日本とアルジェリアの関係
表示
アルジェリア |
日本 |
---|
日本とアルジェリアの関係(アラビア語: العلاقات الجزائرية اليابانية、英語: Algeria–Japan relations)では、日本とアルジェリアとの関係について記述する。日本とアルジェリアは1962年に国交を樹立した[1]。
両国の比較
[編集]アルジェリア | 日本 | 両国の差 | |
---|---|---|---|
人口 | 3780万人(2013年)[1] | 1億2711万人(2015年)[2] | 日本はアルジェリアの約3.4倍 |
国土面積 | 238万 km²[1] | 37万7972 km²[3] | アルジェリアは日本の約6.3倍 |
首都 | アルジェ | 東京 | |
最大都市 | アルジェ | 東京 | |
政体 | 半大統領制 | 議院内閣制[4] | |
公用語 | アラビア語[5] | 日本語(事実上) | |
国教 | イスラム教[6] | なし | |
GDP(名目) | 1750億7700万米ドル(2015年)[7] | 4兆1162億4200万米ドル(2015年)[7] | 日本はアルジェリアの約23.5倍 |
防衛費 | 104億1300万米ドル(2015年)[8] | 409億米ドル(2015年)[8] | 日本はアルジェリアの約3.9倍 |
概要
[編集]日本国政府は、アルジェリアをフランスから独立した1962年7月4日に国家承認を行ない、2012年には、国交樹立50周年を迎えた[9]。2015年現在、両国は互いの首都にそれぞれ、日本がアルジェに、アルジェリアが東京に大使館を開設している[1]。
歴史
[編集]第二次世界大戦後の日本とアルジェリアの二国間関係の歴史は、1958年9月アルジェリア民族解放戦線(FLN)が東京に極東代表部を開設したところからはじまる。1962年7月4日フランス領アルジェリアはアルジェリア民主人民共和国として独立を果たし、日本政府と国交を結び、1964年2月14日に在アルジェリア日本国大使館が設置され、同年6月に駐日アルジェリア大使館を開設した[1]。2013年1月16日、アルジェリアのイリジ県イナメナスにてアルジェリア人質事件が発生し、多数の日本人犠牲者が出た[10]。
経済協力
[編集]2011年3月に日本で発生した東日本大震災において、在アルジェリア日本大使館にてメデルチ外務大臣の弔問記帳とともにアルジェリア政府は、日本に対して義援金1,000万米ドルの寄付を行なった[1]。
一方で2013年度までの日本からアルジェリアへの経済協力は有償資金と無償資金および技術による協力は合計230億円を超える[1]。
在日アルジェリア人、在留邦人
[編集]2014年6月現在、在日アルジェリア人は160人、2013年10月現在、在アルジェリア日本人は270人を数える[1]。
外交使節
[編集]在アルジェリア日本大使
[編集]
民族解放戦線(FLN)極東代表部代表
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
在日アルジェリア大使
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 官職名 | 備考 |
---|---|---|---|---|
スリム・タハール・デバガ | 1964年[12] | 臨時代理大使 | ||
1 | アブデルマレク・ベンハビレス | 1964年 - 1971年[12] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は8月14日[13] 大統領代理経験者 法務大臣経験者 |
2 | ブラヒム・ガーファー[14][15] | 1971年 - 1979年[12] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は9月2日[16] |
3 | ムラード・ベンシェイク[17] | 1979年 - 1984年 | 特命全権大使 | 信任状捧呈は12月19日[18] |
4 | ナッセレディーン・ハッファード | 1984年 - 1988年 | 特命全権大使 | 信任状捧呈は10月29日[19] |
5 | ヌレディヌ・ヤズィド・ゼルーニ | 1988年 - 1991年[20] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は10月11日[21] 旭日大綬章受章[22] |
6 | スリム・タハール・デバガ | 1992年 - 1997年[23] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は3月5日[24] 旭日重光章受章[25] |
7 | ブジュマ・デルミ | 1997年 - 2001年[26] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は11月6日[27] |
8 | アマール・ベンジャマ | 2001年 - 2005年[28] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は11月6日[29] |
9 | シド・アリ・ケトランジ | 2005年 - 2015年[30] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は12月12日[31] 旭日重光章受章[32] |
モハメッド・スマニ | 2015年 | 臨時代理大使 | ||
10 | モハメッド・エル・アミン・ベンシェリフ | 2015年 - 2021年[33] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は4月28日[34] |
ダラル・ラムヌ | 2021年 | 臨時代理大使 | ||
11 | ラルビ・カティ | 2021年 - 2023年 | 特命全権大使 | 信任状捧呈は2月9日[35] |
ラバ・ジョアハラ | 2023年 | 臨時代理大使 | ||
12 | ファリード・ブーラハベル | 2023年 - | 特命全権大使 | 信任状捧呈は11月6日[36] |
出典・脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h “アルジェリア基礎データ 外務省”. 日本国外務省 (2015年9月8日). 2015年11月6日閲覧。
- ^ 平成27年国勢調査人口速報集計 結果の概要 - 2016年2月26日
- ^ 日本の統計2016 第1章~第29章 | 総務省統計局
- ^ 日本国憲法で明確に定められている。
- ^ アルジェリア憲法第3条で明確に定められている。
- ^ アルジェリア憲法第2条で明確に定められている。
- ^ a b Report for Selected Countries and Subjects | International Monetary Fund
- ^ a b SIPRI Fact Sheet, April 2016 Archived 2016年4月20日, at the Wayback Machine. - 2016年4月
- ^ “夏のご挨拶”. 在アルジェリア日本国大使館 (2012年6月24日). 2015年11月6日閲覧。
- ^ “アルジェリア人質事件、少なくとも外国人22人の安否不明”. ロイター通信 (2013年1月18日). 2015年11月6日閲覧。
- ^ アルジェリア民主人民共和国政府・記念祝祭準備委員会より、元読売新聞論説委員谷口侑氏に革命決起周年記念賞を授与 | 日本-アルジェリアセンター
- ^ a b c 鹿島守之助 (1974年). “『日本外交史 別巻3』”. 鹿島研究所出版会. 2024年1月12日閲覧。、p.649
- ^ 『官報』第11303号(昭和39年8月17日付)19頁
- ^ 『フィラスティン・ビラーディ 10月創刊号』(PLO東京事務所、1979年)、pp.40-45
- ^ ALGERIANS REFUSE TO YIELD HIJACKERS - The New York Times
- ^ 『官報』第13413号(昭和46年9月4日付)8頁
- ^ 『フィラスティン・びらーでぃ 1981年2月号』(PLO東京事務所、1981年)、p.48
- ^ 『官報』第15879号(昭和54年12月22日付)9頁
- ^ 『官報』第17321号(昭和59年10月31日付)12頁
- ^ “ご引見(平成3年)”. 宮内庁. 2024年1月18日閲覧。
- ^ 『官報』第18493号(昭和63年10月14日付)12頁
- ^ “平成30年秋の外国人叙勲 受章者名簿” (PDF). 外務省. 内閣府 (2018年11月3日). 2024年8月21日閲覧。
- ^ “ご引見(平成9年)”. 宮内庁. 2024年1月18日閲覧。
- ^ “信任状捧呈式(平成4年)”. 宮内庁. 2024年1月18日閲覧。
- ^ “平成29年春の外国人叙勲 受章者名簿” (PDF). 外務省. 内閣府 (2017年4月29日). 2024年8月21日閲覧。、p.7
- ^ “ご引見(平成13年)”. 宮内庁. 2024年1月18日閲覧。
- ^ “信任状捧呈式(平成9年)”. 宮内庁. 2024年1月18日閲覧。
- ^ “ご引見(平成17年)”. 宮内庁. 2024年1月18日閲覧。
- ^ “信任状捧呈式(平成13年)”. 宮内庁. 2024年1月18日閲覧。
- ^ “ご引見(平成27年)”. 宮内庁. 2024年1月18日閲覧。
- ^ “新任駐日アルジェリア民主人民共和国大使の信任状捧呈について”. 外務省 (2005年12月9日). 2023年11月9日閲覧。
- ^ “令和元年秋の外国人叙勲 受章者名簿” (PDF). 外務省. 内閣府 (2019年11月3日). 2024年8月21日閲覧。、p.7
- ^ “ご引見(令和3年)”. 宮内庁. 2024年1月18日閲覧。
- ^ “新任駐日アルジェリア大使の信任状捧呈”. 外務省 (2015年4月28日). 2023年11月9日閲覧。
- ^ “駐日アルジェリア大使の信任状捧呈”. 外務省 (2022年2月9日). 2023年11月9日閲覧。
- ^ “駐日アルジェリア大使信任状捧呈”. 外務省 (2023年11月6日). 2023年11月9日閲覧。