大島靖
大島 靖 おおしま やすし | |
---|---|
生年月日 | 1915年1月30日 |
出生地 | 和歌山県田辺市 |
没年月日 | 2010年8月7日(95歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部卒業 |
前職 |
地方公務員(大阪府) ジュネーブ領事 労働省労働基準局長 大阪市助役 大阪市市長 |
現職 | 財団法人大阪国際交流センター会長 |
所属政党 | 無所属(自・社・公・民推薦) |
第14代 大阪市長 | |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1971年12月20日 - 1987年12月18日 |
大島 靖(おおしま やすし、1915年(大正4年)1月30日[1] - 2010年(平成22年)8月7日)は、日本の政治家、官僚。第14代大阪市長。労働省労働基準局長。大阪市長を1971年から1987年まで、4期16年務めた。
経歴
[編集]1915年1月30日、和歌山県田辺市に生まれる。旧制和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業、1939年に内務省へ入省。
1949年から大阪府労働部長を務め、1954年に在ジュネーヴ領事へ転じた。1959年に労働省審議官に就任し、1960年には労働省労働基準局長に着任。1963年5月31日から中馬馨大阪市長のもとで大阪市助役となった。
しかし、1971年11月8日に中馬市長が急逝し(3期目在職中に死去)、後任を選ぶ大阪市長選挙(1971年12月19日投票)に社・公・民3党推薦で立候補。自民党が独自候補の擁立を断念し自主投票にまわる中、共産党推薦候補との一騎討ちを制して初当選を果たした。
1971年12月20日、第14代大阪市長に正式に就任。56歳での大阪市長就任は当時、戦後最年少であった[2]。2期目当選を目指した1975年11月30日の選挙以降は自民も推薦に加わり、以後3期目(1979年11月18日)・4期目(1983年11月20日)と自社公民相乗りで再選を果たす。
1987年12月18日に大阪市長を任期満了(5期目不出馬)で退任。最終的に1971年12月20日〜1987年12月18日まで4期16年市長職を務め、2013年11月現在で市長在任期間は歴代最長である。市長退任後は、財団法人大阪国際交流センター会長などを務めた。2010年8月7日、急性脳梗塞のため東京都内の病院で死去[3]。95歳没。
脚註
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、279頁。
- ^ “橋下氏、知事から政令市長に転身は史上初”. 読売新聞. (2011年11月27日) 2011年11月27日閲覧。なお、この記録は2011年に橋下徹(42歳)によって更新された。
- ^ 大島靖氏死去(元大阪市長) 時事通信 2010年8月9日閲覧
関連項目
[編集]