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杉村沖治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
杉村沖治郎
すぎむら おきじろう
生年月日 1890年8月25日
出生地 日本の旗 日本 埼玉県賀美郡丹荘村
(現・児玉郡神川町
没年月日 (1955-10-17) 1955年10月17日(65歳没)
出身校 日本大学法律科卒業
前職 弁護士
所属政党日本社会党→)
右派社会党→)
日本社会党

選挙区 旧埼玉3区
当選回数 2回
在任期間 1953年4月19日 - 1955年10月17日

四谷区会議員
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杉村 沖治郎(すぎむら おきじろう、1890年明治23年)8月25日[1] - 1955年昭和30年)10月17日[1][2])は、日本の弁護士政治家衆議院議員

経歴

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埼玉県賀美郡丹荘村元阿保(現:児玉郡神川町)で、杉村権治郎、トラ夫妻の五男として生まれる[1]1922年日本大学法律科を卒業し弁護士となり[1][2]、人権擁護、労働問題を中心に活動した[1]

司法行政中央監察委員会委員、労働者災害補償審査委員会委員、労働者災害保険審査委員会委員、東京地方裁判所調停委員、東京弁護士会常議員、日本弁護士協会理事、人権擁護委員会委員長などを歴任[1][2]

政界では、四谷区会議員を務めた[2]。戦後、日本社会党埼玉県連合会の結成に加わり副委員長となり、1947年4月、第23回衆議院議員総選挙埼玉県第三区から出馬したが落選[1]1953年4月、第26回総選挙で初当選し、次の第27回総選挙でも再選されたが、在任中に死去し衆議院議員を連続二期務めた[1][2]。この間、判事検事弾劾委員会委員長、日本社会党埼玉県連合会顧問などを務めた[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『埼玉人物事典』436頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』329頁。

参考文献

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  • 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。