堀木鎌三
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堀木 鎌三(ほりき けんぞう、1898年3月17日 - 1974年4月13日)は、日本の鉄道官僚、政治家。参議院議員(2期)、厚生大臣。
経歴
[編集]三重県松阪市出身。堀木利右衛門の三男として生まれる。目白中学、第八高等学校を経て、1922年(大正11年)3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科試験に合格。1922年4月に鉄道省に入り、鉄道局書記となり東京鉄道局庶務課文書掛に勤務。鉄道局副参事・新橋運輸事務所営業主任、東京鉄道局運輸課旅客掛長などを歴任。1929年(昭和4年)7月に在外研究員に発令され、1931年(昭和6年)8月まで欧州に出張した。
帰国後、新橋運輸事務所長、大阪鉄道局運輸課長、運輸局旅客課長などを経て、1938年(昭和13年)4月、鉄道大臣秘書官兼大臣官房文書課長に就任し、中島知久平に仕えた。1939年(昭和14年)7月、名古屋鉄道局長に発令され、鉄道省需品局長、運輸局長、鉄道監・鉄道省業務局長、運輸通信省鉄道総局業務局長、同省鉄道総局長官を歴任。1945年(昭和20年)8月に依願免本官。その後公職追放となる[1]。追放中の1948年(昭和23年)11月、日本国有鉄道法案に際し、参議院運輸委員会に証人喚問された[2]。
戦後、財団法人鉄道弘済会理事長、中央労働委員、公共企業体等仲裁委員、中央身体障害者福祉審議会委員、東京商工会議所理財委員長などを務める。
1950年(昭和25年)6月、第2回参議院議員通常選挙の全国区に出馬し初当選。その後、第4回参議院議員通常選挙で再選され2期務めた。1962年(昭和32年)7月の第6回参議院議員通常選挙には出馬せず引退。
参議院議員としては、参議院予算委員長、同建設委員長を歴任。その他、改進党顧問、日本民主党総務、参院自由民主党政策審議会長、ブラジル特派大使などを務める。また、1957年(昭和32年)7月、第1次岸改造内閣の厚生大臣に就任。1968年(昭和43年)4月、春の叙勲で勲一等瑞宝章受章(勲三等からの昇叙)[3]。同年国際観光振興会会長[4]。
1974年4月13日死去、76歳。死没日をもって正四位から従三位に叙され、銀杯一組を賜った[5]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056。
関連項目
[編集]非営利団体 | ||
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先代 足立正 |
国際観光振興会会長 第2代:1968年 - 1971年 |
次代 太田三郎 |
公職 | ||
先代 神田博 |
厚生大臣 第30代:1957年 - 1958年 |
次代 橋本龍伍 |
議会 | ||
先代 小林英三 |
参議院予算委員長 1960年 |
次代 館哲二 |
先代 深川タマヱ |
参議院建設委員長 1954年 - 1955年 |
次代 石川栄一 |