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中村雄次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中村雄次郎
なかむら ゆうじろう
生年月日 1852年3月18日
出生地 日本の旗 日本 伊勢国一志郡波瀬村
(現三重県津市)
没年月日 (1928-10-20) 1928年10月20日(76歳没)
前職 陸軍中将
称号 正二位
帝都復興記念章
従二位
第一回国勢調査記念章
エトアル・ド・ルーマニー第一等勲章
戦捷記章
大正三年乃至九年戦役従軍記章
旭日桐花大綬章
一等文虎勲章
大礼記念章(大正)
正三位
韓国併合記念章
従三位
明治三十七八年従軍記章
勲一等旭日大綬章
正四位
第二等第一双竜宝
レジオンドヌール勲章コマンドゥール
明治三十三年従軍記章
王冠第一等勲章
勲二等旭日重光章
勲三等瑞宝章
従四位
第二等第二双竜宝星
王冠第二等勲章
勲四等瑞宝章
正五位
明治二十七八年従軍記章
双光旭日章
功四級金鵄勲章
従五位
勲五等瑞宝章
正六位
神聖アンナ第三等勲章
勲六等単光旭日章
従六位
正七位
従七位
子女 次男・中村貫之
末男・中村健兒
親族 玄孫・橋本岳(衆議院議員)

日本の旗 第7代 宮内大臣
在任期間 1920年6月18日 - 1921年2月19日
天皇 大正天皇

在任期間 1904年8月22日 - 1917年8月17日
1919年4月12日 - 1920年7月9日
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中村 雄次郎(なかむら ゆうじろう、嘉永5年2月28日1852年3月18日) - 昭和3年(1928年10月20日)は、日本陸軍軍人政治家陸軍中将正二位勲一等功四級男爵[1]貴族院議員

経歴

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大庄屋中村一貫の二男として本籍地である伊勢国一志郡波瀬村(現・三重県津市)で生まれた。生家は素封家だったが、幼年期には没落していた。

陸軍大学校教授、参謀本部陸軍部第一局第一課長、砲兵第一方面提理、陸軍省軍務局砲兵事務官長、陸軍士官学校校長、陸軍次官兼軍務局長等を歴任。

1907年日清日露戦争の功により男爵を叙爵される。また、貴族院議員、八幡製鉄所長官、南満洲鉄道総裁、宮内大臣枢密顧問官等も務めた。

年譜

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  • 明治5年7月1872年) - フランス留学(- 1874年1月)
  • 1874年(明治7年)2月 - 陸軍中尉・大阪鎮台
  • 1876年(明治9年)4月 - 大阪予備砲兵第2大隊付
  • 1877年(明治10年)2月 - 砲兵支廠付
  • 1879年(明治12年)10月 - 大阪砲兵工廠監務
  • 1880年(明治13年)4月 - 陸軍士官学校教官
  • 1882年(明治15年)12月 - 陸大教授心得・陸士教官
  • 1885年(明治18年)5月 - 砲兵少佐
  • 1886年(明治19年)5月 - 参謀本部第2局員・兼陸大教授(- 1888年5月)
  • 1887年(明治20年)4月 - 参謀本部陸軍部第1局第1課長
  • 1888年(明治21年)5月 - 砲兵会議事務官兼議員
    • 11月 - 欧州出張(- 1889年9月)
  • 1889年(明治22年)12月 - 砲兵中佐・砲兵第1方面提理
  • 1890年(明治23年)3月 - 軍務局砲兵事務課長
  • 1893年(明治26年)11月 - 砲兵大佐
  • 1896年(明治29年)5月 - 軍務局砲兵課長
    • 10月 - 軍務局第1軍事課長・兼砲兵会議議長
  • 1897年(明治30年)9月 - 陸軍少将・陸士校長・兼砲兵会議議長
  • 1898年(明治31年)1月 - 陸軍次官・兼軍務局長(- 1900年4月)
  • 1900年(明治33年)5月 - 陸軍総務長官
  • 1901年(明治34年)2月 - 兼軍務局長(- 1902年4月)
  • 1902年(明治35年)4月 - 陸軍中将・予備役・製鉄所長官
  • 1904年(明治37年)8月22日 - 貴族院勅選議員[2](- 1917年8月)
  • 1907年(明治40年)9月 - 男爵
  • 1914年(大正3年)7月 - 南満洲鉄道総裁(- 1917年7月)
  • 1915年(大正4年)4月1日 - 後備役[3]
  • 1917年(大正6年)7月 - 現役復帰・関東都督(- 1919年4月)
    • 8月17日 - 依願免貴族院議員[4]
  • 1919年(大正8年)4月12日 - 退役[5]・貴族院議員[6](- 1920年7月)
  • 1920年(大正9年)6月 - 宮内大臣(- 1921年2月)
    • 7月9日 - 貴族院議員辞任[7]
  • 1922年(大正11年)2月 - 枢密顧問官(- 1928年10月)
  • 墓所は青山霊園(1イ11-16,17)

栄典

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位階
勲章等
外国勲章佩用允許

親族

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伝記

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  • 石井満『中村雄次郎伝』中村雄次郎伝記刊行会、1943年。

出典

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  1. ^ 『官報』 第549号 「官吏薨去、卒去及死去」 1928年10月23日」。
  2. ^ 『官報』第6345号、明治37年8月23日。
  3. ^ 『官報』第809号、大正4年4月16日。
  4. ^ 『官報』第1515号、大正6年8月18日。
  5. ^ 『官報』第2013号、大正8年4月22日。
  6. ^ 『官報』第2006号、大正8年4月14日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、29頁。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 中村雄次郎」 アジア歴史資料センター Ref.A06051176800 
  9. ^ 『官報』第672号「叙任」1885年9月25日。
  10. ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
  11. ^ 『官報』第3142号「叙任及辞令」1893年12月18日。
  12. ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
  13. ^ 『官報』第5226号「叙任及辞令」1900年12月1日。
  14. ^ 『官報』第1174号「叙任及辞令」1887年5月31日。
  15. ^ 『官報』第2680号「叙任及辞令」1892年6月6日。
  16. ^ 『官報』第3695号「叙任及辞令」1895年10月22日。
  17. ^ 『官報』第4029号・付録「辞令」1896年12月2日。
  18. ^ 『官報』第4156号「叙任及辞令」1897年5月13日。
  19. ^ 『官報』第5243号「叙任及辞令」1900年12月21日。
  20. ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。
  21. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  22. ^ 『官報』第7273号「授爵・叙任及辞令」1907年9月25日。
  23. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  24. ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
  25. ^ 『官報』第2903号「叙任及辞令」1922年4月10日。
  26. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  27. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  28. ^ 『官報』第1905号「叙任及辞令」1889年11月2日。
  29. ^ 『官報』第4810号「敍任及辞令」1899年7月14日。
  30. ^ 『官報』第5488号「叙任及辞令」1901年10月16日。

参考文献

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  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
中村(雄次郎)家初代
1907年 - 1928年
次代
中村貫之