プジョー・905
プジョー・905(1990年) | |||||||||||
カテゴリー | グループC | ||||||||||
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コンストラクター | プジョー | ||||||||||
デザイナー | アンドレ・デ・コルタンツ | ||||||||||
主要諸元 | |||||||||||
シャシー | カーボン モノコック | ||||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン | ||||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン | ||||||||||
全長 | 4,800 mm | ||||||||||
全幅 | 1,960 mm | ||||||||||
全高 | 1,080 mm | ||||||||||
トレッド | 前:1,630 mm / 後:1,550 mm | ||||||||||
ホイールベース | 2,800 mm | ||||||||||
エンジン | プジョー 3,499 cc 80度 V10 NA ミッドシップ | ||||||||||
トランスミッション | プジョー 6速 | ||||||||||
燃料 | エッソ | ||||||||||
タイヤ | ミシュラン | ||||||||||
主要成績 | |||||||||||
チーム | プジョー・タルボ・スポール | ||||||||||
ドライバー |
ケケ・ロズベルグ ジャン=ピエール・ジャブイーユ マウロ・バルディ フィリップ・アリオー ヤニック・ダルマス ピエール=アンリ・ラファネル デレック・ワーウィック マーク・ブランデル カール・ヴェンドリンガー アラン・フェルテ エリック・ヴァン・デ・ポール クリストフ・ブシュー エリック・エラリー ティエリー・ブーツェン テオ・ファビ ジェフ・ブラバム | ||||||||||
出走時期 | 1990 - 1993年 | ||||||||||
コンストラクターズタイトル | 1 | ||||||||||
ドライバーズタイトル | 1 | ||||||||||
初戦 | 1990年モントリオール480km | ||||||||||
初勝利 | 1991年鈴鹿430km | ||||||||||
最終戦 | 1993年ル・マン24時間 | ||||||||||
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プジョー・905は1991年のスポーツカー世界選手権(SWC)参戦用にプジョーが製作したプロトタイプレーシングカーである。
概要
[編集]905はプジョー初のグループCマシンであり、1991年より本格導入されるカテゴリー1(3.5リットル自然吸気エンジン、最低車重750kg、使用燃料総量規制なし)規定で製作された。
カーボンファイバー (CFRP) 製シャシーの採用など、ほぼF1化されている[1]。モノコックにはノーズコーンが存在し、コックピットのサイドシルをドライバーの肩付近まで上げたためドアがなく、ドライバーはガルウィング式に開く側窓からコックピットに乗り込む。製造は航空機メーカーのダッソー。
エンジンは自然吸気3.5リットルの80度V型10気筒。内径φ91mm×行程53.8mmのショートストロークタイプ。
トランスミッションは縦置き6段。サスペンションはダブルウィッシュボーン。
ラジエーターはコックピットの両側にあり、フロントカウルからダクトを通して吸気している。
1991年シーズン用に各部軽量化、エンジン及びギアボックスの改良、パワーステアリングの装備などが行われた[2]。
歴史
[編集]ジャン・トッド監督率いるプジョー・タルボ・スポールは、パリ・ダカールラリーで1987年から1990年まで4連覇を遂げたのち、1990年にスポーツカー選手権への参戦を発表した。オフロードからスポーツカーレースへの転進という興味に加えて、元F1チャンピオンのケケ・ロズベルグがドライバー陣営に加わるという話題性もあった。
デザイン担当はアンドレ・デ・コルタンツ。
1990年は世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)の終盤2戦に参戦。デビュー戦の第8戦モントリオールではリタイヤ。2戦目となる第9戦メキシコでは13位で完走した。
翌1991年から本格フル参戦し、SWC開幕戦の鈴鹿で早くも優勝を遂げた。しかし同レースでデビューしたジャガー・XJR-14の「屋根付き・カウル付きの2座席F1」と言うコンセプトの前では、勝利は困難と判断したトッド監督が、全面改良とも言えるエボリューションモデルの開発を決意(開発を担当したのは、エンリケ・スカラブローニ)。従来モデルは第4戦ル・マン24時間レースが最後になった。
初出場となったル・マンではあえて軽量のスプリントモデルで出場し、予選でフロントロウを独占[注釈 1]。決勝では序盤のレースをリードしたが、1台がピットで炎上、もう1台はコース中でストップし、2台とも6時間も持たずリタイヤに終わった。ライバルであるメルセデスとジャガーは実績のあるカテゴリー2(ル・マン仕様)のマシンを投入し、メルセデス・ベンツ・C11は1台が5位完走、ジャガー・XJR-12は3台が2位から4位までに入った。
エボリューションモデルは第5戦ニュルブルクリンクでデビューする。第6戦マニクールで早くもポール・トゥ・ウィン(1-2フィニッシュ)と結果を残し、第7戦メキシコシティでも同じく1-2フィニッシュと、完全にトップコンテンダーに熟成された。
SWCチャンピオン獲得、並びにル・マン制覇を目指して挑んだ1992年シーズンは、開幕戦モンツァこそトヨタに優勝をさらわれるも、その後の5戦はル・マン24時間レースを含め全てのレースを制し、フル参戦2年目で早くもSWCチャンピオンを獲得した。最終戦マニクールでは空力面を大幅に刷新した「史上最も醜いCカー」と評価されるエボリューション2も予選に投入されるが、マシンの速度と信頼性に欠けたため、結局決勝には出走しなかった。SWCはこの年限りで終了となる。
1993年のレース出場はル・マン24時間レースのみ。トヨタ・TS010との一騎討ちになったが、終ってみれば1-2-3フィニッシュの完勝。このレースを持ってプジョー905、並びにプジョー・タルボ・スポールの活動は終了した。この後トッド監督はスクーデリア・フェラーリに移籍した。
バリエーション
[編集]905エボリューション1
[編集]1991年の第5戦ニュルブルクリンクから使用されたモデルで、905からの違いは、新設計のフロント・サスペンション、フロントウィングの追加、リアウィングの大型化、リアタイヤのスパッツの撤去、ラジエーターへの吸気方法の変更、ヘッドライトのコックピット前への移設、エンジンの改良など。
1992年シーズンに向けて、各部軽量化、エンジンの排気方法の変更(マシン側面からディフューザー部分へ排気する方式)などが行われた。最終戦マニ・クールでトラクションコントロールシステムを導入。
905エボリューション1C
[編集]1993年のル・マン24時間レースに登場。トランスミッションが横置き6段化された。
905エボリューション2
[編集]1992年の最終戦マニクールの予選に登場。モノコックは新設計。空力面ではフロントをF1のようなハイノーズに成形し、フェンダーとの間の開口部へ積極的に気流を取り入れる形状に改められた。登場時はその奇怪なデザインから「スーパーコプター」(fr: Supercopter)[3][4]の異名を頂戴していた。
トランスミッションはセミオートマチック化された横置き6段。
1992年のシーズン前には第4戦ドニントンから投入予定とされていたが[5]、実際にはドニントン戦前のテストでシェイクダウンが行われた後[6]、ドニントンではマシンが公開されたにとどまった。公開時にはフルオートマを開発中で、実戦投入は鈴鹿以降とアナウンスされた[7]。
タイトル獲得後の最終戦マニ・クールで1号車のデレック・ワーウィック・ヤニック・ダルマス組にエボリューション1とエボリューション2の2台が用意され、どちらをレースで使用するかをドライバーに選択させることになった。予選で実走したところ、エボリューション1よりもタイムが1秒以上も遅く、スピードが明らかに劣っていたため、2人は実績があるエボリューション1を選択し、エボリューション2は決勝レースを走ることなく引退した[8]。またこのレースを最後にグループCカテゴリーの世界選手権が消滅し、またその異様なフロント周辺のデザインから「史上最も醜悪なCカー」「グループCにとどめを刺したマシン」と揶揄される有様だった。
その後エボリューション2はル・マン・サルテサーキットの博物館に収蔵されていたが、2017年現在は展示されておらず姿が無い模様。
注釈
[編集]- ^ タイムに関わらずカテゴリー1(SWC仕様マシン)に優先権があった。
出典
[編集]- ^ “【グループCの時代】プジョー905はグループC時代の掉尾を飾るマシンとなった”. Webモーターマガジン. (2020年1月15日)
- ^ “プジョーが初めて作り上げたグループCカー『PEUGEOT 905』”. Auto Messe Web. (2019年3月1日)
- ^ https://www.dailysportscar.com/2021/01/26/sportscars-that-never-raced-10-the-peugeot-905-evo-2-supercopter.html
- ^ https://lookcharms.com/peugeot-905-evo-2-call-it-supercopter/
- ^ 『Racing On』No.117 、p.36。
- ^ 『Racing On』No.126、p.36。
- ^ 『Racing On』No.127、p.32。
- ^ 『Racing On』No.132、p.135。
参考文献
[編集]- 檜垣和夫 「スポーツカー・プロファイルIII プジョー905」、『カーグラフィック』 No.584、No.586、二玄社、2009、2010年。
- 熊野学 「徹底メカニズムリサーチ [SWC鈴鹿編]」、『オートスポーツ 』No.583、三栄書房、1991年。
- 熊野学 「徹底メカニズムリサーチ [SWC編]」、『オートスポーツ』 No.617、三栄書房、1992年。
- 「テクニカル解説 プジョー905」、『Racing On』No.087、武集書房、1990年。
- 「PEUGEOT905 REBORN」、『Racing On』No.105、武集書房、1991年。
- 『Racing On』No.117、武集書房、1992年。
- 『Racing On』No.126、ニューズ出版、1992年。
- 『Racing On』No.127、ニューズ出版、1992年。
- 『Racing On』No.132、ニューズ出版、1992年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ル・マン24時間レース(1991年) - プジョー・スポール公式サイト
- ル・マン24時間レース(1992年) - プジョー・スポール公式サイト