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ミラー・ハギンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミラー・ハギンス
Miller Huggins
基本情報
出身地 オハイオ州シンシナティ
生年月日 1878年3月27日
没年月日 (1929-09-25) 1929年9月25日(51歳没)
身長
体重
5' 6.5" =約168.9 cm
140 lb =約63.5 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 二塁手
初出場 1904年4月15日
最終出場 1916年9月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1964年
選出方法 ベテランズ委員会選出(監督)

ミラー・ハギンス(Miller James Huggins、1878年3月27日 - 1929年9月25日)は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ出身のプロ野球選手二塁手)。右投げ、スイッチヒッター

ニックネームは"Mighty Mite"(マイティー・マイト)。1920年代ヤンキース黄金期の監督として、アメリカンリーグを6度、ワールドシリーズを3度制覇した。1964年に監督としてアメリカ野球殿堂入りを果たしている。

経歴

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選手時代

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1904年にマイナーのセントポール球団からレッズに入団、1年目から二塁手としてフル出場を果たす。5フィート6インチ/140ポンド(約167cm/63kg)と小柄な選手だったが、機敏な動きで広い守備範囲を誇った。攻撃では長打力はなかったものの四球をよく選んだ。13年間の現役生活で四球数がリーグ最多となったことが4度もあり、また1905年,1910年,1911年には100得点以上を記録している。レッズに6年間在籍した後は、1910年にカージナルスにトレードされ、1913年からは監督兼任となった。現役選手としては1916年まで試合に出場している。

監督時代

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カージナルスは選手兼任だった1913年から5年間率いていたが、なかなか優勝争いをすることができなかった。1918年にアメリカンリーグに移りヤンキースの監督に就任、チームは徐々にリーグの優勝争いに関わるようになっていった。1921年以降は、レッドソックスから移籍してきたカール・メイズウェイト・ホイトらの投手陣に加え、ベーブ・ルースの台頭やボブ・ミューゼルの活躍などを追い風にして、ヤンキースはリーグ3連覇を果たす。1923年にはジョン・マグロー率いるニューヨーク・ジャイアンツとのシリーズを4勝2敗で制した。

その後ルースの不調にあわせるように2年間チームは低迷するが、ルースが調子を取り戻した1926年以降は再び常勝チームとなった。豪華な顔ぶれをそろえた『殺人打線(マーダラーズ・ロー)』を擁するヤンキースの戦績は圧倒的で、1926年のワールドシリーズこそ大投手ピート・アレクサンダーの前に屈したものの、1927年と1928年にはそれぞれシーズン100勝以上、ワールドシリーズもパイレーツとカージナルスを4連勝で退けた。

しかし1929年、ハギンスはシーズン中に丹毒に感染し、同年9月19日の試合を最後に監督を交代する。最後の指揮をとってから6日後の9月25日にニューヨークで死去した。

詳細情報

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打撃成績

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O
P
S
1904 CIN 140 596 491 96 129 12 7 2 161 30 13 15 88 2 43 .263 .377 .328 .705
1905 149 683 564 117 154 11 8 1 184 38 27 9 103 7 46 .273 .392 .326 .718
1906 146 640 545 81 159 11 7 0 184 26 41 21 71 3 40 .292 .376 .338 .714
1907 156 672 561 64 139 12 4 1 162 31 28 27 83 1 52 .248 .346 .289 .635
1908 135 586 498 65 119 14 5 0 143 23 30 28 58 2 47 .239 .321 .287 .608
1909 57 196 159 18 34 3 1 0 39 6 11 8 28 1 12 .214 .335 .245 .580
1910 STL 151 688 547 101 145 15 6 1 175 36 34 19 116 6 46 .265 .399 .320 .719
1911 138 626 509 106 133 19 2 1 159 24 37 15 96 6 52 .261 .385 .312 .697
1912 120 530 431 82 131 15 4 0 154 29 35 11 87 1 31 .304 .422 .357 .779
1913 121 495 382 74 109 12 0 0 121 27 23 19 14 92 7 49 .285 .432 .317 .749
1914 148 635 509 85 134 17 4 1 162 24 32 14 105 7 63 .263 .396 .318 .714
1915 107 438 353 57 85 5 2 2 100 24 13 12 8 74 3 68 .241 .377 .283 .660
1916 18 15 9 2 3 0 0 0 3 0 0 3 2 1 3 .333 .500 .333 .833
通算:13年 1586 6800 5558 948 1474 146 50 9 1747 318 324 31 192 1003 47 552 .265 .382 .314 .696

獲得タイトル・記録

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  • 最高出塁率:1913年
  • 四球数リーグ最多:4回(1905,1907,1910,1914年)
  • 補殺数(二塁手)リーグ最多:2回(1905,1906年)
  • 併殺数(二塁手)リーグ最多:2回(1906,1907年)
  • 最高守備率(二塁手):1913年

監督としての戦績

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年度 チーム リーグ 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 備考
1913 STL NL 153 51 99 .340 8位
1914 157 81 72 .529 3位
1915 157 72 81 .471 6位
1916 153 60 93 .392 7位
1917 154 82 70 .539 3位
1918 NYY AL 126 60 63 .488 4位
1919 141 80 59 .576 3位
1920 154 95 59 .617 3位
1921 153 98 55 .641 1位
1922 154 94 60 .610 1位
1923 152 98 54 .645 1位 WS制覇
1924 153 89 63 .586 2位
1925 156 69 85 .448 7位
1926 155 91 63 .591 1位
1927 154 110 44 .714 1位 WS制覇
1928 154 101 53 .656 1位 WS制覇
1929 143 82 61 .573 2位 9月19日監督交代
通 算 2570 1413 1134 .555

関連項目

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外部リンク

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