秋田豊
| ||||||
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名前 | ||||||
愛称 | アキ | |||||
カタカナ | アキタ ユタカ | |||||
ラテン文字 | AKITA Yutaka | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1970年8月6日(54歳) | |||||
出身地 | 愛知県名古屋市中村区 | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1986-1988 | 愛知高校 | |||||
1989-1992 | 愛知学院大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1993-2003 | 鹿島アントラーズ | 334 | (20) | |||
2004-2006 | 名古屋グランパスエイト | 57 | (3) | |||
2007 | 京都サンガF.C. | 14 | (0) | |||
通算 | 405 | (23) | ||||
代表歴2 | ||||||
1995-2003 | 日本 | 44 | (4) | |||
監督歴 | ||||||
2010 | 京都サンガF.C. | |||||
2013 | FC町田ゼルビア | |||||
2020-2022 | いわてグルージャ盛岡 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2008年1月12日現在。 2. 2003年6月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
秋田 豊(あきた ゆたか、1970年8月6日 - )は、愛知県名古屋市中村区出身の元プロサッカー選手、実業家(株式会社サンクトジャパン代表取締役)。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。
1998年、2002年のW杯メンバー。 2022年10月から2024年11月まで株式会社いわてアスリートクラブの代表取締役オーナー兼代表取締役社長を務めた[1]。
来歴
[編集]選手時代
[編集]小学生時代は野球、中学生時代は夏に野球、冬にサッカーをしていた[2][3]。中学生時代にはフォワード、センターバックを経験した。愛知高等学校から愛知学院大学に特待生で進学した。
1993年に鹿島アントラーズに加入。当初はジーコの推薦で右サイドバックとしてレギュラーに定着し、以降はセンターバックとして活躍。9つのタイトル獲得に貢献した。
サッカー日本代表にも選出され、1998 FIFAワールドカップ・アジア予選が始まった段階ではセンターバックの3番手という立場だったため、4バックが基本のチームで控だった。しかし加茂監督がセンターバックを1枚増やした3バックを導入するとスタメンで出場し、対人や空中戦での強さを見せ評価を急上昇させると、岡田体制になり4バックに移行後もレギュラーに定着。ヘディングで2得点するなど、攻撃においてもセットプレイで大きな武器ともなった。1998 FIFAワールドカップ本大会ではアルゼンチンのバティストゥータ、クロアチアのシュケルなど相手のエースのマークを任される。
トルシエ体制では立ち上げ当初こそ招集されるも、まもなく構想から外され招集外となるが、本大会メンバーにまさかのサプライズ選出され、2002 FIFAワールドカップに出場。トルシエ曰く「試合には出ないがチームを纏めるためにベテランが必要」と語っており、実際大会前のテストマッチ1試合の後半途中から出場したのみで、本大会ではフィールドプレイヤーとして唯一出場機会がなかった。
代表監督がジーコに変わると立ち上げ当初はレギュラーストッパーとして招集されるが、バックラインの総入れ替えを断行されて以来、呼ばれることはなかった。
2003年のリーグ終了後戦力外通告を受け、名古屋グランパスエイトに移籍。移籍1年目の2004年はレギュラーとして活躍。以降は増川隆洋の加入や年齢もあって控えに回ることが多くなった。
2006年シーズン終了後に名古屋から戦力外通告を受け、この年J2に降格した京都サンガF.C.へ移籍。出場機会は多くなかったが、リーグ戦3位で進出したJ1・J2入れ替え戦では既に引退を発表した中で2戦ともベンチ入りし、2戦目にはこのまま引き分けなら昇格という場面で後半ロスタイムに出場し、クラブのJ1への昇格を経験した。
シーズン終了後、FC琉球の総監督に就任した元日本代表監督フィリップ・トルシエから現役復帰のオファーがあったものの、これを固辞。現役引退を表明し、2008年シーズンより京都のトップチームコーチに就任することが決定した。
指導者時代
[編集]2009年2月1日には、茨城県立カシマサッカースタジアムにて鹿島アントラーズ対ジュビロ磐田を対戦カードとして引退試合が行われる。同年11月30日には、監督職に必要なS級ライセンスを取得。
2010年7月、成績不振により解任された加藤久の後任として、コーチから京都の監督に昇格した。当初は2011年までの1年半契約となっており、チームがJ2に降格しても続投する方針だったが、就任後2勝3分14敗という不振から2011年度の契約更新を撤回され、わずか半年で解任となった。
2012年、東京ヴェルディトップチームのコーチに就任[4]。11月、東京Vとの契約を解除し[5]、FC町田ゼルビアの監督に就任した[6]。2013年シーズンは前半戦で3位につけるも、天皇杯のシード権を逃し、6月25日に解任された[7]。
町田監督退任後の2013年8月23日、ジュビロ磐田がコーチ就任のオファーを出したと一部スポーツ紙で報じられたが、その日のうちに磐田側から完全否定された[8][9]。
2020年よりいわてグルージャ盛岡の監督に就任すると発表され[10]、2021年にJ3リーグで2位フィニッシュ、初のJ2昇格に導いた。2022年の東北ダービーいわて秋田戦では、秋田の顔が印刷されたお面が配布され話題を呼んだ[11]。監督としては2022年シーズン一杯で退任した。
経営者時代
[編集]現役引退後は実業家としても活動しており、サンクト・ジャパンの代表取締役社長としてトレーニング器具の販売を手掛けている[12]。
2022年10月、いわてグルージャ盛岡を運営する「株式会社いわてアスリートクラブ」の社長に就任[1]。また大株主のNOVAホールディングスから株式33.4%を譲り受け、同社のオーナーとなった[13]。
2024年9月、クラブがJFLに降格したためオーナー兼社長の辞任および保有株の売却を発表[14]
その他
[編集]2015年、本田圭佑がプロデュースを行っているSOLTILO FCユースとジュニアユースのスーパーアドバイザーに就任。
またeSports関連の活動も行っている。N高等学校サッカー部の特別顧問に就任し、2018年アジア競技大会のeSports(ウイニングイレブン 2018)競技に日本代表として出場した選手の指導を行い[15]、2018年9月には元チームメイトの岡山哲也とともに、eSportsの選手育成を行う「eスポーツジャパン」を発足させ、アジア大会や五輪への出場を目標に選手の指導を行うことを発表した[16][17]。
所属クラブ
[編集]- 1986年 - 1988年 名古屋市立豊正中学校
- 1986年 - 1988年 愛知高校
- 1989年 - 1992年 愛知学院大学
- 1993年 - 2003年 鹿島アントラーズ
- 2004年 - 2006年 名古屋グランパスエイト
- 2007年 京都サンガF.C.
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | 鹿島 | - | J | 35 | 0 | 5 | 1 | 5 | 2 | 45 | 3 |
1994 | 38 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 39 | 4 | |||
1995 | 50 | 0 | - | 4 | 0 | 54 | 0 | ||||
1996 | 16 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 23 | 0 | |||
1997 | 3 | 21 | 3 | 2 | 2 | 5 | 1 | 28 | 6 | ||
1998 | 32 | 3 | 1 | 0 | 4 | 0 | 37 | 3 | |||
1999 | J1 | 28 | 2 | 6 | 1 | 2 | 0 | 36 | 3 | ||
2000 | 28 | 1 | 7 | 0 | 4 | 1 | 39 | 2 | |||
2001 | 29 | 2 | 6 | 1 | 2 | 0 | 37 | 3 | |||
2002 | 29 | 4 | 8 | 0 | 5 | 1 | 42 | 5 | |||
2003 | 28 | 1 | 5 | 0 | 4 | 1 | 37 | 2 | |||
2004 | 名古屋 | 2 | 26 | 0 | 7 | 0 | 2 | 0 | 35 | 0 | |
2005 | 19 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 21 | 1 | |||
2006 | 12 | 2 | 3 | 0 | 1 | 0 | 16 | 2 | |||
2007 | 京都 | J2 | 14 | 0 | - | 0 | 0 | 14 | 0 | ||
通算 | 日本 | J1 | 391 | 23 | 55 | 5 | 43 | 6 | 489 | 34 | |
日本 | J2 | 14 | 0 | - | 0 | 0 | 14 | 0 | |||
総通算 | 405 | 23 | 55 | 5 | 43 | 6 | 503 | 34 |
その他の公式戦
- 1993年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1996年
- サントリーカップ 2試合0得点
- 1997年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1998年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
- 1999年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2000年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2001年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
- 2002年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2007年
- J1・J2入れ替え戦 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2002-03 | 鹿島 | 3 | 3 | 0 |
通算 | AFC | 3 | 0 |
その他の国際公式戦
- 1998年 - 1999年
- アジアカップウィナーズカップ 5試合4得点
- 1999年 - 2000年
- アジアクラブ選手権 4試合2得点
- 2001年 - 2002年
- アジアクラブ選手権 6試合2得点
- 2003年
- A3チャンピオンズカップ 3試合1得点
タイトル
[編集]選手時代
[編集]クラブ
[編集]- 鹿島アントラーズ
- Jリーグ年間王者:4回 (1996年、1998年、2000年、2001年)
- Jリーグ1st優勝:2回 (1993年、1997年)
- Jリーグ2nd優勝:3回 (1998年、2000年、2001年)
- 天皇杯優勝:2回 (1997年、2000年)
- Jリーグカップ優勝:3回 (1997年、2000年、2002年)
- スーパーカップ優勝:3回 (1997年、1998年、1999年)
- A3チャンピオンズカップ優勝:1回 (2003年)
個人
[編集]- Jリーグベストイレブン:4回 (1997年、1998年、2000年、2001年)
- JリーグチャンピオンシップMVP (1998年)
- AFC All Star Team (1998年)
- A3チャンピオンズカップMVP (2003年)
- アントラーズ功労賞 (2009年)
指導者時代
[編集]個人
[編集]代表歴
[編集]出場大会など
[編集]- 1996年 AFCアジアカップ1996
- 1998年 1998 FIFAワールドカップ
- 2002年 2002 FIFAワールドカップ
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 44試合 4得点(1995-2003)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1995 | 2 | 1 |
1996 | 2 | 0 |
1997 | 16 | 2 |
1998 | 10 | 0 |
1999 | 7 | 0 |
2000 | 0 | 0 |
2001 | 0 | 0 |
2002 | 3 | 0 |
2003 | 4 | 1 |
通算 | 44 | 4 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1995年10月24日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | サウジアラビア | ○2-1 | 加茂周 | デサント・アディダスマッチ |
2. | 1995年10月28日 | 愛媛県 | 愛媛県総合運動公園陸上競技場 | サウジアラビア | ○2-1 | デサント・アディダスマッチ | |
3. | 1996年02月19日 | 香港 | ポーランド | ○5-0 | カールスバーグカップ | ||
4. | 1996年12月12日 | アル・アイン | 中華人民共和国 | ○1-0 | アジアカップ | ||
5. | 1997年02月13日 | バンコク | スウェーデン | ●0-1 | キングスカップ | ||
6. | 1997年06月08日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | クロアチア | ○4-3 | キリンカップ | |
7. | 1997年06月15日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | トルコ | ○1-0 | キリンカップ | |
8. | 1997年06月22日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | マカオ | ○10-0 | ワールドカップ予選 | |
9. | 1997年06月25日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ネパール | ○3-0 | ワールドカップ予選 | |
10. | 1997年06月28日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | オマーン | △1-1 | ワールドカップ予選 | |
11. | 1997年08月13日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | ブラジル | ●0-3 | 国際親善試合 | |
12. | 1997年09月07日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ウズベキスタン | ○6-3 | ワールドカップ予選 | |
13. | 1997年09月19日 | アブダビ | アラブ首長国連邦 | △0-0 | ワールドカップ予選 | ||
14. | 1997年09月28日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●1-2 | ワールドカップ予選 | |
15. | 1997年10月04日 | アルマトイ | カザフスタン | △1-1 | ワールドカップ予選 | ||
16. | 1997年10月11日 | タシケント | ウズベキスタン | △1-1 | 岡田武史 | ワールドカップ予選 | |
17. | 1997年10月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | アラブ首長国連邦 | △1-1 | ワールドカップ予選 | |
18. | 1997年11月01日 | ソウル | 韓国 | ○2-0 | ワールドカップ予選 | ||
19. | 1997年11月08日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | カザフスタン | ○5-1 | ワールドカップ予選 | |
20. | 1997年11月16日 | ジョホールバル | イラン | ○3-2(延長V) | ワールドカップ予選 | ||
21. | 1998年02月15日 | アデレード | オーストラリア | ○3-0 | 国際親善試合 | ||
22. | 1998年03月01日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | 韓国 | ○2-1 | ダイナスティカップ | |
23. | 1998年03月07日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 中華人民共和国 | ●0-2 | ダイナスティカップ | |
24. | 1998年04月01日 | ソウル | 韓国 | ●1-2 | ワールドカップ記念試合 | ||
25. | 1998年05月17日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | パラグアイ | △1-1 | キリンカップ | |
26. | 1998年06月03日 | ローザンヌ | ユーゴスラビア | ●0-1 | 国際親善試合 | ||
27. | 1998年06月14日 | トゥールーズ | アルゼンチン | ●0-1 | ワールドカップ | ||
28. | 1998年06月20日 | ナント | クロアチア | ●0-1 | ワールドカップ | ||
29. | 1998年06月26日 | リヨン | ジャマイカ | ●1-2 | ワールドカップ | ||
30. | 1998年10月28日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | エジプト | ○1-0 | フィリップ・トルシエ | キリンチャレンジ |
31. | 1999年03月31日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ブラジル | ●0-2 | キリンビバレッジ | |
32. | 1999年06月03日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ベルギー | △0-0 | キリンカップ | |
33. | 1999年06月06日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | ペルー | △0-0 | キリンカップ | |
34. | 1999年06月29日 | アスンシオン | ペルー | ●2-3 | コパ・アメリカ | ||
35. | 1999年07月02日 | アスンシオン | パラグアイ | ●0-4 | コパ・アメリカ | ||
36. | 1999年07月05日 | ペドロ・ファン・カバジェロ | ボリビア | △1-1 | コパ・アメリカ | ||
37. | 1999年09月08日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | イラン | △1-1 | キリンチャレンジ | |
38. | 2002年05月25日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | スウェーデン | △1-1 | キリンチャレンジカップ | |
39. | 2002年10月16日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ジャマイカ | △1-1 | ジーコ | キリンチャレンジカップ |
40. | 2002年11月20日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | アルゼンチン | ●0-2 | 山本昌邦(代行) | キリンチャレンジカップ |
41. | 2003年03月28日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ウルグアイ | △2-2 | ジーコ | 国際親善試合 |
42. | 2003年04月16日 | ソウル | 韓国 | ○1-0 | 国際親善試合 | ||
43. | 2003年05月31日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●0-1 | 国際親善試合 | |
44. | 2003年06月08日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | アルゼンチン | ●1-4 | キリンカップ |
得点
[編集]# | 開催日 | 開催地 | 会場 | 相手 | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1995年10月28日 | 愛媛県 | 愛媛県総合運動公園陸上競技場 | サウジアラビア | ○2-1 | デサント・アディダスマッチ |
2 | 1997年10月04日 | アルマトイ | カザフスタン | △1-1 | ワールドカップ予選 | |
3 | 1997年11月08日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | カザフスタン | ○5-1 | ワールドカップ予選 |
4 | 2003年06月08日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | アルゼンチン | ●1-4 | キリンカップ |
引退試合
[編集]- 出場選手
- 鹿島アントラーズレジェンドスターズ
- 高桑大二朗、名良橋晃、秋田豊、奥野僚右、相馬直樹、本田泰人、サントス、石井正忠、増田忠俊、黒崎久志、マジーニョ、曽ヶ端準、内藤就行、岩政大樹、池内友彦、金古聖司、本山雅志、中田浩二、熊谷浩二、野沢拓也、小笠原満男、長谷川祥之、深井正樹、鈴木隆行
- ジュビロ磐田レジェンドスターズ
指導歴
[編集]- 2008年 - 2010年 京都サンガF.C.
- 2008年 - 2010年7月 トップチーム コーチ
- 2010年7月 - 同年12月 トップチーム 監督
- 2012年1月 - 同年11月 東京ヴェルディ トップチーム コーチ
- 2012年11月 - 2013年6月 FC町田ゼルビア 監督
- 2015年 SOLTILO FC スーパーアドバイザー
- 2016年 N高等学校サッカー部特別顧問[18]
- 2020年 - 2022年 いわてグルージャ盛岡 監督
監督成績
[編集]年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
2010 | J1 | 京都 | 17位 | 9 | 20 | 2 | 3 | 15 | - | 3回戦 |
2012 | J2 | 町田 | - | - | - | - | - | - | - | 4回戦 |
2013 | JFL | 3位 | 31 | 17 | 9 | 4 | 4 | - | - | |
2020 | J3 | 岩手 | 11位 | 42 | 34 | 11 | 9 | 14 | - | - |
2021 | 2位 | 53 | 28 | 15 | 8 | 5 | - | 3回戦 | ||
2022 | J2 | 22位 | 34 | 42 | 9 | 7 | 26 | - | 3回戦 |
- 2010年は第15節より指揮。(第15節は監督代行として)
- 2012年は天皇杯4回戦の1試合のみ指揮。
- 2013年は第17節、解任時の成績。
著書
[編集]- センターバック専門講座(2012年、東邦出版、ISBN 978-4809410628)
脚注
[編集]- ^ a b 【クラブ】秋田豊氏 代表取締役オーナー兼代表取締役社長 就任のお知らせ
- ^ プロ論
- ^ 有名人スポーツワンポイント講座
- ^ “秋田 豊コーチ就任のお知らせ”. 東京ヴェルディ1969 (2012年1月16日). 2013年9月6日閲覧。
- ^ “秋田 豊コーチ契約解除のお知らせ”. 東京ヴェルディ. 2012年11月26日閲覧。
- ^ “秋田豊氏 監督就任のお知らせ”. FC町田ゼルビア. 2012年11月26日閲覧。
- ^ “秋田豊監督 解任のお知らせ”. FC町田ゼルビア. 2013年6月25日閲覧。
- ^ “降格圏脱出へ!磐田 秋田氏にコーチ就任の緊急オファー”. スポーツニッポン. 2013年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月23日閲覧。
- ^ “【磐田】秋田豊氏のコーチ就任を完全否定”. 日刊スポーツ. 2013年8月23日閲覧。
- ^ 『【チーム】秋田豊氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)いわてグルージャ盛岡、2019年12月4日 。2019年12月4日閲覧。
- ^ “「ガチで怖すぎ」秋田豊が大量発生!? J2岩手、指揮官のお面配布によるホームスタジアムの“異様な光景”に反響! | サッカーダイジェストWeb”. www.soccerdigestweb.com. 2023年5月19日閲覧。
- ^ 片渕茜 (2018年6月6日). “【トレたま】日本代表の“ゴムトレ”!?”. ワールドビジネスサテライト. テレビ東京. 2018年6月7日閲覧。
- ^ 元日本代表・秋田豊、私財投じてクラブ社長の覚悟 - 東洋経済ONLINE・2023年6月2日
- ^ 【岩手】秋田豊社長が今季限りで退任、NOVAが経営復帰へ 経営悪化に今季J3最下位と低迷 - 日刊スポーツ・2024年9月30日
- ^ 笠井智大 (2018年7月23日). “eスポーツの“翼くん”―わずか3年で大舞台への切符をつかむまで”. 読売新聞社. 2018年9月10日閲覧。
- ^ “eスポーツ育成、元グランパス岡山さんら新会社”. 読売新聞社 (2018年9月9日). 2018年9月10日閲覧。
- ^ 吉崎エイジーニョ (2018年9月8日). “元W杯代表・秋田豊はなぜ、eスポーツ最強を志す「STAND UP UNITED」にガチ参戦するのか?”. Yahoo!ニュース 個人. 2018年9月10日閲覧。
- ^ “ネット部活”. N高等学校(通信制高校 広域・単位制). 2017年11月12日閲覧。
関連項目
[編集]- 鹿島アントラーズの選手一覧
- 名古屋グランパスエイトの選手一覧
- 京都サンガF.C.の選手一覧
- ジョホールバルの歓喜 (1997年 ワールドカップフランス大会アジア地区最終予選)
- 1998 FIFAワールドカップ日本代表
- 2002 FIFAワールドカップ日本代表
外部リンク
[編集]- 秋田豊 (@akita_yutaka) - X(旧Twitter)
- 秋田豊 - National-Football-Teams.com
- 秋田豊 - Soccerway.com
- 秋田豊 - FootballDatabase.eu
- 秋田豊 - WorldFootball.net
- 秋田豊 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 秋田豊 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 秋田豊 - FIFA主催大会成績
- 秋田豊 - J.League Data Siteによる選手データ
- 秋田豊 - J.League Data Siteによる監督データ
- 秋田豊 - TheFinalBall.com
- 日本のサッカー選手
- サッカー日本代表選手
- FIFAワールドカップ日本代表選手
- 鹿島アントラーズの選手
- 名古屋グランパスエイトの選手
- 京都サンガF.C.の選手
- 1998 FIFAワールドカップ出場選手
- 2002 FIFAワールドカップ出場選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ日本代表選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ2003出場選手
- AFCアジアカップ日本代表選手
- AFCアジアカップ1996出場選手
- コパ・アメリカ1999出場選手
- アジア競技大会サッカー日本代表選手
- 日本のサッカー指導者
- 京都サンガF.C.の監督
- FC町田ゼルビアの監督
- いわてグルージャ盛岡の監督
- 東京ヴェルディ1969の人物
- サッカー解説者
- 21世紀日本の実業家
- 愛知学院大学出身の人物
- 愛知高等学校出身の人物
- 名古屋市出身の人物
- 1970年生
- 存命人物
- 日本のサッカークラブの代表者