増宮章子内親王
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章子内親王 | |
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続柄 | 明治天皇第4皇女子 |
全名 | 章子(ふみこ) |
称号 | 増宮(ますのみや) |
身位 | 内親王 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
1883年1月16日 |
死去 |
1883年9月8日(0歳没) |
埋葬 | 豊島岡墓地 |
父親 | 明治天皇 |
母親 | 千種任子 |
章子内親王(ふみこないしんのう、1883年〈明治16年〉1月16日 - 1883年〈明治16年〉9月8日)は、日本の皇族。明治天皇の第4皇女子。母は、花松権典侍千種任子(千種有任の長女)。滋宮韶子内親王の同母妹。
生涯
[編集]1883年〈明治16年〉1月16日、明治天皇と千種任子の第4皇女子(第7子)として誕生するが、同年6月8日 、慢驚風症(脳膜炎)のため、薨去した[1]。0歳没。
昭憲皇太后 (一条美子) (1849-1914) | |||||||||||||||
子女無し | |||||||||||||||
葉室光子 (1853-1873) | |||||||||||||||
稚瑞照彦尊 (1873・第一皇男子/第一子・死産 ) | |||||||||||||||
橋本夏子 (1856-1873) | |||||||||||||||
稚高依姫尊 (1873・第一皇女子/第二子・死産 ) | |||||||||||||||
明治天皇(第122代天皇) | |||||||||||||||
梅宮薫子内親王 (1875-1876・第二皇女子/第三子・夭折 ) | |||||||||||||||
建宮敬仁親王 (1877-1878・第二皇男子/第四子・夭折 ) | |||||||||||||||
明宮嘉仁親王 (1879-1926・第三皇男子/第五子・大正天皇:第123代天皇) | |||||||||||||||
柳原愛子 (1855-1943) | |||||||||||||||
滋宮韶子内親王 (1881-1883・第三皇女子/第六子・夭折 ) | |||||||||||||||
増宮章子内親王 (1883・第四皇女子/第七子・夭折 ) | |||||||||||||||
千種任子 (1856-1944) | |||||||||||||||
久宮静子内親王 (1886-1887・第五皇女子/第八子・夭折 ) | |||||||||||||||
昭宮猷仁親王 (1887-1888・第四皇男子/第九子・夭折 ) | |||||||||||||||
常宮昌子内親王 (1888-1940・第六皇女子/第十子) | |||||||||||||||
竹田宮恒久王 | |||||||||||||||
周宮房子内親王 (1890-1974・第七皇女子/第十一子) | |||||||||||||||
北白川宮成久王 | |||||||||||||||
富美宮允子内親王 (1891-1933・第八皇女子/第十二子) | |||||||||||||||
朝香宮鳩彦王 | |||||||||||||||
満宮輝仁親王 (1893-1894・第五皇男子/第十三子・夭折 ) | |||||||||||||||
泰宮聡子内親王 (1896-1978・第九皇女子/第十四子) | |||||||||||||||
東久邇宮稔彦王 | |||||||||||||||
貞宮多喜子内親王 (1897-1899・第十皇女子/第十五子・夭折) | |||||||||||||||
園祥子 (1867-1947) | |||||||||||||||
脚注
[編集]関連作品
[編集]- 転生内親王は上医を目指す(佐藤庵、2018年 - ):2018年に過労死した研修医が増宮章子内親王に転生し、夭折せずに成長して活躍する。