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北群馬郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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日本 > 関東地方 > 群馬県 > 北群馬郡
群馬県北群馬郡の範囲(1.吉岡町 2.榛東村 薄緑:後に他郡に編入された区域)

北群馬郡(きたぐんまぐん)は、群馬県中部に存在するである。

人口36,836人、面積48.38km²、人口密度761人/km²。(2024年10月1日、推計人口

以下の1町1村が含まれる。

郡域

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1949年昭和24年)に発足した当時の郡域は、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。

歴史

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沿革

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27.駒寄村 28.古巻村 29.明治村 30.桃井村 31.豊秋村 32.渋川町 33.伊香保町 34.金島村 35.長尾村 36.白郷井村 37.小野上村(赤:渋川市 黄:吉岡町 橙:榛東村 38は吾妻郡高山村。1 - 26および41は群馬郡(第2次) -は旧東群馬郡)
駒寄村(現・吉岡町)、古巻村(現・渋川市)、明治村(現・吉岡町)、桃井村(現・榛東村)、豊秋村渋川町伊香保町金島村長尾村白郷井村小野上村(現・渋川市)
  • 昭和29年(1954年)4月1日 - 渋川町・金島村・古巻村・豊秋村が合併して渋川市が発足し、郡より離脱。(1町6村)
  • 昭和30年(1955年)4月1日 - 駒寄村・明治村が合併して吉岡村が発足。(1町5村)
  • 昭和32年(1957年3月30日 - 桃井村と群馬郡相馬村の一部(大字広馬場)が合併し、改めて桃井村が発足。
  • 昭和34年(1959年
    • 4月1日 - 群馬郡箕郷町の一部(大字柏木沢の一部)が桃井村に編入。
    • 8月1日 - 桃井村が榛東村に改称。
  • 昭和35年(1960年9月1日 - 長尾村・白郷井村が合併して子持村が発足。(1町4村)
  • 平成3年(1991年)4月1日 - 吉岡村が町制施行して吉岡町となる。(2町3村)
  • 平成18年(2006年2月20日 - 伊香保町・子持村・小野上村が渋川市および勢多郡北橘村赤城村と合併し、改めて渋川市が発足、郡より離脱。(1町1村)

変遷表

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自治体の変遷
明治22年以前 明治22年4月1日 明治29年4月1日 昭和24年4月1日 昭和24年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
  西群馬郡
相馬村
群馬郡
相馬村
群馬郡
相馬村
群馬郡
相馬村
昭和32年3月30日
群馬郡箕郷町へ編入
平成18年1月23日
高崎市へ編入
高崎市
昭和32年3月30日
桃井村へ編入
昭和34年8月1日
榛東村へ改称
榛東村 榛東村
西群馬郡
桃井村
群馬郡
桃井村
群馬郡から分立
桃井村
桃井村 桃井村
西群馬郡
駒寄村
群馬郡
駒寄村
群馬郡から分立
駒寄村
駒寄村 昭和30年4月1日
吉岡村
平成3年4月1日
町制施行
吉岡町
西群馬郡
明治村
群馬郡
明治村
群馬郡から分立
明治村
明治村
西群馬郡
渋川町
群馬郡
渋川町
群馬郡から分立
渋川町
昭和29年4月1日
渋川市
渋川市 平成18年2月20日
渋川市
渋川市
西群馬郡
金島村
群馬郡
金島村
群馬郡から分立
金島村
西群馬郡
古巻村
群馬郡
古巻村
群馬郡から分立
古巻村
西群馬郡
豊秋村
群馬郡
豊秋村
群馬郡から分立
豊秋村
西群馬郡
長尾村
群馬郡
長尾村
群馬郡から分立
長尾村
長尾村 昭和35年9月1日
子持村
西群馬郡
白郷井村
群馬郡
白郷井村
群馬郡から分立
白郷井村
白郷井村
西群馬郡
小野上村
群馬郡
小野上村
群馬郡から分立
小野上村
小野上村 小野上村
西群馬郡
伊香保町
群馬郡
伊香保町
群馬郡から分立
伊香保町
伊香保村 伊香保町
南勢多郡
敷島村
勢多郡
敷島村
勢多郡
敷島村
勢多郡
敷島村
昭和31年9月1日
赤城村
南勢多郡
横野村
勢多郡
横野村
勢多郡
横野村
勢多郡
横野村
南勢多郡
北橘村
勢多郡
北橘村
勢多郡
北橘村
勢多郡
北橘村
勢多郡
北橘村

関連項目

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先代
群馬郡(第2次)
行政区の変遷
1949年 -
次代
(現存)