大石村 (埼玉県)
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おおいしむら 大石村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 上尾町・原市町・平方町・大石村・大谷村・上平村 → 上尾町 |
現在の自治体 | 上尾市・桶川市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 北足立郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 12.04[1] km2. |
総人口 |
5,817人 (住民登録人口、1954年7月1日) |
隣接自治体 |
北足立郡上尾町、桶川町、平方町、上平村、大谷村、川田谷村 比企郡川島村 |
大石村役場 | |
所在地 | 埼玉県大石村大字中分[2] |
座標 | 北緯35度58分21秒 東経139度33分28秒 / 北緯35.97239度 東経139.55775度座標: 北緯35度58分21秒 東経139度33分28秒 / 北緯35.97239度 東経139.55775度 |
ウィキプロジェクト |
大石村(おおいしむら)は、埼玉県北足立郡にあった村。現在の上尾市北西部(一部は桶川市)にあたる。
大石の名は、この地域が大谷領および石戸領に属していたことにちなむ[3]。北足立郡では最も広い面積を持つ村であった[1]。
地理
[編集]隣接していた自治体
[編集](括弧内は現在の自治体)
歴史
[編集]- 1869年(明治2年)
- 1月 - 村域は廃藩置県により、大宮県に所属。
- 9月 - 大宮県が浦和県に改称。
- 1871年(明治4年)11月14日 - 浦和県が忍県・岩槻県と合併し、埼玉県が誕生。
- 1872年(明治5年)3月 - 大区小区制施行により第18区(井戸木村・中分村・藤波村・領家村)および第19区に属す[4][5]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、小泉村連合に属していた畔吉村・石戸領領家村・井戸木村・沖ノ上村・小泉村・小敷谷村・中妻村・中分村・藤波村・弁財村の区域をもって大石村が発足[2]。名称は大谷領と石戸領の頭文字をとって大石村とした[1][3]。役場を大字小泉96番地の旧戸長宅を改修して同年6月10日に設置[6][2]。旧戸長宅には大石小学校も併設されていた。初代村長に小泉村連合戸長であった新藤慶之助が就任。合併時は人口3,626人、戸数は587戸。
- 1900年(明治33年) - 平方との境に荒川の八塚堤防が築かれる[7]。
- 時期不明(明治末期〜大正初期) - 役場を大石小学校(大字小泉745番地)の校地の南隅に移転する[6][注釈 1]。
- 1915年(大正4年)12月16日 - 役場新築委員会が開催される。同月21日に用地の借り入れを決定する。
- 1918年(大正7年)5月30日 - 役場の庁舎が農協の敷地内(大字小泉958-959番地)に竣工され、移転する[6]。
- 1921年(大正10年)7月 - 村内で腸チフスが蔓延し、死者25人罹患者107人の被害が出る。「全滅に瀕している窒扶斯の大石村」などと新聞で連日報じられる[8][9]。
- 1922年(大正11年)3月 - 村政改革運動により村長の排斥運動が起こり、29日辞表を提出し辞任する[10]。
- 1923年(大正12年)9月 - 関東大震災が発生、村内では全壊家屋9戸、一部損壊家屋200戸以上、樋管破損1箇所の被害を出した[11]。
- 1923年(大正13年)7月15日 - 平方村の「川越上尾線」より北上し、村内を経由して桶川町に至る村内の道路を「平方桶川線」(路線番号226、現在の埼玉県道57号さいたま鴻巣線の前身)として県道に編入する[12]。なお、この県道は1960年(昭和35年)9月1日「県道66号井戸木中野林浦和線」に改称されている[13]。
- 1941年(昭和16年) - 大字中分186番地の場所に「大石村役場」(後の大石支所)が県道[注釈 2]を隔てた農協敷地内より移転する[6]。
- 1943年(昭和18年)1月 - 上尾町の実行委員は大石村ほか平方町・大谷村に上尾町へ合併の交渉を行なったが[14]、結果は不調に終わった[15]。
- 1945年(昭和20年)4月 - 初旬ごろ飛来したB-29が投下した小型爆弾十数発が畔吉地内の桑畑に着弾、長さおよそ200メートルに渡りすり鉢状の大穴を複数空けたが、人的被害はなかった[16]。
- 1948年(昭和23年)
- 1954年(昭和29年)10月25日 - 大字井戸木における境界変更に関する陳情書が大石村より旧上尾町の町長宛に提出する[20]。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 町村合併促進法の施行に伴い、上尾町・平方町・原市町・大谷村・上平村と新設合併し、改めて上尾町が発足[21]。大石村消滅。大字は上尾町へ継承された。
- 1956年(昭和31年)
歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代村長 | 新藤慶之助 | 1889年(明治22年)5月8日 | 1893年(明治26年)4月3日 | |
二代村長 | 新藤慶之助 | 1893年(明治26年)4月 | 1896年(明治29年)3月25日 | 就任日は不明 |
三代村長 | 矢部定右衛門 | 1897年(明治30年)12月19日 | 1901年(明治34年)2月19日 | |
四代村長 | 新藤慶之助 | 1901年(明治34年)8月8日 | 1905年(明治38年)8月7日 | |
五代村長 | 新藤慶之助 | 1905年(明治38年)8月8日 | 1909年(明治42年)8月7日 | |
六代村長 | 河原塚金次 | 1909年(明治42年)8月12日 | 1913年(大正2年)8月11日 | |
七代村長 | 河原塚金次 | 1913年(大正2年)8月15日 | 1915年(大正4年)5月24日 | |
八代村長 | 矢部定二郎 | 1915年(大正4年)6月9日 | 1919年(大正8年)6月8日 | |
九代村長 | 矢部定二郎 | 1919年(大正8年)6月23日 | 1920年(大正9年)1月27日 | |
十代村長 | 榎本丹宮 | 1920年(大正9年)3月4日 | 1922年(大正11年)3月27日 | |
— | 井上弥吉 | 1922年(大正11年)3月28日 | 1922年(大正11年)5月2日 | 村長代理[10] |
十一代村長 | 矢部家治 | 1922年(大正11年)7月21日 | 1923年(大正12年)4月28日 | |
十二代村長 | 井上弥吉 | 1923年(大正12年)5月23日 | 1923年(大正12年)9月13日 | |
十三代村長 | 藤波森吉 | 1923年(大正12年)9月13日 | 1925年(大正14年)5月22日 | |
十四代村長 | 関口忠平 | 1925年(大正14年)11月27日 | 1929年(昭和4年)11月26日 | |
十五代村長 | 小山清作 | 1929年(昭和4年)12月28日 | 1933年(昭和8年)12月27日 | |
十六代村長 | 関口忠平 | 1937年(昭和12年)2月27 | 1941年(昭和16年)2月26日 | |
十七代村長 | 篠田菊之助 | 1941年(昭和16年)3月25日 | 1945年(昭和20年)3月24日 | |
十八代村長 | 関口忠平 | 1945年(昭和20年)4月26日 | 1946年(昭和21年)3月31日 | |
十九代村長 | 加藤道明 | 1946年(昭和21年)5月24 | 1947年(昭和22年)1月23日 | |
二十代村長 | 榎本正治 | 1947年(昭和22年)4月11日 | 1947年(昭和22年)12月31日 | 地方自治法施行後初の村長 |
二十一代村長 | 市川平一 | 1948年(昭和23年)3月10日 | 1948年(昭和23年)10月28日 | |
二十二代村長 | 藤波一朔 | 1948年(昭和23年)12月23日 | 1952年(昭和27年)12月22日 | |
二十三代村長 | 藤波一朔 | 1952年(昭和27年)12月23日 | 1954年(昭和29年)12月31日 |
※ 以上出典は『上尾百年史』172-173頁および187頁。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 473頁。
- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 155頁。
- ^ a b 『上尾百年史』 128-129頁。
- ^ 『上尾百年史』 26-30頁。
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』117-123頁。
- ^ a b c d e 『上尾百年史』 212-219頁。
- ^ 『上尾百年史』 594-596頁。
- ^ 広報広聴課「市民のひろば 川の大じめ・新型コロナウイルス感染症」(PDF)『広報あげお 令和2年8月号』第1037号、上尾市、2020年7月、13頁、2020年8月28日閲覧。
- ^ 上尾市史 第四巻 資料編4、近代・現代1 284頁。
- ^ a b 上尾市史 第四巻 資料編4、近代・現代1 191-192頁。
- ^ 『上尾百年史』 584、593頁。
- ^ 上尾市史 第四巻 資料編4、近代・現代1 618頁。
- ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 557-558頁。
- ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 89-90頁。
- ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 49頁。
- ^ 『上尾百年史』 592頁。
- ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 198-203頁。
- ^ 『上尾市史 第七巻 通史編(下)』 542-544頁。
- ^ 上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2 464-466頁。
- ^ 『上尾百年史』 194頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1421頁。
- ^ a b 『上尾百年史』210、218頁。
- ^ a b “町の境界変更 昭和31年3月31日 総理府告示第144号”. 桶川市役所 (1956年3月31日). 2018年10月16日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第四巻 資料編4、近代・現代1』上尾市、1994年3月15日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市、1998年3月31日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第七巻 通史編(下)』上尾市、2001年3月30日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市、1997年3月31日、431-484頁。
- 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。
- 上尾市立大石小学校開校百周年記念行事実行委員会・編『大石小学校開校百周年記念誌 校史』上尾市立大石小学校開校百周年記念行事実行委員会、1986年10月25日。