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ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス

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ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス
403形電車
403形電車
ドイツの旗 ドイツ
運行者 ドイツ連邦鉄道
ルフトハンザドイツ航空
始発 フランクフルト空港
終着 デュッセルドルフ
シュトゥットガルト
運行開始 1982年3月
運行終了 1993年5月
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ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス(Lufthansa Airport Express)は、ドイツフランクフルト空港デュッセルドルフシュトゥットガルトを結んでいた列車である。ルフトハンザドイツ航空の航空便扱いで運行されていた。

歴史

103形機関車

ルフトハンザドイツ航空(ルフトハンザ)はフランクフルト空港デュッセルドルフ空港ハブ空港としており、両空港間を移動する利用者も多数いたが、両都市間の距離は約200kmと航空機では短く、採算が取れない状況にあった[1]。これを解決するため、鉄道を活用し両都市間に航空便の代替扱いの列車が登場することとなった。

1982年フランクフルト空港駅 - デュッセルドルフ中央駅間で「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」の運行を開始した[1]。翌年にはデュッセルドルフ国際空港に隣接するデュッセルドルフ空港駅まで運転区間が延長されている。車両は403形電車が用いられた。

1日4往復が設定され[1]、途中、ケルンボン(当時の西ドイツの首都)にも停車し、両都市間を約2時間半で結んだ。この列車はライン川西岸の風光明媚な路線を経由するため、古城風景やローレライなど、航空便にはない眺望を楽しめることとなった。この画期的な試みは世界の航空業界や鉄道業界で話題となり、鉄道と航空の連携のモデルケースとして注目を集めた。

列車の運転はドイツ連邦鉄道(DB)の乗務員が担当するが、車内の接客サービスはルフトハンザの客室乗務員による航空便と同等のサービスが提供された[1]。列車には航空便名が付与されると同時に、全車一等車であることから列車種別としてTEEの格付けが行われた。一般の列車の時刻表には掲載されず、乗車の際にはルフトハンザの航空便として航空券を取得する必要があり、通常の鉄道の乗車券では利用できない。

この成功を受け、1990年にはフランクフルト・アム・マイン - シュトゥットガルト間でも運行を開始し、この系統では機関車牽引の客車列車による運行となった[1]

利用は好調であったが、1990年代東西ドイツ統一を機にドイツ経済は低迷期に入り、鉄道や航空の利用客が減少し始め、403形電車の老朽化やICEの開業による競争激化も相まって、「ルフトハンザ・エアポートエクスプレス」は1993年[1]5月を最後に運転を終了することとなった。廃止後もルフトハンザ航空はフランクフルト - シュトットガルト間のICEの列車の一部座席で「AIRRailサービス」を行っている[1]

車両

デュッセルドルフ方面ではインターシティー用の電車として登場した403形を改造の上で用いた。シュトゥットガルト方面では機関車牽引で、牽引機に111形103形、客車はユーロフィーマ客車が投入された。

塗装はいずれもルフトハンザのイメージカラーである黄色が塗られた。

脚注

  1. ^ a b c d e f g 杉山淳一「鉄道トリビア 第154回 航空会社の国内便が電車だった!?」 マイナビニュース、2012年6月9日

外部リンク