三重村 (京都府)
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みえむら 三重村 | |
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廃止日 | 1951年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 口大野村、奥大野村、常吉村、三重村、周枳村、河辺村 → 大宮町 |
現在の自治体 | 京丹後市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 京都府 |
郡 | 中郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,575人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
中郡口大野村、奥大野村、常吉村、周枳村、五十河村 与謝郡岩滝町、山田村、岩屋村 |
三重村役場 | |
所在地 | 京都府中郡三重村大字三重字五反田 |
座標 | 北緯35度34分07秒 東経135度07分02秒 / 北緯35.56867度 東経135.11714度座標: 北緯35度34分07秒 東経135度07分02秒 / 北緯35.56867度 東経135.11714度 |
ウィキプロジェクト |
三重村(みえむら)は、京都府中郡にあった村。現在の京丹後市大宮町の南東部にあたる。
地理
[編集]- 河川:竹野川
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、森本村・三重村・三坂村・谷内村の区域をもって発足。
- 1927年(昭和2年)3月7日 - 北丹後地震が発生。家屋の多くが押し潰される[1]。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 口大野村・奥大野村・常吉村・周枳村・河辺村と合併して大宮町が発足。同日三重村廃止。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]村域を日本国有鉄道の宮津線(現・京都丹後鉄道宮豊線)が通過したが、駅は所在しなかった。
脚注
[編集]- ^ 悲惨を極める震災地-奥丹後を行く『大阪毎日新聞』昭和2年3月9日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p222 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府』角川書店、1982年