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尚貞王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尚貞王
琉球国王
尚貞王の御後絵向元瑚画、1796年
在位 1669年-1709年

全名 尚貞
名乗 朝周[1]
出生 1646年1月22日
死去 1709年8月18日(満63歳没)
埋葬 1709年
琉球国首里玉陵
王世子 尚益
配偶者 奥間按司加那志
  真壁按司加那志
子女 別記
家名 第二尚氏
王朝 第二尚氏王統
父親 尚質王
母親 美里按司加那志
サイン
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尚貞王(しょうていおう、1646年1月22日順治2年12月6日) - 1709年8月18日康熙48年7月13日))は、琉球王国第二尚氏王統の第11代国王(在位1669年 - 1709年)。第10代国王尚質王の子。

尚貞王のときに蔡鐸蔡温の父)が中山世譜を編集した。 在世中に御茶屋御殿(首里、崎山)を建造した。

家族

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  • 父 - 尚質王
  • 母 - 美里按司加那志
  • 妃 - 奥間按司加那志(号・月心。父は佐久真殿内二世宜野湾親方正信)
  • 継妃 - 真壁按司加那志(号・慈恩。父は方氏六世立津親方全敦)
  • 妻 - 武富阿護母志良礼(号・仙岳。父は馬氏三世牧港親雲上厚宗)
  • 子女
    • 長男 - 尚純、中城王子(母は妃。尚益王の父)
    • 次男 - 尚経、豊見城王子朝良(母は妃。豊見城御殿元祖)
    • 三男 - 尚綱、小禄王子朝奇(母は慈恩。具志頭御殿元祖)
    • 四男 - 尚紀、美里王子朝禎(母は慈恩。大宜見御殿元祖)
    • 長女 - 松堂翁主(母は慈恩。向氏嘉味田殿内六世小津波按司朝恒に嫁ぐ)
    • 次女 - 思真鶴金翁主(母は慈恩。享年10)
    • 三女 - 内間翁主(母は慈恩。羽地御殿八世羽地按司朝維に嫁ぐ)
    • 四女 - 識名翁主(母は慈恩。国頭御殿九世国頭按司正長に嫁ぐ)
    • 五女 - 安室翁主(母は慈恩。金武御殿六世金武王子朝祐に嫁ぐ)

脚注

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  1. ^ 王代記[リンク切れ]』、28ページ
先代
尚質王
第二尚氏11代琉球国王
1669年 - 1709年
次代
尚益王