利用者:Osu-mike
Wikipedia:バベル | |||||||||
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言語別の利用者 |
対話スタイルについて
[編集]対話ページでのスタイルについて以下のように述べておく。理由についても記載するが非常に長ったらしいので読み飛ばしてくれて構わない。
この項目について
[編集]- User:Osu-mikeは議論なるべく「である。」調、若しくは「だ。」調で対話すようにしている。
- User:Osu-mikeは議論において(大抵の場合)相手に敬意を払っているつもりである。
- User:Osu-mikeは「です。」「ます。」調で対話する事と、相手に敬意を払う事は別の議論であると考えている。
- 敬意を払っているつもりでも、相手にこれを感じてもらえない場合はあり得る。これを感じてもらえないのは完全にUser:Osu-mikeに非があるので、これについては予め謝罪をしておく。
- User:Osu-mikeはキャラクターに対する誤解を受けるリスクを負っている事を自覚している。User:Osu-mikeは自身の責任においてこのリスクを負担する覚悟を有しており、このスタイルを放棄する必要性を感じていない。
思考の問題
[編集]人間は言語を用いて思考する。言語を用いないで思考するのは困難である。多くの場合思考を行う言語は母語である。さらに思考に用いる言語は話すときに使うような丁寧な言葉遣いではなく、もっと断片的でお上品でない言葉使いになるはずである。User:Osu-mikeは思考している言語構成に最も近い状態で自身の考えを表現するために「である。」調をチョイスしている。これについては幾つかのメリットがある。生の思考に近いために文章を構成し直す回数が激減した。又自分の考えや議論の目的を端的に示す事が出来ているのではないかと考えている。少なくとも書いているうちに文意が変わってきたという事は無くなった。ここまではかなり自分勝手な目的手段であると自覚している。一方で対外的な狙いとして次に挙げるコミュニケーションの問題がある。
コミュニケーションの問題
[編集]Wikipediaのノートでの議論(これはインターネットコミュニケーションの代表的なパターンであるといえると思う)は極めて限定された環境の中でコミュニケーションを行わなければならない。(この点について斉藤環がケータイメールを例にとって細分化されたコミュニケーションという興味深い議論をしているので探してみるといいと思う)
極めて限定された環境とは以下のようなものである。
- 基本的に文字のみで意思の伝達を行う。
- パーソナルデータを与えられていない。
人間は対面でコミュニケーションを行う場合、実際に交わされている言葉より、それ以外のものからより多くの情報を得ようとする。相手の表情はどうか?目がキョロキョロしてないか?鼻がヒクヒクしていないか?語気の調子はどうか?やたらと手を動かしていないか?腹蔵はないか?これらの豊富な情報を得ることによって人間はコミュニケーションの行間を読むことが可能である。これらの情報を全部文字にする事は不可能である。したがって単純に文字の情報しかない場合、何べんも読み取る、もしくはよく考えてコミュニケーションの背後を探る必要がある。
ここまでは手紙とそう変わらないのだが、例えば文通というノスタルジックなコミュニケーションスタイルと対比してみても、ここでのコミュニケーションは大きな情報的な欠落が存在している。これがパーソナルデータの不在である。事前に与えられたパーソナルデータによって人間はコミュニケーションの相手をある程度想像し、その前提に立ってコミュニケーションを行う。従ってリアルな世界においてはパーソナルデータというのは非常に重要である。一方でネットワーク空間ではパーソナルデータは秘匿される。これはインターネットコミュニケーションにメリットをもたらすと同時にデメリットももたらしている。相手が何処の誰かも分からないまま徒手空拳でコミュニケーションをしなければならない。この点についても相手がどのようなバックボーンを背負って発言しているのか全く推測する事が出来ない。
User:Osu-mikeはインターネットコミュニケーションは非常に情報性に乏しいコミュニケーションであると考えている。伝えたい事が伝わらなくて、知りたい事が分からないコミュニケーションである。従って何かしらの意思を伝えたい場合は自身の思考に近い状態で腹蔵なく伝える事が重要であると考えている。