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バディ・ライス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バディ・ライス
Buddy Rice
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1976-01-31) 1976年1月31日(48歳)
出身地 アリゾナ州フェニックス
IZOD インディカー・シリーズでの経歴
デビュー 2002
所属 パンサー・レーシング
車番 44
過去所属 チーバー・レーシング
レイホール・レターマン・レーシング
ドレイヤー&レインボールド・レーシング
ルビコン・レーシングチーム
出走回数 97
優勝回数 3
ポールポジション 5
シリーズ最高順位 3位 (2004)
過去参加シリーズ
2006
1998-2000, 2002
1996-1997
チャンプカー・ワールド・シリーズ
トヨタ・アトランティック
U.S. フォーミュラ・フォード 2000
選手権タイトル
2000 トヨタ・アトランティック・チャンピオン
受賞
2004
2009
インディ500優勝
デイトナ24時間レース優勝

バディ・ライスBuddy Rice1976年1月31日 - )は、アメリカ合衆国のレーシングドライバー。2004年インディ5002009年デイトナ24時間レース優勝者。

初期の経歴

[編集]

ライスはフェニックスで、元ドラッグレーサーの息子として生まれる。祖父はインディアナポリス出身で、ライスの父親にレースへの興味を伝えた。ライスが初めてレースに出会ったのは6歳の時であった。11歳でカートレースを始めたが、高校時代は野球に取り組み、大学およびプロのスカウトの注意を引きつけた。しかしながら、ライスは父親と共にレースを仕事にしていくと決めた[1][2]

プロレーサーとしての経歴は1996年に始まり、U.S.F2000に出場する。2番手からスタートし8位でフィニッシュした。彼はまたダッジ・シェルビー・プロ・シリーズにも出場し、ラスベガスではポールトゥウィンを達成した。

1997年はリンクス・レーシング / DSTPモータースポーツからF2000に参加し、フェニックスで優勝、ランキングは4位となった。また、バルボリン・チームUSAスカラーシップでも優勝、ヨーロッパで行われたネイションカップではアメリカ代表となった。

1998年はナザレスでポールトゥウィンを達成した。トヨタ・アトランティックシリーズではランキング7位となり、ジル・ヴィルヌーヴ・メモリアル・アウォードを獲得した。1999年はリンクス・レーシングからトヨタ・アトランティックに参戦、ランキング5位となる。

2000年はシリーズタイトルを獲得し、レッドブル・チーバー・レーシング英語版の興味を引いた。2001年11月、カリフォルニアでチーバー・レーシングのテストを受けた。

インディカー

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2002年、ライスはレッドブル・チーバー・レーシングからインディカー・シリーズへのデビューを果たし、8月にミシガンで最初のレースに臨んだ。当初はクラッシュしがちなトーマス・シェクターの代役として起用されたが、オーナーのエディ・チーバーはシェクターの契約が最初に思ったよりも堅く保護されていることに気づいた。チームはエントリーを3台に増やし(オーナーのチーバーによる)、ベストのクルーと最良のパーツをライスに与えた[要出典]。ライスは数インチの差でシェクターに敗れたが、シリーズで記録を残した。彼は最終5戦に出走したが、トップ10フィニッシュ4回、トップ5フィニッシュ2回という結果であった。

2003年はレッドブル・チーバー・レーシングから16戦中13戦に参加したが、最終3戦はより経験豊富なアレックス・バロンに取って代わられた。

2003年11月、ライスはホームステッド=マイアミ・スピードウェイで行われたクラフツマン・トラック・シリーズに出場した。ケニー・ブラックテキサス・モーター・スピードウェイでクラッシュ、負傷したためその代役としてボビー・レイホールに採用されたためであった。

2004年、ライスは雨で短縮されたインディ500で、ポールトゥウィンを達成した。これは彼にとってインディカーにおける初勝利であった。その年は5回のポール、3勝を挙げリードラップ342周を記録、シリーズランキング3位となる。インディ500での勝利後、スポンサーは好きな車を買ってもいいと告げ、彼は1949年型のマーキュリー・エイトを購入した。

ミルウォーキー・マイルで、2007年

2005年はヴィトール・メイラダニカ・パトリックをチームメイトとしてシリーズに臨んだ。しかしながらインディ500ではプラクティスで負傷、決勝に出場することはできなかった。そして皮肉なことに、ケニー・ブラックがライスの代役を務めた。

2006年はチームメイトのポール・ダナがホームステッド=マイアミ・スピードウェイで事故死するという悲劇で幕が開けた。ライスとダニカ・パトリックはすぐにレースから撤退した。ライスのシーズン開幕は次戦のセントピーターズバーグからとなった。インディ500はエリオ・カストロネベスと接触、クラッシュし早々に終わった。インディカー・シリーズの終了後、彼はチャンプカー・ワールド・シリーズ、メキシコでの最終戦にフォーサイス・レーシングから出場、10位でフィニッシュした。

2007年、ライスはドレイヤー&レインボールド・レーシングに加わりサラ・フィッシャーのチームメイトとなる。シーズン後半でトップ5フィニッシュ3回、ランキングは9位となり2004年以来最良の成績となる。2008年も同チームから出場し、ワトキンズ・グレンで4位に入賞したが、ランキングは16位であった。

2008年にチームと契約を解除し、2009年はインディカー・シリーズに参加しなかった。レッドブルとの長年のパートナーシップも期限が切れ、更新されなかった[要出典]

2011年はパンサー・レーシングからJ.R.ヒルデブランドのチームメイトとしてインディ500に出場、44番車をドライブした[3]

A1グランプリ

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2007-08年シーズン、ライスはA1チーム・アメリカと契約し、A1グランプリに参戦した[4]。序盤4戦に出走したが、ザントフォールトでの13位が最高位で、ジョナサン・サマートンと交代した。

パーソナル

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ライスはクラシックカーの収集とレストアが趣味である。妻のマーゴットとの時間を大切にし、第1子のミナは2008年4月9日に誕生した。現在はロレックス・スポーツカーシリーズに参戦する。2010年のワトキンズ・グレン6時間で初の表彰台に上った。そのレースでは左のシューズが脱げたままで完走した[5]

記録

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アメリカン・オープンホイール

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(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

アトランティック・チャンピオンシップ

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チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
1998 リンクス・レーシング LBH
14
NAZ
1
GAT
4
MIL
11
MTL
3
CLE
3
TOR
25
TRR
20
MDO
2
ROA
26
VAN
5
LS
5
HOU 7位 108
1999 リンクス・レーシング LBH
4
NAZ
6
GAT
6
MIL
3
MTL
2
ROA
2
TRR
21
MDO
16
CHI
5
VAN
4
LS
2
HOU
16
5位 113
2000 DSTPモータースポーツ HMS1
2
HMS2
1
LBH
1
MIL
17
MTL
28
CLE
1
TOR
2
TRR
1
ROA
1
LS
3
GAT
2
HOU
3
1位 185
2002 DSTPモータースポーツ MTY LBH MIL LS
8
POR
11
CHI
11
TOR
6
CLE
13
TRR ROA MTL DEN 17位 31

インディカー

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント
2002 レッドブル・チーバー ダラーラ インフィニティ HMS PHX FON NZR INDY TXS PPIR RIR KAN NSH MIS
2
KTY
12
STL
4
CHI
9
TX2
6
22位 140
2003 レッドブル・チーバー ダラーラ シボレー HMS
16
PHX
9
MOT
13
INDY
11
TXS
14
PPIR
9
RIR
9
KAN
Ret
NSH
18
MIS
11
STL
14
KTY
11
NZR
10
CHI FON TX2 16位 229
2004 レイホール・レターマン・レーシング Gフォース ホンダ HMS
7
PHX
9
MOT
6
INDY
1
TXS
Ret
RIR
6
KAN
1
NSH
6
MIL
2
MIS
1
KTY
2
PPIR
Ret
NZR
4
CHI
Ret
FON
5
TX2
Ret
3位 485
2005 レイホール・レターマン・レーシング パノス ホンダ HMS
Ret
PHX
Ret
STP
7
MOT
3
INDY
Inj
TXS
Ret
RIR
11
KAN
10
NSH
Ret
MIL
Ret
MIS
Ret
KTY
14
PPIR
11
SNM
2
CHI
13
WGL
Ret
FON
12
15位 295
2006 レイホール・レターマン・レーシング パノス ホンダ HMS
WD1
STP
Ret
MOT
5
INDY
Ret
WGL
4
SNM
15
15位 234
ダラーラ TXS
Ret
RIR
13
KAN
Ret
NSH
Ret
MIL
11
MIS
13
KTY
15
CHI
13
2007 ドレイヤー&レインボールド・レーシング ダラーラ ホンダ HMS
10
STP
10
MOT
10
KAN
Ret
INDY
Ret
MIL
Ret
TXS
8
IOW
4
RIR
5
WGL
6
NSH
Ret
MDO
8
MIS
5
KTY
12
SNM
11
DET
Ret
CHI
9
9位 360
2008 ドレイヤー&レインボールド・レーシング ダラーラ ホンダ HMS
11
STP
15
MOT2
12
LBH2
DNP
KAN
Ret
INDY
8
MIL
10
TXS
8
IOW
Ret
RIR
Ret
WGL
4
NSH
7
MDO
20
EDM
11
KTY
10
SNM
11
DET
Ret
CHI
Ret
SRF3
10
16位 306
2011 パンサー・レーシング ダラーラ ホンダ STP ALA LBH SAO INDY
18
TXS1 TXS2 MIL IOW TOR EDM MDO NHM SNM BAL MOT KTY
9
LVS
C
34位 42
1 レイホール・レターマン・レーシングはライスとダニカ・パトリックの両名を、ポール・ダナがプラクティスで事故死した後撤退させた。
2 同日開催
3 ノンタイトル戦
チーム 出走数 ポールポジション 勝利数 表彰台
(勝利以外)**
トップ10
(表彰台以外)***
インディ500勝利数 チャンピオン獲得数
8 4 99 5 3 5 35 1 (2004) 0

インディ500

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シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
2003 ダラーラ シボレー 19 11 チーバー
2004 Gフォース ホンダ 1 1 レイホール・レターマン
2005 パノス ホンダ Practice crash レイホール・レターマン
2006 パノス ホンダ 14 26 レイホール・レターマン
2007 ダラーラ ホンダ 16 25 ドレイヤー&レインボールド
2008 ダラーラ ホンダ 17 8 ドレイヤー&レインボールド
2011 ダラーラ ホンダ 7 18 パンサー

チャンプカー

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント
2006 フォーサイス・チャンピオンシップ・レーシング ローラ・B02/00 フォード XFE LBH HOU MTY MIL POR CLE TOR EDM SJO DEN MTL ROA SRF MXC
10
23位 11

A1グランプリ

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(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
2007-08 USA NED
SPR

22
NED
FEA

13
CZE
SPR

16
CZE
FEA

15
MYS
SPR

MYS
FEA

ZHU
SPR

ZHU
FEA

NZL
SPR

NZL
FEA

AUS
SPR

AUS
FEA

RSA
SPR

RSA
FEA

MEX
SPR

MEX
FEA

SHA
SPR

SHA
FEA

GBR
SPR

GBR
SPR

12位 56

参照

[編集]

外部リンク

[編集]
タイトル
先代
アンソニー・ラザロ
トヨタ・アトランティック チャンピオン
2000
次代
フーヴァー・オージ
先代
ジル・ド・フェラン
インディ500優勝
2004
次代
ダン・ウェルドン