サフィー・アッディーン・イスハーク・アルダビーリー
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シャイフ・サフィー・アッディーン・イスハーク・アルダビーリー(1252年-1334年、ペルシア語:شیخ صفیالدین اردبیلی)は、サファヴィー教団の教主、スーフィーである。彼自身の生涯の前半は良くわかっておらず[1]、ペルシア人[2]ともクルド人[1][3]とも考えられている。われわれが知るサフィーのほとんどが、サフィーを支持した人々が書き連ねた著作物を経由している。
サフィーは、クルド語に良く似たペルシア語の方言である古典タット語(en)で詩を残している。サフィー・アッディーンは、ザヒード・ギーラーニー(en)の思想を受け継いでいる。ギーラーニーは、自身の娘であるファーティマをサフィーに嫁がせている。サフィーもまた、自らの娘をギーラーニーの第二子に嫁がせている。
サフィーの登場以後、170年間でサファヴィー教団は政治的権力を取得し、最終的には16世紀にはサファヴィー朝の建国にいたった。教団が王朝を建国するにいたるようになったのは、信者から多くの財産の寄進(ワクフ)を受けると同時に、不動産を大量に購入し、経済的基盤を確立したことにあった[4]。
サフィーは死後、アルダビール市内に建設されたサフィー・アッディーン廟に埋葬された。サフィー・アッディーン廟は、2010年、ユネスコの世界遺産に登録された。
脚注
[編集]- ^ a b Richard Tapper, Frontier nomads of Iran: a political and social history of the Shahsevan, Cambridge University Press, 1997, ISBN 9780521583367, p. 39.
- ^ Meyers Konversations-Lexikon, Vol. XII, p. 873, original German edition, " Persien (Geschichte des neupersischen Reichs)", (LINK)
- ^ EBN BAZZAZ Encyclopedia Iranica
- ^ 羽田(2002)pp.194-195
参考文献
[編集]- 羽田正 著「第4章 東方イスラーム世界の形成と変容」、永田雄三 編『新版世界各国史9 西アジア史Ⅱ イラン・トルコ』山川出版社、2002年。ISBN 4-634-41390-6。