300馬力 |
速力 | 水上:12kt 水中:7kt |
航続距離 | 水上:12ktで660海里 水中:4ktで60海里 |
燃料 | ガソリン |
乗員 | 26名 |
兵装 | 機銃1挺 45cm魚雷発射管 艦首2門 魚雷2本 |
備考 | 安全潜航深度:30.5m |
波号第五潜水艦(はごうだいごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波三型潜水艦(C2型)の3番艦。
艦歴
[編集]1910年(明治43年)8月1日、呉海軍工廠で起工[1]。船体と兵器は国産で、イギリスから機関、潜望鏡、ジャイロコンパスを輸入して建造された[2]。1911年(明治44年)3月27日進水。同年8月31日竣工。第十二潜水艇と命名され、種別、潜水艇、潜水艇に類別[1]。 1916年(大正5年)8月4日、二等潜水艇[1]。1919年(大正8年)4月1日、第十二潜水艦に改称し、三等潜水艦に種別、類別を変更[1]。1923年(大正12年)6月15日、波号第五潜水艦に改称。1929年(昭和4年)4月1日に除籍。1929年(昭和5年)、大阪港防波堤となる[3]。
歴代艦長
[編集]※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艦長
- 岡敬純 大尉:1920年12月1日 - 1921年6月1日
- 吉富説三 大尉:1921年6月1日 - 7月1日
- 中原義正 大尉:1921年7月1日 - 11月10日[4]
- (兼)上条深志 大尉:1921年11月10日 - 12月10日
- (兼)伊藤貞一 少佐:1921年12月10日[5] - 1922年1月20日[6]
- (兼)森徳治 大尉:1922年1月20日[6] - 1923年3月10日[7]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。