エグルトン
Égletons | |
---|---|
| |
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
県 (département) | コレーズ県 |
郡 (arrondissement) | チュール郡 |
小郡 (canton) | エグルトン小郡 |
INSEEコード | 19073 |
郵便番号 | 19300 |
市長(任期) |
ミシェル・パヤスー[1] (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes de Ventadour |
人口動態 | |
人口 |
4 471人 (2011年) |
人口密度 | 265人/km2 |
住民の呼称 | Égletonnais, Égletonnaise |
地理 | |
座標 | 北緯45度24分26秒 東経2度02分46秒 / 北緯45.407222度 東経2.046111度座標: 北緯45度24分26秒 東経2度02分46秒 / 北緯45.407222度 東経2.046111度 |
標高 |
平均:m 最低:533m 最高:800m |
面積 | 16.85km2 (1 685ha) |
公式サイト | Le site de la mairie |
エグルトン (Égletons、オック語:Aus Gletons)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、コレーズ県のコミューン。
地理
[編集]中央高地に位置するエグルトンは、地理上の地方がいくつか交わる交差地点にあたる。町の背後にはリムーザン山地(北はミルヴァシュ高原、西はモネディエール山地)が連なり、町の位置はドルドーニュ川の渓谷を東側から見下ろすコレジエン高原の頂上である。
コミューンは、元の国道89号線が通っている。チュールの東30km、ユセルの西29kmの距離にある。ボルドーとクレルモン=フェラン間を走るオートルート 89の出口22番から約5kmである。
エグルトンは、湿度の高い海洋性気候で、冬寒く夏暑い。降雪は、冬に気温が0℃前後になると見られる。夏は時に穏やかな小春日和になる。
由来
[編集]Égletonsの名の由来は明らかになっていない。1075年にはde Glutonibus、年にはde Glotosと記されていた。
- 人名のglutioであるという説。M. Villoutreixが書いたNoms de lieux du Limousinより。
- 中世ラテン語のglutisであるという説。粘りのある土、または粘土を意味する。接頭辞のèsは、泥だらけの場所に関連した町の名前から拝借したもので、粘土質の土地の上に町ができたことは間違いない。ジャン・コストのRevue Lemouzi no 187より。
歴史
[編集]この古く重要なガロ=ローマと中世の町は、1059年にヴァンタドゥール一族の本拠地となった。以後、印象的な要塞はまさに岩の上のワシであり、ヴァンタドゥール家の権力の目撃者であった。ヴァンタドゥール家がエグルトンの幸運を生み出し、繁栄を確固たるものとし、豊かな芸術と文化の伝統の根源とした。トルバドゥールのベルナール・ド・ヴァンタドゥールは一族で最も有名な1人で、この洗練された宮廷文化を欧州中で歌うことができた。エグルトンはいまもこの砦の遺構、ヴァンタドゥール家の紋章を掲げる5箇所の門を備えた胸壁、サンタントワーヌ教会、12世紀にできた出し狭間を備えた武装した鐘楼、ペニタン礼拝堂を保存している。
1944年8月、エグルトンの戦い(fr)が起きた。広範囲の破壊、都市解放の闘争のため住民たちの勇気が示された激しい戦闘で、中世の中心都市エグルトンはクロワ・ド・ゲール勲章(fr)の陸軍工兵隊赤星章を1948年に授与された。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2011年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
3201 | 3669 | 4608 | 4590 | 4487 | 4087 | 4376 | 4471 |
参照元:1999年までEHESS[2]、2004年以降INSEE[3][4]