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ポール・ウェイナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポール・ウェイナー
Paul Waner
1927年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オクラホマ州の旗 オクラホマ州ハラ
生年月日 1903年4月16日
没年月日 (1965-08-29) 1965年8月29日(62歳没)
身長
体重
5' 8.5" =約174 cm
153 lb =約69.4 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 右翼手
初出場 1926年4月13日
最終出場 1945年4月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1952年
得票率 83.33%
選出方法 BBWAA選出

ポール・グリー・ウェイナーPaul Glee Waner1903年4月16日 - 1965年8月29日)は、アメリカ合衆国オクラホマ州ハラ出身の元プロ野球選手右翼手)。ニックネームは「Big Poison」。

Little Poison」と呼ばれた実弟ロイド・ウェイナーも通算2,459安打を記録した名選手で、『ポイズン・ブラザーズ』として名を馳せた。

経歴

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プロ入り前

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オクラホマ準州(当時)ハラにて父オラと母エッタの間に誕生。高校卒業イーストセントラル大学英語版に進学し、1922年には投手として234防御率1.70を記録。両親教師になることを望んでいた[1]

マイナーリーグ/パイレーツ時代

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1923年パシフィックコーストリーグサンフランシスコ・シールズ契約し、外野手に転向[1]1925年打率.401・280安打・75二塁打を記録[2]し、10月13日ピッツバーグ・パイレーツ移籍[3]
1926年4月13日セントルイス・カージナルスとの開幕戦代打で出場してメジャーデビューを果たし、5月以降右翼レギュラーに定着[4]8月26日ニューヨーク・ジャイアンツ戦で6打数6安打を記録[5]するなど、ルーキーながら打率.336・180安打、共にリーグトップの出塁率.413・22三塁打の好成績を挙げる。

1927年は弟ロイドがデビューしチームメイトとなる。6月3日フィラデルフィア・フィリーズ戦から6月19日シカゴ・カブス戦にかけてメジャー記録の14試合連続長打を達成[6]するなど、いずれもリーグトップの打率.380・131打点・237安打・18三塁打・342塁打ロジャース・ホーンスビーに次ぐリーグ2位の出塁率.437・OPS.986と前年よりも更に成績を上げて首位打者最多打点の二冠を獲得し、チームのリーグ優勝に大きく貢献。『殺人打線』と称されたニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは打率.333を記録[7]するが、チームは4連敗で敗退。弟と同じくこれが自身最初で最後のワールドシリーズ出場となった。MVPの投票ではフランキー・フリッシュを6ポイント差で抑えて受賞を果たした[8]

Goudey社のベースボールカード

1928年はリーグトップの50二塁打・142得点、いずれもリーグ2位の打率.370・19三塁打・出塁率.446を記録。1929年は契約が拗れてスプリングトレーニングを棒に振る[1]など出遅れるが、キャリアハイの15本塁打
1932年5月20日のカージナルス戦でメジャー記録の1試合4二塁打[9][10]。全試合出場を果たし、球団記録で当時歴代3位(2021年現在は5位)の62二塁打を記録[11]するが、出塁率は.397とデビュー以来初めて.400を割った。
1933年は2年連続の全試合出場、第1回のオールスターゲームにも選出されたが、打率.309とそれまでのキャリアワーストの数字に終わった。
1934年はいずれもリーグトップの打率.362・217安打・122得点、リーグ2位の16三塁打・出塁率.429を記録して復活し、7年ぶりの首位打者のタイトルを獲得。MVPの投票では30勝を挙げたディジー・ディーンに次ぐ2位にランクインした[12]
1936年は打率.373で2年ぶりの首位打者を獲得。1937年も打率.354・219安打を記録するが、経営陣からの要請でアルコールを断った[13]1938年は.280に終わり、ルーキーイヤーから維持していた打率.300以上は12年で途絶えた。1940年は若手の台頭もあって出場機会が減少し、12月5日解雇された[3]

キャリア後期

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1941年1月31日ブルックリン・ドジャースと契約。しかし11試合の出場で打率.171と全く打てず、5月11日に再び解雇される[3]

5月24日ボストン・ブレーブスと契約[3]し、5月7日トレードでブレーブスに移籍していた弟と再びチームメイトとなる。
1942年6月17日シンシナティ・レッズとのダブルヘッダー2試合目の5裏に、遊撃手エディ・ジョーストが弾く強烈なゴロ内野安打となり、当時史上7人目の通算3000安打達成と思われた。ところがウェイナー自身が記者席の公式記録員に向かって大きく手を横に振り、「記念すべき3000安打を文句のない1本で記録したいから」という理由で記録の訂正を要求したために安打は取り消され、ジョーストの失策に変更された。2日後の6月19日、古巣パイレーツ戦で左翼へのクリーンヒットを放ち、3000安打を達成した[14][15]

1943年1月19日に解雇されるが、2日後の1月21日にドジャースに復帰[3]第二次世界大戦の影響で多くの選手が徴兵されて選手層が薄くなった中、試合数は少ないながら打率.311・出塁率.406を記録する。1944年9月1日に解雇されたが、同日ヤンキースと契約。1945年5月3日に解雇[3]され、メジャーでのキャリアを終えた。

1946年にマイナーのフロリダ・インターナショナルリーグ英語版に所属するマイアミ・サンソックス英語版選手兼任監督としてプレイし[16]、同年限りで現役を引退した。


弟ロイドとの安打数の合計は5,611で、ディマジオ3兄弟(ジョー2,214,ドム1,680,ビンス959)の計4,853、アルー3兄弟(フェリペ2,101,マティ1,777,ヘスス1,216)の計5,094を上回り、兄弟としての最多記録である[13]

引退後

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引退後はゴルフ釣り狩猟を楽しむ一方で、ブレーブスやフィリーズ、カージナルスで打撃コーチを務めた。またパイレーツの後輩であるディック・グロートに打撃を指導したり、テッド・ウィリアムズに「ブードローシフト(ウィリアムズシフト)」への対抗策をアドバイスするなどした[1][17]

1952年7月21日アメリカ野球殿堂入り。1965年8月29日フロリダ州サラソータ肺気腫による呼吸停止で死去した[1]。62歳没。

ウェイナーのパイレーツ在籍時の背番号「11」。
ピッツバーグ・パイレーツの永久欠番2007年指定。

殿堂入りから55年後の2007年7月21日、パイレーツ在籍時の背番号11』が球団史上9番目の永久欠番に指定され、試合前に記念のセレモニーが行われた[1]

エピソード

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  • ニックネームの「Big Poison」は、ブルックリンエベッツ・フィールドでの試合中にファンがウェイナー兄弟に向かって「Big Person」「Little Person」と叫んだのが「Poison」と言っているように聞こえたことが由来と言われている。弟ロイドはポロ・グラウンズでのジャイアンツ戦で同様のことがあったと証言しており、真相は定かでは無いが、いずれにせよニューヨーク訛りが起因していると考えられる[1]
  • 近視だったが、眼鏡をかける事は無かった。裸眼だとグレープフルーツサイズに見えるボールが、眼鏡をかけると小さく見えてしまったという[1]
  • 「両手の指の関節を揃える」グリップの握りを勧めていたことで知られる[18]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1926 PIT 144 618 536 101 180 35 22 8 283 79 11 -- 4 -- 66 -- 12 19 -- [19].336 .413 .528 .941
1927 155 709 623 114 237 42 18 9 342 131 5 -- 3 -- 60 -- 23 14 -- .380 .437 .549 .986
1928 152 697 602 142 223 50 19 6 329 86 6 -- 5 -- 77 -- 13 16 -- .370 .446 .547 .992
1929 151 703 596 131 200 43 15 15 318 100 15 -- 3 -- 89 -- 15 24 -- .336 .424 .534 .958
1930 145 665 589 117 217 32 18 8 309 77 18 -- 4 -- 57 -- 15 18 -- .368 .428 .525 .952
1931 150 646 559 88 180 35 10 6 253 70 6 -- 4 -- 73 -- 10 21 -- .322 .404 .453 .857
1932 154 697 630 107 215 62 10 8 321 82 13 -- 2 -- 56 -- 9 24 -- .341 .397 .510 .906
1933 154 694 618 101 191 38 16 7 282 70 3 -- 2 -- 60 -- 14 20 10 .309 .372 .456 .828
1934 146 677 599 122 217 32 16 14 323 90 8 -- 2 -- 68 -- 8 24 15 .362 .429 .539 .968
1935 139 623 549 98 176 29 12 11 262 78 2 -- 3 -- 61 -- 10 22 15 .321 .392 .477 .869
1936 148 666 585 107 218 53 9 5 304 94 7 -- 3 -- 74 -- 4 29 15 .373 .446 .520 .965
1937 154 690 619 94 219 30 9 2 273 74 4 -- 0 -- 63 -- 8 34 11 .354 .413 .441 .855
1938 148 680 625 77 175 31 6 6 236 69 2 -- 1 -- 47 -- 7 28 16 .280 .331 .378 .709
1939 125 506 461 62 151 30 6 3 202 45 0 -- 0 -- 35 -- 10 18 12 .328 .375 .438 .813
1940 89 261 238 32 69 16 1 1 90 32 0 -- 0 -- 23 -- 0 14 4 .290 .352 .378 .731
1941 BRO 11 44 35 5 6 0 0 0 6 4 0 -- 0 -- 8 -- 1 0 2 .171 .326 .171 .497
BSN 95 341 294 40 82 10 2 2 102 46 1 -- 0 -- 47 -- 0 14 8 .279 .378 .347 .725
'41計 106 385 329 45 88 10 2 2 108 50 1 -- 1 -- 55 -- 0 14 10 .267 .372 .328 .701
1942 114 404 333 43 86 17 1 1 108 39 2 -- 1 -- 62 -- 8 20 7 .258 .376 .324 .701
1943 BRO 82 267 225 29 70 16 0 1 89 26 0 -- 1 -- 35 -- 6 9 9 .311 .406 .396 .802
1944 83 164 136 16 39 4 1 0 45 16 0 -- 0 -- 27 -- 1 7 3 .287 .405 .331 .736
NYY 9 9 7 1 1 0 0 0 1 1 1 0 0 -- 2 -- 0 1 0 .143 .333 .143 .476
'44計 92 173 143 17 40 4 1 0 107 17 1 0 1 -- 29 -- 0 8 3 .280 .401 .322 .723
1945 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 -- 1 -- 0 0 0 .000 1.000 .000 .000
通算:19年 2549 10762 9459 1627 3152 605 191 113 4478 1309 104 0 38 -- 1091 -- 174 376 127 .333 .404 .473 .878

獲得タイトル

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  • 首位打者:4回(1926年[19],1927年,1934年,1936年)
  • 最多打点:1回(1927年)

表彰

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  • MVP:1回(1927年)

記録

[編集]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i Paul Waner” (英語). SABR Baseball Biography Project. 2021年8月8日閲覧。
  2. ^ Register Batting” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年8月7日閲覧。
  3. ^ a b c d e f Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年8月7日閲覧。
  4. ^ 1926 Batting Game Log” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年8月7日閲覧。
  5. ^ New York Giants at Pittsburgh Pirates Box Score, August 26, 1926” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年8月12日閲覧。
  6. ^ 1927 Batting Game Log” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年8月7日閲覧。
  7. ^ Postseason Batting Game Log” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年8月7日閲覧。
  8. ^ NL MVP Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年8月7日閲覧。
  9. ^ Major League Baseball Records for Doubles” (英語). BASEBALL ALMANAC. 2021年8月14日閲覧。
  10. ^ 1932 Batting Game Log” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年8月14日閲覧。
  11. ^ Single-Season Leaders & Records for Doubles” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年8月11日閲覧。
  12. ^ NL MVP Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年8月11日閲覧。
  13. ^ a b Paul Waner” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年8月14日閲覧。
  14. ^ 伊東一雄. メジャーリーグこそ我が人生:パンチョ伊東の全仕事. サンケイスポーツ. p. 210-211. ISBN 978-4594041175 
  15. ^ 【メジャーの旅】3000本目のヒットを拒否した大リーグ史上ただ1人の強者”. zakzak. 2021年8月12日閲覧。
  16. ^ 1946 Miami Sun Sox” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年8月13日閲覧。
  17. ^ The “Williams Shift” Debuts 71 Years Ago Today!” (英語). BASEBALL HISTORY COMES ALIVE!. 2021年8月14日閲覧。
  18. ^ キャンパニス(1957年) p.184
  19. ^ a b 首位打者資格に現在の規定打席を適用した場合。1926年当時は「100試合以上出場」の選手に首位打者の資格があり、バブルス・ハーグレイブをナショナルリーグの首位打者としている。

関連項目

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外部リンク

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