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タ号

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タ号特殊攻撃機

タ号試作特殊攻撃機(タごうしさくとくしゅこうげきき)は、太平洋戦争末期に大日本帝国陸軍によって開発された特殊攻撃機(画像は英語版Wikipediaを参照)。

概要

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名前の由来は竹槍に因み、頭文字の「」の字をとって名付けられた。用兵は本土決戦におけるゲリラ的運用を想定したもので、特殊攻撃機となっているが、実質的に爆弾を装備し近海沿岸の敵艦船に体当たりして自爆攻撃する為の特攻機であった(似たような用兵の航空機にがある)。

開発は陸軍航空技術研究所水山嘉之大尉により、1945年昭和20年)2月に始まった。始めは非公式だったが後に公式の計画となった。陸軍航空技術研究所の指導の下、日本国際航空工業(国際)、立川飛行機(立飛)の両社に開発指示が出された。エンジンを積んで飛べさえすればよいという考えであったため、疎開工場でも生産可能で、工員に高度な技術を必要とせず、生産しやすいように直線的にまとめられた、使い捨てのきわめて簡易な設計であった。

タ号には2種類あり、ひとつは国際製で、基本的な機体デザインは同社が生産していた四式基本練習機とよく似ていた。全長5mほどの単座で、発動機は四式基本練習機キ107と同じ「ハ47」であった。武装は100kg爆弾を1つ。主翼はテーパー翼の低翼単葉であり、掩体壕に隠蔽できるように外翼を人力で上方に折りたたむ事ができた。主脚は固定式で、尾輪は無く尾そりを採用していた。機体は疎開工場でも生産しやすい為と金属の使用を抑える為に全木製で、胴体は木製骨組みに合板張りもしくは羽布張り、主翼や水平・垂直尾翼は、表面にフレーム跡が浮き出ているので、木製骨組みに羽布張りと思われる。プロペラは木製固定ピッチ2翅であった。同様の資源節約目的の全木製機に、東京航空が生産していた低翼単葉複座練習機であるキ107があった。試作初号機は1945年6月25日に完成したが、量産されることなく終戦を迎えている。なお、タ号にはキ番号は付与されていないが、国際製の機体には「キ128」の番号が与えられていたとする説も存在する[1][注 2]

もうひとつは国際製とは全く別設計の、鋼製骨組み(外皮は羽布張りと思われる)密閉式風防採用の、500馬力級発動機を搭載した立飛製のタ号があった。武装は500kg爆弾を1個。大馬力の発動機と大重量の爆弾を装備するため、機体は日本国際航空製より大きかった。立川飛行機製タ号は2機が試作されたが、試作初号機は完成直後に空襲で破壊され、試作2号機を製作中に終戦した為こちらも量産されることはなかった。発動機は当時、九九式高等練習機二式高等練習機に採用されていた為に、大量に生産され入手が容易な「ハ13甲」であった。

また、国際では、タ号と同様の特殊攻撃機として、「つ号」および「義号」という名称の機体も同時期に試作されていたとされるが、詳細は不明となっている[1]

性能諸元

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  • 日本国際航空工業製
    • 全長: 不明(推定5 m)
    • 全幅: 不明
    • 全高: 不明
    • エンジン: 日立 ハ47(海軍名称:初風一一型)空冷倒立直列4気筒エンジン、公称105 hp
    • 速度: 150~200 km/h(推定)
    • 乗員: 1名
    • 武装: 100kg爆弾
  • 立川飛行機製
    • 全長: 不明
    • 全幅: 不明
    • 全高: 不明
    • エンジン: 日立 ハ13甲(海軍名称:天風)空冷星形9気筒エンジン、公称450 hp、離昇510 hp
    • 速度: 不明
    • 乗員: 1名
    • 武装: 500kg爆弾

脚注

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注釈

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  1. ^ 立飛製の機体は、1機試作の後試作2号機を製造中に終戦を迎えたため、2号機は途中段階であった。
  2. ^ 一方で、「キ128」の番号は計画のみに終わった戦闘機に与えられていたとする説もあるが、この機体の詳細は不明[2]

出典

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  1. ^ a b 佐原晃『日本陸軍の試作・計画機 1943〜1945』イカロス出版、2006年、145頁。ISBN 978-4-87149-801-2 
  2. ^ 秋本実『日本陸軍試作機大鑑』酣燈社、2008年、102頁。ISBN 978-4-87357-233-8 

参考項目

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  • アヴィア BH-1英語版 - チェコスロバキアアヴィア社が1920年に開発した試作複座スポーツ機。タ号とよく似ている。その使用目的と外見と低性能(1945年当時)から酷評されることの多い(日本国際航空工業製)タ号であるが、純粋に航空機として見た場合、1920~30年代の(全金属製化する前の)航空機(スポーツ機や初等練習機)と同程度の技術水準と性能は持っている。