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一番ヶ瀬佳雄

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一番ヶ瀬佳雄

一番ヶ瀬 佳雄(いちばんがせ よしお、1895年明治28年)6月6日[1] - 1964年昭和39年)11月15日[2])は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚、陸軍司政長官新竹州知事、台南州知事。

経歴・人物

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一番ヶ瀬健太郎の子として東京市に生まれる[3]第六高等学校を経て[4]1920年(大正9年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業[1]。在学中の1919年(大正8年)10月に高等試験行政科合格[1]。卒業後、直ちに農商務省に奉職し農務局属となり[4]1925年(大正14年)5月に大阪府工業組合監督官、1934年(昭和9年)2月に拓務省管理局地方課長を経て、1935年(昭和10年)5月に台湾総督府殖産局農務課長に転じた[1]1939年(昭和14年)6月には林田正治に代わり新竹州知事に就任[5]。さらに翌年の5月に台南州知事を経て、1942年(昭和17年)7月、陸軍司政長官に就任した[3]。プリアンガン州長官を務めた[4]

著作

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  • 『アマゾン地方移植民地状況』一番ヶ瀬佳雄、1934年5月。 

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d 臺灣新民報社 1937, 17頁.
  2. ^ 「一番ヶ瀬 佳雄氏 (元台南州知事、インドネシア方面陸軍司政長官)」『毎日新聞』1964年11月16日、15面。
  3. ^ a b c 興南新聞社 1943, 30頁.
  4. ^ a b c 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、223頁。
  5. ^ 太田 1940, 275頁.

参考文献

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