マーク・ロブソン
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マーク・ロブソン Mark Robson | |
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生年月日 | 1913年12月4日 |
没年月日 | 1978年6月20日(64歳没) |
出生地 | カナダ ケベック州モントリオール |
死没地 | イギリス ロンドン |
国籍 | アメリカ合衆国[1] |
職業 | 映画監督、映画プロデューサー、編集技師 |
ジャンル | 映画 |
マーク・ロブソン(Mark Robson、1913年12月4日 - 1978年6月20日)は、アメリカ合衆国の映画監督、映画プロデューサー、編集技師である。
経歴
[編集]1913年12月4日、ケベック州モントリオールに生まれる[2]。カリフォルニア大学ロサンゼルス校を卒業した[3]。
20世紀フォックスで小道具係を務めたのち、RKOで編集技師を務めた[2]。1948年に同社を離れるまでのあいだ、ヴァル・リュートン製作の映画を監督した[2]。その後、スタンリー・クレイマー製作の『チャンピオン』や『勇者の家』、サミュエル・ゴールドウィン製作の『恐怖の一夜』や『我が心の呼ぶ声』を監督した[2]。そのほかの監督作品に『トコリの橋』や『殴られる男』、『青春物語』などがある[2]。
1978年6月20日、心臓発作によりロンドンにて死去[3]。64歳没[3]。
フィルモグラフィー
[編集]映画
[編集]- キャット・ピープル Cat People(1942年) - 編集
- 恐怖への旅 Journey into Fear(1943年) - 編集
- 吸血鬼ボボラカ Isle of the Dead(1945年) - 監督
- 恐怖の精神病院 Bedlam(1946年) - 監督・脚本
- 渓谷の銃声 Roughshod(1949年) - 監督
- チャンピオン Champion(1949年) - 監督
- 勇者の家 Home of the Brave(1949年) - 監督
- 愚かなり我が心 My Foolish Heart(1949年) - 監督
- 恐怖の一夜 Edge of Doom(1950年) - 監督
- 輝かしき勝利 Bright Victory(1951年) - 監督
- 我が心の呼ぶ声 I Want You(1951年) - 監督
- 楽園に帰る Return to Paradise(1953年) - 監督
- 零下の地獄 Hell Below Zero(1954年) - 監督
- トコリの橋 The Bridges at Toko-Ri(1954年) - 監督
- 黄金の賞品 A Prize of Gold(1955年) - 監督
- アメリカの戦慄 Trial(1955年) - 監督
- 殴られる男 The Harder They Fall(1956年) - 監督
- 潮風のいたづら The Little Hut(1957年) - 監督・製作
- 青春物語 Peyton Place(1957年) - 監督
- 六番目の幸福 The Inn of the Sixth Happiness(1958年) - 監督
- 孤独な関係 From the Terrace(1960年) - 監督・製
- 脱走 The Inspector(1962年) - 製作
- 逆転 The Prize(1963年) - 監督
- 暗殺5時12分 Nine Hours to Rama(1963年) - 監督・製作
- 脱走特急 Von Ryan's Express(1965年) - 監督・製作
- 名誉と栄光のためでなく Lost Command(1966年) - 監督・製作
- 哀愁の花びら Valley of the Dolls(1967年) - 監督
- 屋根の上の赤ちゃん Daddy's Gone A-Hunting(1969年) - 監督・製作
- 雨の日にふたたび Limbo(1972年) - 監督
- 大地震 Earthquake(1974年) - 監督・製作
- アバランチエクスプレス Avalanche Express(1979年) - 監督・製作
脚注
[編集]- ^ “Mark Robson”. AlloCiné. 2017年11月26日閲覧。
- ^ a b c d e “Mark Robson - Overview”. AllMovie. 2017年11月26日閲覧。
- ^ a b c “Mark Robson, Film Director, Dies; Did 'Champion' and 'Earthquake'”. The New York Times (1978年6月22日). 2017年11月26日閲覧。