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平井太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平井 太郎
ひらい たろう
生年月日 1905年7月17日
出生地 日本の旗 香川県木田郡田中村(現・三木町
没年月日 (1973-12-04) 1973年12月4日(68歳没)
出身校 明治大学専門部商科[1]
前職 香川県観光協会会長
所属政党自由党→)
自由民主党
親族 娘婿・平井卓志(元参議院議員)
孫・平井卓也衆議院議員
孫・平井龍司(四国新聞社 代表取締役)

在任期間 1958年6月16日 - 1962年7月7日
議長 松野鶴平

日本の旗 第10-11代 郵政大臣
内閣 石橋内閣
第1次岸内閣
在任期間 1956年12月27日 - 1957年7月10日

選挙区全国区→)
香川県地方区
当選回数 4回
在任期間 1950年6月4日 - 1973年12月4日

その他の職歴
第7代 自由民主党参議院議員会長
(総裁:佐藤栄作
1966年 - 1968年
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平井 太郎(ひらい たろう、1905年明治38年〉7月17日 - 1973年昭和48年〉12月4日)は、日本政治家実業家四国新聞社西日本放送社長。自由民主党参議院議員(4期連続当選)。

経歴

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玉藻座社長を務めた平井実の長男として、香川県木田郡田中村(現・三木町)に生まれる[2][3][4]

1928年(昭和3年)明治大学専門部商科卒業後[1]、高松市会議員に当選し玉藻組(のちの玉藻建設)の社長となる[4]

1937年(昭和12年)8月から約1年間、陸軍主計少尉として応召、除隊後、玉藻組など実業界で活躍しているうち、終戦を迎える[4]

1946年(昭和21年)高松商工会議所会頭、48年香川県経営者協議会会長、50年香川県商工会議所連合会会長、51年四国電力監査役に選ばれる[4]

1951年(昭和26年)四国新聞社社長に就き、53年にはラジオ四国(ラジオ香川を経て、現・西日本放送)を創設し社長になった[5]。このほか、瀬戸内航空社長、四国電力取締役、学校法人高松女子商業高等学校(現・高松中央高等学校)理事長等も歴任した[5]

1973年12月4日、参議院議員4期目在職中に死去。68歳没[6]

三木町名誉町民のほか、2004年には香川県の歴史や文化に貢献した人物として「讃岐の百人」に選定される。

参議院議員

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1950年(昭和25年)の第2回参議院選挙全国区自由党から立候補し初当選。55年の保守合同で自民党参議院議員となる。

1956年(昭和31年)の第4回参議院選挙では香川県選挙区に転じて再選され、同年から翌57年まで石橋内閣及び第1次岸内閣郵政大臣を務める。

1958年(昭和33年)から62年まで参議院副議長を担い、党参議院幹事長、党参議院議員会長も務めた。

人物

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平井は、家業の建設業から手を広げ、戦後になって地元の新聞社を買収した。地方政界から国政にも進出し、1951年(昭和26年)電気通信省政務次官に就いたことで放送局の利用価値に気づく[7]。当時、毎日新聞の電波担当だった田中香苗(のち社長)によれば、次官在職時に同郷の縁で訪ねてきて「民間放送をやりたい」と協力を求めてきたという[7]。2年後の53年に結実しラジオ四国を開局。社長に就く[7]。そのまま56年に郵政相となり、退任の3か月後には自身の西日本放送にテレビ免許が交付された[7]。次の社長は娘婿をあて、自身は68歳で亡くなるまで会長に留まった[7]

親族

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選挙歴

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当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第2回参議院議員通常選挙 1950年6月4日 全国区 自由党 247,185 21/? - -
第4回参議院議員通常選挙 1956年7月8日 香川県地方区 自由民主党 211,738 56.5 2/1 - -
第6回参議院議員通常選挙 1962年7月1日 香川県地方区 自由民主党 242,921 58.8 1/3 - -
第8回参議院議員通常選挙 1968年7月7日 香川県地方区 自由民主党 260,202 61.8 1/5 - -
当選回数4回 (参議院議員4)

関連書籍

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  • にんげん平井太郎編集委員会 編『にんげん平井太郎 偉大なるその生涯』西日本放送、四国新聞社、1979年12月。 

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b 『明治大学校友会員名簿』661頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年7月16日閲覧。
  2. ^ 人事興信録. 第14版 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年7月5日閲覧。
  3. ^ 人事興信録. 第15版 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年7月5日閲覧。
  4. ^ a b c d 四国新聞六十五年史 1955, p. 199.
  5. ^ a b 四国新聞六十五年史 1955, p. 200.
  6. ^ 平井 太郎 ヒライ タロウ”. コトバンク. 2023年6月11日閲覧。
  7. ^ a b c d e 中川 2019, p. 107.

参考文献

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  • 『明治大学校友会員名簿』明治大学校友会本部、1935年。
  • 『四国新聞六十五年史』四国新聞社、1955年。 
  • 『財界家系譜大観 第一版』常盤書院、1971年。
  • 『政界・官庁人事録 1997年版』東洋経済新報社、1996年。
  • 中川一徳『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』講談社、2019年12月。ISBN 978-4065180877 
公職
先代
村上勇
日本の旗 郵政大臣
第10・11代:1956年 - 1957年
次代
田中角栄
議会
先代
寺尾豊
日本の旗 参議院副議長
第7・8代:1958年 - 1962年
次代
重政庸徳
党職
先代
青木一男
自由民主党参院議員会長
第7代:1966年 - 1968年
次代
郡祐一