平井太郎
平井 太郎 ひらい たろう | |
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生年月日 | 1905年7月17日 |
出生地 | 香川県木田郡田中村(現・三木町) |
没年月日 | 1973年12月4日(68歳没) |
出身校 | 明治大学専門部商科[1] |
前職 | 香川県観光協会会長 |
所属政党 |
(自由党→) 自由民主党 |
親族 |
娘婿・平井卓志(元参議院議員) 孫・平井卓也(衆議院議員) 孫・平井龍司(四国新聞社 代表取締役) |
第7-8代 参議院副議長 | |
在任期間 | 1958年6月16日 - 1962年7月7日 |
議長 | 松野鶴平 |
第10-11代 郵政大臣 | |
内閣 |
石橋内閣 第1次岸内閣 |
在任期間 | 1956年12月27日 - 1957年7月10日 |
選挙区 |
(全国区→) 香川県地方区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1950年6月4日 - 1973年12月4日 |
その他の職歴 | |
第7代 自由民主党参議院議員会長 (総裁:佐藤栄作) (1966年 - 1968年) |
平井 太郎(ひらい たろう、1905年〈明治38年〉7月17日 - 1973年〈昭和48年〉12月4日)は、日本の政治家、実業家。四国新聞社、西日本放送社長。自由民主党参議院議員(4期連続当選)。
経歴
[編集]玉藻座社長を務めた平井実の長男として、香川県木田郡田中村(現・三木町)に生まれる[2][3][4]。
1928年(昭和3年)明治大学専門部商科卒業後[1]、高松市会議員に当選し玉藻組(のちの玉藻建設)の社長となる[4]。
1937年(昭和12年)8月から約1年間、陸軍主計少尉として応召、除隊後、玉藻組など実業界で活躍しているうち、終戦を迎える[4]。
1946年(昭和21年)高松商工会議所会頭、48年香川県経営者協議会会長、50年香川県商工会議所連合会会長、51年四国電力監査役に選ばれる[4]。
1951年(昭和26年)四国新聞社社長に就き、53年にはラジオ四国(ラジオ香川を経て、現・西日本放送)を創設し社長になった[5]。このほか、瀬戸内航空社長、四国電力取締役、学校法人高松女子商業高等学校(現・高松中央高等学校)理事長等も歴任した[5]。
1973年12月4日、参議院議員4期目在職中に死去。68歳没[6]。
三木町名誉町民のほか、2004年には香川県の歴史や文化に貢献した人物として「讃岐の百人」に選定される。
参議院議員
[編集]1950年(昭和25年)の第2回参議院選挙全国区に自由党から立候補し初当選。55年の保守合同で自民党参議院議員となる。
1956年(昭和31年)の第4回参議院選挙では香川県選挙区に転じて再選され、同年から翌57年まで石橋内閣及び第1次岸内閣の郵政大臣を務める。
1958年(昭和33年)から62年まで参議院副議長を担い、党参議院幹事長、党参議院議員会長も務めた。
人物
[編集]平井は、家業の建設業から手を広げ、戦後になって地元の新聞社を買収した。地方政界から国政にも進出し、1951年(昭和26年)電気通信省の政務次官に就いたことで放送局の利用価値に気づく[7]。当時、毎日新聞の電波担当だった田中香苗(のち社長)によれば、次官在職時に同郷の縁で訪ねてきて「民間放送をやりたい」と協力を求めてきたという[7]。2年後の53年に結実しラジオ四国を開局。社長に就く[7]。そのまま56年に郵政相となり、退任の3か月後には自身の西日本放送にテレビ免許が交付された[7]。次の社長は娘婿をあて、自身は68歳で亡くなるまで会長に留まった[7]。
親族
[編集]選挙歴
[編集]当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 得票順位 /候補者数 |
比例区 | 比例順位 /候補者数 | |
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当 | 第2回参議院議員通常選挙 | 1950年6月4日 | 全国区 | 自由党 | 247,185 | 21/? | - | - | ||
当 | 第4回参議院議員通常選挙 | 1956年7月8日 | 香川県地方区 | 自由民主党 | 211,738 | 56.5 | 2/1 | - | - | |
当 | 第6回参議院議員通常選挙 | 1962年7月1日 | 香川県地方区 | 自由民主党 | 242,921 | 58.8 | 1/3 | - | - | |
当 | 第8回参議院議員通常選挙 | 1968年7月7日 | 香川県地方区 | 自由民主党 | 260,202 | 61.8 | 1/5 | - | - | |
当選回数4回 (参議院議員4) |
関連書籍
[編集]- にんげん平井太郎編集委員会 編『にんげん平井太郎 偉大なるその生涯』西日本放送、四国新聞社、1979年12月。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『明治大学校友会員名簿』661頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年7月16日閲覧。
- ^ “人事興信録. 第14版 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年7月5日閲覧。
- ^ “人事興信録. 第15版 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年7月5日閲覧。
- ^ a b c d 四国新聞六十五年史 1955, p. 199.
- ^ a b 四国新聞六十五年史 1955, p. 200.
- ^ “平井 太郎 ヒライ タロウ”. コトバンク. 2023年6月11日閲覧。
- ^ a b c d e 中川 2019, p. 107.
参考文献
[編集]- 『明治大学校友会員名簿』明治大学校友会本部、1935年。
- 『四国新聞六十五年史』四国新聞社、1955年。
- 『財界家系譜大観 第一版』常盤書院、1971年。
- 『政界・官庁人事録 1997年版』東洋経済新報社、1996年。
- 中川一徳『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』講談社、2019年12月。ISBN 978-4065180877。
公職 | ||
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先代 村上勇 |
郵政大臣 第10・11代:1956年 - 1957年 |
次代 田中角栄 |
議会 | ||
先代 寺尾豊 |
参議院副議長 第7・8代:1958年 - 1962年 |
次代 重政庸徳 |
党職 | ||
先代 青木一男 |
自由民主党参院議員会長 第7代:1966年 - 1968年 |
次代 郡祐一 |