ウォルター・オードニー
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ウォルター・オードニー(英語: Walter Oudney、1790年 – 1824年1月12日)は、スコットランドの医師、アフリカ探検家である。ボルヌ帝国に派遣され、帰路、現ナイジェリアのカタグムで病没した。
略歴
[編集]エディンバラで生まれた。エディンバラ大学で医学を学んだ[1]。数年後、サハラ砂漠以南の地域のボルヌ帝国への通商交渉団のメンバーに選ばれ、ヒュー・クラッパートン(Hugh Clapperton)とともに1821年10月にトリポリを出発し、探険家のディクスン・デナム(Dixon Denham)と合流して、1823年の3月にボルヌ帝国の首都クカ(Kuka)に着いた。サハラ砂漠を南北に縦断した最初のヨーロッパ人の一人となった。その年の終わりに、クラッパートンとオードニーはニジェール川の源流を調べるために西に向かうが、オードニーは病気になり、現在のナイジェリアのカタグム近くのMurmurで没した[2]。オードニーの集めた地域の植物の一つのアブラナ科の属、Oudneyaはロバート・ブラウンによってオードニーの名前がつけられた。
オードニーの残した記録は、『1822年、1823年、1824年の北部、中部アフリカ旅行記』("Narrative of Travels and Discoveries in Northern and Central Africa in the years 1822, 1823, and 1824")として2巻に分けて1826年に出版された。
参考文献
[編集]- ^ Lee, Sidney, ed. (1895). . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 42. London: Smith, Elder & Co. p. 354.
- ^ “OUDNEY, Dr, Walter”. The annual biography and obituary for the year 1825. vol. 9. London: Longman, Hurst, Rees, Orme, Brown, and Green. (1825). pp. 446–447
- Blackwood's Edinburgh Magazine Death of Dr. Oudney
- CRC World Dictionary of Plant Names by Umberto Quattrocchi