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カルネアデス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アテナイのアゴラに存在したカルネアデス像をローマ時代に復元したもの(紀元前150年頃)。グリュプトテークドイツミュンヘン)。

カルネアデス古代ギリシャ語: Καρνεάδης, ラテン文字転写: Karneádēs, 英語: Carneades, 紀元前214年 - 紀元前129年)は、古代ギリシアヘレニズム期哲学者。「カルネアデスの板」という問題を出したことで知られる。

キュレネで生まれ、アテナイアカデメイアで哲学を学んだ。アカデメイアの学頭英語版となり、急進的な懐疑主義蓋然主義英語版ともいわれる)の立場からストア派を攻撃した。著作はないが、弟子のクレイトマコス英語版などによって伝えられている。

紀元前155年ペリパトス派クリトラオス英語版ストア派ディオゲネス英語版とともにローマを訪れ、ローマ哲学の嚆矢となった[1]

脚注

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  1. ^ 近藤智彦 著「ローマに入った哲学」、伊藤邦武山内志朗中島隆博納富信留 編『世界哲学史 2』筑摩書房ちくま新書〉、2020年。ISBN 9784480072924 34頁。

外部リンク

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カルネアデス(古代に存在した像の復元イメージ)