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中野真矢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中野 真矢
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1977-10-10) 1977年10月10日(47歳)
東京都
レースでの経歴
ロードレース世界選手権
活動期間1998年 - 2008年
初レース1998年 250cc 日本GP
最終レース2008年 MotoGP バレンシアGP
初勝利1999年 250cc 日本GP
最終勝利2000年 250cc バレンシアGP
チームホンダ, ヤマハ, カワサキ
チャンピオン0
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
168 6 21 5 9 1282

中野 真矢(なかの しんや、1977年10月10日 - )は、東京都生まれ千葉県大網白里市出身のモーターサイクルロードレースライダー。武蔵工業大学(現東京都市大学工学部中退。

1998年全日本ロードレース選手権GP250チャンピオン1999年よりロードレース世界選手権に参戦。甘いマスクでありニックネームは「王子」。とにかく転倒しない、転倒しても重傷を負わないステディなライディングで知られている。

2008年モーターサイクルファッションブランド、"56design"を千葉にオープン。レーサーとしてだけではなく、プロデューサーとしても活躍の幅を広げている。

略歴

[編集]

父親の影響で、5歳でポケットバイク(ポケバイ)レースを始める[1]。その後ミニバイクを経てロードレースへとステップアップする。

1998年の全日本ロードレース選手権GP250クラスにて9戦8勝でチャンピオンとなった中野は、翌1999年からロードレース世界選手権に戦いの舞台を移し、テック3・ヤマハより、GP250クラスにフル参戦を開始。デビューレースである開幕戦マレーシアGPで表彰台に乗り(3位)、第2戦日本グランプリでグランプリ初優勝。年間ランキング4位で、この年のルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。

2000年は引き続き同選手権GP250クラスに参戦。年間最多勝となる5勝を挙げ、チームメイトのオリビエ・ジャック、全日本時代からのライバル加藤大治郎宇川徹とシーズン最後までタイトル争いを繰り広げた。最終戦オーストラリアGP(フィリップアイランド)では最終ラップまでトップを走り、この順位でチェッカーを受ければチャンピオンという状況で、2番手を走行していたジャックにゴール直前でかわされ2位に終わる。(0.014秒差)年間ランキングも2位となった。

2001年より、最高峰クラスGP500にステップアップ。表彰台を獲得する等して活躍し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。

ホンダRC212Vで走行する中野真矢(2007年)

2004年、中野はカワサキレーシングチームへ移籍する。ヤマハ系名門チームの「SP忠男レーシング」出身で、ヤマハの秘蔵っ子と思われていた中野がヤマハを離れた事、2003年は不振に終わったカワサキへの移籍は驚きを持って伝えられた。この移籍を決断した最大の理由は、YZR-M1のウィークポイントに対する要望を出したくても、サテライトチームに所属していた為、その声が届かないのに対し、カワサキのファクトリーライダーとしてマシン開発にも関われるという点からだったという[2]。そして、この年のツインリンクもてぎで開催された日本グランプリで、中野は3位表彰台を獲得した。これはカワサキにとってロードレース世界選手権における23年ぶりの表彰台獲得でもあった。

2006年は第8戦オランダGPで中野自身、そしてカワサキにとってMotoGP最上位の成績となる2位表彰台を獲得。

2007年、中野は3年間在籍したカワサキを離れ、ホンダのサテライトチームであるコニカミノルタ・ホンダへ移籍した。しかしホンダが新しく開発したRC212Vの熟成不足や、マシンの不調もあり、シーズン最高位は10位、年間ランキングも17位と大きく低迷した。

2008年はコニカミノルタ・ホンダを離れ、有力プライベーターチームのグレシーニ・レーシングへ移籍。2年目のホンダ・RC212Vに、カワサキレーシング時代に使用していたブリヂストンタイヤを履き、新天地での巻き返しを図った。前年の不調から脱出し、シーズン最高位はチェコGPの4位。最終的に年間ランキング9位でシーズンを終えた。全18戦中、17戦でポイントを獲得し、全戦でポイントを獲得してチャンピオンとなったV.ロッシに次ぐ安定感を見せた。

2009年は、アプリリア・レーシングより、スーパーバイク世界選手権へ参戦する事が決定した。これにより、MotoGPの連続出場記録が途絶える事となってしまうが、MotoGP初年度の2002年から2008年まで欠場が1回も無かったライダーは中野とロッシの2名だけである。

2009年4月5日、WSB第3戦バレンシアの予選セッション中転倒から鎖骨骨折、決勝不進出となってしまい、世界選手権最高クラスの連続出場記録が途絶えてしまう。10月28日、同シーズン限りでの引退を表明した[3][4]

人物

[編集]
  • 名前の由来は「弓矢の様に真直ぐ育て」
  • トレードマークの目玉ヘルメットは、SP忠男レーシング出身の証である。[5]
  • トレードマークのナンバー「56」は、中野の好きなバイク漫画「バリバリ伝説」の主人公・巨摩郡が使用している番号が由来である。[5]
  • 2007年12月に、3歳年上の女性と結婚した。
  • 2008年10月、モーターサイクルファッションブランド、"56design"を千葉にオープン。
  • 長らくMotoGPやスーパーバイク世界選手権等で大排気量バイクに乗っていたにもかかわらず、実は2008年のシーズンオフまで大型自動二輪免許を持っていなかった[6]。従って現役当時は、所属チームのプロモーション活動などで同排気量のレーサーレプリカ等を使う際に、公道でのバイク走行ができないためバイクにまたがり撮影を行うだけなど苦労を強いられたという。
  • 自身のモータースポーツの端緒となったポケバイには強い思い入れがあり、一時期は全日本ポケットバイク選手権の運営にも関わり、同レースに「中野真矢杯」の冠名がつけられていた[1]

記録

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  • 1983年 - 5歳でポケットバイク開始
  • 1987年 - 全日本ポケットバイク選手権優勝
  • 1989年 - ミニバイクレース開始
  • 1992年 - ミニバイク関東選手権SP12エキスパートクラスチャンピオン
    茂原グランプリミニバイクSP12エキスパートクラスチャンピオン
    茂原グランプリミニバイクSS50クラスチャンピオン
  • 1993年 - ミニバイクレースモトチャンプ杯SS50クラスチャンピオン
  • 1994年 - SP忠男レーシング
    ロードレース関東選手権NB125ランキング3位
    ロードレース関東選手権SP250ランキング6位
    鈴鹿サンデーオートバイレースSP250チャンピオン
    鈴鹿4時間耐久ロードレース優勝
  • 1995年 - 全日本ロードレース選手権GP125ランキング12位(SP忠男レーシング)
  • 1996年 - 全日本ロードレース選手権GP125ランキング6位(SP忠男レーシング)
  • 1997年 - 全日本ロードレース選手権GP250ランキング5位(ヤマハレーシング)
  • 1998年 - 全日本ロードレース選手権GP250チャンピオン(BPヤマハレーシング / YZR250)
    第3戦筑波サーキットにてコースレコード0'57.430を樹立(2008年現在でもコースレコード)
  • 1999年 - ロードレース世界選手権GP250ランキング4位、ルーキー・オブ・ザ・イヤー(1勝/チェスターフィールド・ヤマハ・テック3 / YZR250)
  • 2000年 - ロードレース世界選手権GP250ランキング2位(5勝/チェスターフィールド・ヤマハ・テック3 / YZR250)
  • 2001年 - ロードレース世界選手権GP500ランキング5位、ルーキー・オブ・ザ・イヤー(ゴロワーズ・ヤマハ・テック3 / YZR500)
  • 2002年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング11位(ゴロワーズ・ヤマハ・テック3 / YZR500, YZR-M1)
  • 2003年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング10位(ダンティン・ヤマハ / YZR-M1)
  • 2004年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング10位(カワサキレーシングチーム / ZX-RR)
  • 2005年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング10位(カワサキレーシングチーム / ZX-RR
  • 2006年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング14位 (カワサキレーシングチーム / ZX-RR)
  • 2007年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング17位 (コニカミノルタ・ホンダ / RC212V)
  • 2008年 - ロードレース世界選手権MotoGPランキング9位 (サンカルロ・ホンダ・グレシーニ / RC212V)
  • 2009年 - スーパーバイク世界選手権 (アプリリア・レーシング / RSV4)


(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

クラス チーム マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 ポイント 順位 勝利数
1998年 250cc ヤマハ YZR250 JPN
2
MAL ESP ITA FRA MAD NED GBR GER CZE IMO CAT AUS
4
ARG 33 19位 0
1999年 250cc テック3 ヤマハ YZR250 MAL
3
JPN
1
ESP
Ret
FRA
2
ITA
5
CAT
4
NED
5
GBR
3
GER
4
CZE
4
IMO
5
VAL
4
AUS
4
RSA
2
BRA
15
ARG
5
207 4位 1
2000年 250cc テック3 ヤマハ YZR250 RSA
1
MAL
1
JPN
3
ESP
15
FRA
2
ITA
1
CAT
3
NED
3
GBR
7
GER
3
CZE
1
POR
Ret
VAL
1
BRA
4
PAC
2
AUS
2
272 2位 5
2001年 500cc テック3 ヤマハ YZR500 JPN
5
RSA
4
ESP
4
FRA
11
ITA
8
CAT
4
NED
5
GBR
6
GER
3
CZE
DNS
POR
9
VAL
7
PAC
6
AUS
7
MAL
4
BRA
9
155 5位 0
2002年 MotoGP テック3 ヤマハ YZR500 JPN
Ret
RSA
8
ESP
17
FRA
13
ITA
11
CAT
Ret
NED
8
GBR
10
GER
5
CZE
Ret
POR
12
BRA
Ret
PAC
16
68 11位 0
YZR-M1 MAL
6
AUS
13
VAL
6
2003年 MotoGP ダンティン ヤマハ YZR-M1 JPN
9
RSA
11
ESP
8
FRA
14
ITA
5
CAT
5
NED
13
GBR
9
GER
7
CZE
14
POR
12
BRA
8
PAC
9
MAL
8
AUS
7
VAL
Ret
101 10位 0
2004年 MotoGP カワサキ ZX-RR RSA
12
ESP
9
FRA
Ret
ITA
Ret
CAT
7
NED
Ret
BRA
9
GER
7
GBR
15
CZE
12
POR
11
JPN
3
QAT
Ret
MAL
8
AUS
12
VAL
7
83 10位 0
2005年 MotoGP カワサキ ZX-RR ESP
5
POR
8
CHN
Ret
FRA
8
ITA
10
CAT
9
NED
8
USA
9
GBR
Ret
GER
6
CZE
12
JPN
Ret
MAL
Ret
QAT
7
AUS
7
TUR
10
VAL
11
98 10位 0
2006年 MotoGP カワサキ ZX-RR ESP
7
QAT
11
TUR
8
CHN
8
FRA
12
ITA
11
CAT
DSQ
NED
2
GBR
Ret
GER
6
USA
Ret
CZE
8
MAL
Ret
AUS
8
JPN
Ret
POR
Ret
VAL
7
92 14位 0
2007年 MotoGP コニカミノルタ ホンダ RC212V QAT
10
ESP
10
CHN
13
TUR
Ret
FRA
Ret
ITA
13
CAT
15
GBR
14
NED
12
GER
Ret
USA
12
CZE
14
RSM
10
POR
11
JPN
16
AUS
13
MAL
16
VAL
14
47 17位 0
2008年 MotoGP グレシーニ ホンダ RC212V QAT
13
ESP
9
POR
10
CHN
10
FRA
10
ITA
9
CAT
9
GBR
9
NED
8
GER
9
USA
10
CZE
4
RSM
12
IND
17
JPN
8
AUS
5
MAL
5
VAL
7
126 9位 0

テレビ出演

[編集]

脚註

[編集]
  1. ^ a b 日本の二輪モータースポーツの原点 千葉北ポケバイコースで中野真矢が語る - RIDERS CLUB・2021年11月23日
  2. ^ RACERS Vol06 (三栄書房)より
  3. ^ 中野真矢 引退のご挨拶 - shinya56.com(公式ウェブサイト)、2009年10月28日
  4. ^ 二輪レースの“王子”「燃え尽きた」と涙で引退発表 - 毎日jp(毎日新聞社)、2009年10月28日
  5. ^ a b About 56design/56designのご紹介”. 56design. 2013年8月18日閲覧。
  6. ^ 中野真矢涙の引退「チームに迷惑かかる」 - nikkansports.com・2009年10月28日

外部リンク

[編集]